第51話

 冷たい海水で重くなったダッフルコートを脱いで、懐中電灯を拾い上げると、栄治を照らした。

「上着ちょうだい!」

 栄治はジャンパーを脱いで、僕に着せた。僕は必死にくるまったけど、学ランも下着も濡れているから、どうしようもなく体温が奪われる。栄治は僕のリュックを背負い、一緒に来た道を戻った。

 コンビニの中に入って、店員に助けを求めた。僕は「堤防でふざけていたら、間違って海に落ちたんです」と嘘ついた。店員はずぶぬれの僕達に驚いて、控室に案内してくれた。自腹で商品のインナーとパンツも買ってくれた。濡れた服は干した。その間に着る服は無かったから、「ストーブで温まって!」と言われた。親切に弁当も自腹で買ってくれた。

「親御さんに連絡しないと!」

 僕は「喧嘩中なんで、ほっといてください」と頼んだ。店員は戸惑ったが、店番をしなければならないし、控室から出ていった。

 裕太はストーブの前で蹲って、弁当を貪るように食べている。店員に買ってもらったインナーとパンツの上に、俺のジャンパーを羽織っている。その肉体は殆ど露わになっている。

 大地の色をした肌には、生命力が漲っていた。俺は少しずつ弁当を食べながら、裕太の姿を眺めた。食べ物が次から次へと入っていく口にも、生命力が漲っている。ストーブの光に照らされる火傷は力強く燃えている。裕太は弁当をすぐに食べ終わって、一息ついた。ストーブの真ん前から動かず、じっとしている。「僕の服、乾いてない?」と聞かれた。俺は干してある服をつまんで、「濡れてる」と答えた。

 裕太は俺の弁当を覗き込んだ。

「要らないおかずがあったら、ちょうだい」

 俺は弁当箱ごと、渡した。殆どおかずが残っているけど。裕太は「本当にいいの?」と聞く。俺は頷いた。

「……俺も着替えたい」

 裕太が「なんで?」と聞くけど、答えられなかった。

「リュックの中に財布あるから、買いな」

「……やっぱり、いい」

 裕太の金を借りて、失禁の後始末をするのが情けなくて、恥ずかしかった。膝を閉じたまま、ストーブの光を見つめた。

 栄治は復讐を諦めていないのか? 僕は警戒した。でも、大紀との心中を拒んだせいで、自殺の瞬間を見る羽目になったことを思いやった。僕は『栄治を見捨てるものか』と決心した。

 俺は『裕太を許せばいい』と分かっている。『裕太の両親も許すべきだ』と分かっている。でも、自殺した大紀が余りにも可哀想だ。何の為の死だったのか? 何の為の命だったのか? どこまでも俺達は負け犬だなんて、屈辱的だ。

「……裕太、これからどうするの?」

「家に帰るよ。栄治と一緒に」

「一緒に?」

「栄治も僕の家に来なよ。ひとまず、そうするしかないでしょ」

 それは善意の言葉だ。

「僕の世話を、裕太が焼いてくれるの?」

「うん……大紀さんが、いなくなったから」

 その顔を見れば分かる。裕太の中では、決着がついているらしい。

 これから、俺は裕太の広い心に救済されて、全ての憎悪を溶かされて、共に生きていくのか? 心底、気持ち悪かった。俺の中で、死んだ父親は生きている。あのテトラポットで、失禁するまでの俺も生きている。どうせ、俺は自分で救いがたく、惨めなら……。

「やっぱり、金かして」

 裕太は「いいよ」と答えた。俺は財布を取り出して、店内に入った。店員は俺がレジに持ってきたものを怪しんだけど、裕太に頼まれたと嘘ついて、会計を済ませた。

 俺は大事にそれを握りしめて、控室に戻った。

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