第17点 光がうねり夜空を巻き込む
「ちょ、ま、待って〜〜」
前を走るフィンセントを必死に追いかけるけれど、どんどん差が開いていく。
自慢じゃないけどね、この樽の体を動かすには相当なパワーが必要なのよ!
急にそんな早くは走れないのよ!!
「お前遅すぎ!!」
「だっ……てこれ……がっ! さいそ……く!!」
「だー!! 何やってんだよ!」
フィンセントが空を仰いでから、少し速度を落としてくれる。
その瞬間、閃いた!
そうか! 転がればいいんだわ!!
「フィンセント! 置いていきますわよぉ!!」
「お前それどうなってんだよぉー!!」
私は前に居たフィンセントを追い越して高速で転がっていく。
自分でもどうなってんだこの体と思うけど、もはや樽体系のなせる技としか思えない。
いつの間にか横に並んだフィンセントとそのまま走り(もとい転がり)続け、いつの間にかちょっとした広場のようになっている袋小路に迷い込んでしまった。
「いけない! 行き止まりよ!」
「いいや、計画通りだ」
そう言ってニヤリと笑うと、フィンセントは大声で叫んだ。
「何が目的だ! 顔出せよ! それとも目も当てられないほどのブサイクなのかぁ!?」
「ちょっと刺激してどうするのよ!」
「相手の目的が分からない以上、こうした方が手っ取り早いだろ?」
「もーー本当にガサツ!!」
「んだとぉ!!?」
キィヤァーーーーーーーーーーーー!!!!
相も変わらず私たちが口論していると、急に激しい悲鳴のような高音が響き渡った。
かと思えば、空間を歪めるほどの強い衝撃波が私たちを襲う。
「何!!?」
「うぉっと危ねー!!」
キャーーーーーーーーーーーーーー!!!!
間一髪避けたものの、またすかさず衝撃波が襲ってくる。
「どこだ!? どこにいやがる!!」
「見て! あそこ!!」
入り口よりやや右手の民家の上に、黒いマントの男が立っている。
この衝撃波はあいつが打っているようだ。
「<星月夜>!」
ゥゥゥゥズシュンーーーーーーーッ!!
以前見たように、フィンセントが人差し指と中指を伸ばして銃身のような形を作り、プネウマの名を唱える。
すると、途端に周囲の景色が歪み、まるで生きているかのような光の洪水が放たれた。
—————————————————————
|フィンセント・ファン・ゴッホ
|プネウマ<星月夜>
|
|真っ黒な糸杉が佇んでいる。
|その背後には、三日月と星が夜空に輝いて
|光が夜を巻き込み渦を巻く。
|糸杉はゴッホにとって特別な存在だ。
|糸杉は天と地を結ぶ死の架け橋。
|糸杉は、ゴッホ自身。
|それを見守る星月夜は、
|まるで生きているかのような躍動感を持って
|輝きを放つ。
|
|プネウマ<星月夜>は、
|夜空を巻き込むほどの強烈な光の洪水を
|光線として放つ。
—————————————————————
これが、私が初めて見たプネウマ……!!
フィンセントの<星月夜>なのか!!
あの光の洪水であそこまで的確に照準を合わせられるなんて、普段の雑なフィンセントからは考えられないような繊細な技術だと思う。
しかし真っ直ぐ黒マントの男に向かった光線は、もう少しという所で躱されてしまう。
結構すばしっこい!!
と思ったら、黒マントの男が屋根の上から飛び降りて、フィンセントには目もくれず私に向かってくるではないか。
なんで私ーーー!?
私なにもしてないんですけど!!
あなたも私に何か恨みがあるんですか!!?
どこで恨み買っててもおかしくないけど!!!
キィヤァーーーーーーーーーーー!!!
また高音の衝撃波!!
あわやという所で右に体を捻って転がり回避する。
あっぶねーー!!!
もう少しで当たる所だったよ!!
衝撃波が当たった所の壁をちらりと振り返って見たら、もうすぐ中が見えるんじゃないかっていう崩れ方をしている。
いやいや威力えぐいて!!
当たってたら私破裂してるって!
簡単に破裂しそうな体型だけどさぁ!!
そう考えている間にも、黒マントの男がどんどんと近づいて攻撃を仕掛けてくる。
キャーーーーーーーーーー!!!
衝撃波が私の毛先を掠めていった。
あっぶないホント!!
私が転がれない樽だったら終わってるって!!
毎回スレスレなんだから!
フィンセントも攻撃してくれているけれど、男がすばしっこく当たらないようだ。
いつの間にか男はかなり近くまで来ており、黒マントから覗くオレンジ色の髪がちらりと見えた。
彼は誰なんだろう?
遠目ではあるけれど、さっきの彼の動作から見ると、あの衝撃波は本当に彼の口から飛び出ているような。
口から……高音の……叫び?
「もしかして……ムンク?」
思わず口から名前がこぼれる。
すると、黒マントの男が動揺したようにピタリと止まった。
そして、目の前にコマンドが現れる。
—————————————————————
|エドヴァルド・ムンク
|代表作『叫び』
|
|これほどまでに、作品と作者の名を同時に
|言われる者もいないだろう。
|気難しい父、病気で早逝した姉、
|痴情のもつれによる銃の暴発事件。
|中年になる頃には、対人恐怖症や
|アルコール依存症などを発症した。
|ムンクの人生には
|全体を通して暗雲が立ち込める。
|だが、それでも画家としての名声は
|確かなものであった。
—————————————————————
やっぱり……!!
この黒マントの男の正体。それはエドヴァルド・ムンクだったのね!!
—————————————————————
|エドヴァルド・ムンク プネウマ<叫び>
|
|赤と黄色のうねりが広がる空。
|暗く影になっているフィヨルド。
|左上から右下にかけて橋が架かっている。
|そして画面下中央で、
|頬に手を当てて叫んでいる人物。
|いや……叫びに耳を塞いでいるのか?
|見る者に不安感と共に強烈な印象を与える
|言わずと知れた名作である。
|
|プネウマ<叫び>は、
|叫び声を衝撃波にして放つものである。
—————————————————————
続け様にプネウマの解説!
コマンドがこんなに有効活用されるの初めて見たわ!!
そうか、私が相手の名前に心当たりさえ付けば、正体が分かる訳ね!!
「あなた、エドヴァルド・ムンクね!!」
「な、なぜ……」
ムンクが動揺したような声を発し、無意識なのか2、3歩後ろに下がった。
「何故って! 私には全てお見通しなのよ!」
ドヤーーッ!!
両手を腰に当ててふんぞりかえる。
これこそザ・ドヤりポーズ。
きっと鼻の穴も大きくなっていることだろう。
ついね! 私の最大の武器を手に入れた気がしてさあ!
「くっ……! 死ね! サンドラ・ボッティチェリ!! <叫び>!!」
意気揚々とふんぞり返っていたら、エドヴァルドが思い切り息を吸い込む。
渾身の叫びをぶちかますつもりなんだわ!!
や、やばい!! どうしよ!!?
「<星月夜>!!」
ゥゥゥズシュンーーーー!!!
フィンセントがムンクに標準を合わせて<星月夜>を放つ。
咄嗟にムンクはそれに気付くと、<叫び>をやめて大きく後ろに退いた。
私は思わず尻落ちをついてしまい、目の前を光線が横切っていった。
視界が開けた時にはもう、ムンクは民家の上に居た。
「覚えておけサンドラ・ボッティチェリ!! 貴様は必ず、この僕が殺す!!」
そう言い残し、ムンクは民家の屋根を飛び跳ねて、颯爽と去っていった。
何なんだあの動き。忍者か何かなの?
腰を抜かしたまま呆然とムンクが去っていった方を見つめていた。
「大丈夫か!?」
フィンセントが駆け寄ってくる。
有難いことに、あんなに嫌っている私のことも心配してくれるみたいだ。
私はフィンセントの手を借りて、どうにか起き上がる。
「ええ。何とか……って。これやばい?」
気付いたら、その袋小路の入り口には、騒動を聞きつけた住民たちがちらほら集まりだしているではないか。
もしかして見られた!?
「いや、プネウマを使っている所は見られてないはずだ。ここは俺に任せろ」
そう小声で言うと、フィンセントは急にウルウルとした瞳を作って住民たちの方に向かった。
「あ、あの……ごめんなさい! 爆竹で遊んでたんだけど、思いの外すごい威力で、しかもどんどん火が点いちゃって……。妹はすごい悲鳴をあげちゃうし、うるさかったですよね。本当にごめんなさい!」
なんという演技力だろう。
これは私でも思わず「いいよ怪我はなかったかい?」と言いたくなるような可憐さだ。
子供の姿を存分に活用している。
……この器用さがあれば、本物のゴッホもさぞ生きやすかっただろうに……。
案の定、住民たちは口々に「気をつけなよ」とか「怪我がないなら良かった」と言いながら、散り散りに返っていった。
良かった……。
入り口から若干距離があったし、樽な私の体で見えなかっただろうこの壁の壊れ方を見れば、爆竹なんかじゃないことは分かってしまっただろう。
「急いでゴーギャン先生に頼まないとな」
「便利ね、ゴーギャン先生……」
マフィア系悪男だけど、物も直せるし超有能だ。
一家に一台欲しい。
「それにしても、なんであいつの名前が分かったんだ?」
「それは……あとで、タブローの秘密基地で話すわ」
もとい、言い訳が何も出てこないから、これから考えるってことですけどね!!
それにしても、なんでムンクは私を狙ったんだろう。
私、過去に何かしたのかな?
それこそ、命を狙われてもおかしくないような、何か。
家に帰って、確認してみなくちゃ。
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