第13点 二人のミレー

 慣れない勉強に相変わらず四苦八苦して、放課後。

 不本意そうなクロードに案内されて、『教授棟』を目指した。

 表向きは、生徒会の先輩として生徒会室に案内してくれる、ということになっている。

 そもそも『教授棟』は一般の生徒は入ることが出来ない。入れるのは、唯一生徒会に所属する生徒だけ。

 だから、誰も生徒会室の場所を知らない。

 レオナルドに何か言われているのか、先生たちも知らないそうだ。

 いよいよ秘密基地っぽいじゃん!


『教授棟』の入り口は大きな観音扉になっていて、幾何学模様のような彫刻が施されている。

「生徒立入禁止」が納得の、重厚な雰囲気だ。

 入り口を入って右に曲がると、上階へ行くための階段がある。

 ほとんどの学校がそうであるように折り返し階段になっていて、踊り場から2階に続く階段の下は、がらんと空いた何もない空間になっていた。

 クロードは上には登らず、その空間に歩を進めると、周囲を一瞥してから階段を背にして反対側の壁に手を当てた。

 すると、スッと壁が消え、下へと続く階段が現れたではないか……!

 え、何これすごい! なんかラ○ュタみたい!!


「これどうなってるの!?」

「元々この学園は国の研究施設だったことは知っていますよね? かつてプネウマを持つ研究者が、自分の研究成果をしまっておくために作った部屋だったそうです。この壁は、その研究者の能力で事前に承認された人間しか通れないようになっています。もちろん機密事項ですよ」


 このアルス学園がかつて研究施設だったことはロッセリから聞いている。

『教授棟』だけは、その当時から使われている建物を残しているそうだ。

 けれどそれは、かなり昔の話のはず。

 そんな昔からプネウマの効果が続くなんて、素直にすごいと思う。

 一体そのプネウマの持ち主は誰だったんだろう?



 クロードに付いて階段を降りていく。

 人一人しか通れないような狭い螺旋階段は、すごく薄暗い。

 壁に囲まれているから、圧迫感がある。階段の先は地下牢なんじゃないかと錯覚するほどだ。

 ていうかお腹で足元が見えないのよ! めちゃくちゃ怖いわ!! 電気もっと明るくして!

 壁には細長いランプのようなものが等間隔にかかっているけれど、全然明るさが足りないよ!

 それにしてもロウソクではないし、光源は一体何なのかさっぱり分からない。また魔石的な何か?


 これは帰りかなりしんどいぞと思うくらいに階段を降ると、簡素な木製の扉が現れた。

 その扉にクロードが触れると、ガチャリと鍵が開く音がした。

 今回はスッと消えないのね。


「すみません。少し遅れました」

「いやいい。これで揃ったな」


 扉の奥は、案外に広い空間だった。

 すぐ目の前には、ローテーブルとソファー。

 扉の向かいの一人掛けのソファーには、先ほどクロードの言葉に応えたレオナルドが座っている。

 5人は座れそうな長いソファーがローテーブルを挟んで二脚置かれており、左側には態度悪く足を組んだフィンセントと、膝の上に肘を乗せて前屈みに座っているゴーギャン先生。

 右側には、キラキラした顔で私に手を振っているアンナがいた。


 両側の壁にはぎっしりと書類や書籍が詰まった本棚があり、入って左手前には大きな作業台が置かれている。

 作業台の高さに合わせた高めの椅子に座って、初めて見る少年が資料を広げて何某か作業をしているようだ。

 明らかにアルス学園に入学出来る年齢に達してなさそう。13、4歳くらいかな?

 その奥に、カウンターテーブルがあり中は見えないけれど、どうやらミニキッチンがあるようだ。

 カウンターテーブルに気だるげに座っている男子生徒が一人。そして彼にそっくりな生徒が、キッチンでお茶を入れている。

 その隣、部屋の右手奥には扉の付いた小部屋があるけど、あれはトイレか何かかな?


 とにかく、この部屋の中で普通に生活出来そう。

 窓はないけれど、かなり快適そうだ。


「サンドラ。君もここには初めて来たな。ここがタブローの本拠地だ」


 レオナルドが私に向かって言った。


「まさか地下にこんな空間があるなんて……」


 いや正直。

 ここまで本格的な秘密基地があるとは思わなかった。

 まじですげえや。


「何かあれば招集をかける。そうしたらここに集まってくれ。さあ、新しく2人加わったことだ。タブローのメンバーを紹介しよう。フランソワ、頼む」


「はい、分かりました。ほら、エヴァレット起きて」


 レオナルドに声を掛けられ、ミニキッチンでお茶を入れていた男子生徒が応える。

 カウンターに座っていた生徒の肩を軽く叩くと、叩かれた生徒はカウンターに預けていた上半身をだるそうに持ち上げた。


 見れば見るほどよく似ている2人だ。

 茶色の髪の毛も金色の瞳も全く一緒。

 唯一前髪の分け方が逆だ。

 多分双子なのだろう。

 双子の画家なんて居たかな?


「やあ。僕らは君たちを歓迎するよ。僕の名前はジャン=フランソワ・ミレー。ボッティチェリさんは知っているだろうけど、ミレー侯爵家の出だ。一応、生徒会の会長ということになっているよ」


 キッチンに居た前髪が左分けの生徒がにこやかに微笑んで、丁寧な挨拶をしてくれる。

 とても柔らかな印象で、穏やかな印象を受ける。

「生徒会長」という肩書きが、とても似合う彼。

 ジャン=フランソワ・ミレー。

 つまり……。


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|ジャン=フランソワ・ミレー

|代表作『落穂拾い』『晩鐘』

|『落穂拾い』は、絵画の中でも

|有名な作品だろう。

|穀物の刈り終わった畑で落穂を拾うのは、

|貧しい農民たちだ。

|地主は彼らのために、

|あえて落穂を全て拾わず

|残しておく慣行があったという。

|ミレー本人も農家の出である。

|幼い頃は農作業の傍、写生に勤しんでいた。

|後に、貧しくとも強く生きる農民画を描く

|画家として知られるようになる。—————————————————————


 目の前に現れたコマンドに、やっぱりと私は頷いた。


 腰をかがめて落穂を拾う3人の女性。彼女たちの背後では、多くの人々が収穫作業の真っ最中だ。

 山のように積まれた穀物と、農場主らしい人物が馬車に穀物を乗せている。

 手前の貧しい女性たちと背後の豊かな収穫の賑わいが、遠近感を持って対になり、人々の生の力強さが心に訴えかけてくる。

 仮にミレーの名を知らなかったとしても、この作品なら知っているだろう。

 じゃあもう一人は……。


「僕は……ふわぁ……あ、ごめん。ジョン・エヴァレット・ミレー。フランソワの双子の兄。生徒会副会長」


 欠伸をしながら告げたその名。

 その名前に、私は覚えがあった。

 私のその確信を裏付けるように、コマンドが表示された。


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|ジョン・エヴァレット・ミレー

|代表作『オフィーリア』

|ジャン=フランソワ・ミレーと区別するためミレイと表記されることもある。

|ミレイは生まれながらに裕福で、

|最年少でロンドンの名門美術学校

|『ロイヤル・アカデミー』に入学するほどの

|才能の持ち主だった。

|歴史や文学、宗教といった題材の作品を

|多く残している。

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 ジョン・エヴァレット・ミレーの描いた『オフィーリア』。

 シェイクスピアの戯曲『ハムレット』のヒロイン、オフィーリアの最期を描いた絵画だ。

 緑鮮やかな自然の中で、歌を口ずさみながら川に沈んでいくオフィーリア。

 恋人に罵倒され、父を殺されて、正気を失った彼女は、美しい刺繍が施されたドレスを身に纏い水に浮かぶ。

 色とりどりの花々に囲まれて、瞳はあまりに虚ろだ。

 今は上半身が水面に出ているけれど、やがてドレスが水を吸い、静かに沈んでいくのだろう。

 とても悲劇的な場面のはずなのに、まるで完成された風景のように美しい。

 私もすごく好きな絵画の一つ。


 で。

「生きるべきか死ぬべきか」より問題なのは、この二人の関係よ。


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|ジャン=フランソワ・ミレーと

|ジョン・エヴァレット・ミレーは、

|同時期に活躍した画家だ。

|とは言え活躍した国は異なり、

|作風も真逆と言っていい。

|名前が似ているだけの赤の他人である。

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 ですよね!!

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