第42話

 栄治は濡れたまま、ベッドに寝転んだ。

「ちゃんと拭きな」

 大紀は親のように叱った。よく見ると、髪だけではなく、体もろくに拭いていない。だらっとしたTシャツが濡れて、体にはりついている。

「ベッドが濡れるし、風邪ひくだろ」

「ここで寝るの俺だもん」

 大紀はタオルを持ってきて、栄治に放った。自分は床に座って、ベッドにもたれた。

 あの虐待をした日から、大紀は仕事をして、栄治は家事をする日常が続いている。大紀は息子をママ扱いするし、栄治は父親に女扱いされる屈辱を噛み潰している。

「俺、母親なんか要らない」

 栄治の言葉が、ポツリと落とされた。

「ほんとに?」

「うん」

 栄治は仰向けに寝転がり、天井を見つめた。

「じゃあ、ここにいる必要は無いな……引っ越すか」

「大紀はここに残ってよ」

「なんで?」

「大紀には、明理が要るでしょ」

「お前一人で生きていけないだろ?」

「俺のことなんか考えないで」

「………………」

 栄治はタオルに顔を埋めた。

『いっそのこと、大紀に犯されたら、殺せるのに……殺しても、正当化できるのに』

 何度もナイフで自分を犯す父を刺し殺す妄想をした。そのせいで逮捕されて、自分の人生が犠牲になっても、許される気がした。父への殺意は命に関わるもので、より生々しかった。裕太への殺意は結局、心に留まるものに過ぎなかった。

 大紀はテレビを消して、切り出した。

「お前、また裕太に酷いことをしたよな?」

「………………」

「心当たり、あるだろ? 俺の口から言わなきゃ駄目か?」

「セックスを、撮ったこと?」

 悪びれずに白状した。

「その映像、今すぐ消せ。俺が見ている前で」

「誰から聞いたの?」

「誰でもいいだろ。裕太も女の子も困ってんだから」

 栄治は動かない。大紀は部屋中を探して、ビデオカメラを手にとった。栄治は起き上がり、「自分でやる」と言って、ビデオカメラを奪った。映像を消す瞬間を見守りながら、「なんでこんなことした?」と聞いた。

「趣味」

「他の場所に保存したか? それも消しな」

「無い」

「本当か?」

「やろうとしたけど、できなかった」

「嘘ついてないよな?」

「うん」

「……本当は趣味なんかじゃないんだろ? 何の為にセックスを撮ったんだ? 真面目に答えてくれ」

「……………………」

 栄治は黙り込んだ。映像は消えた。もう裕太を脅すことはできない。また敗北したけど、悔しくなかった。佐山が厄介な女だと分かった時から、計画通りにいかないことを悟っていたから。

『俺の母親みたいに、あっさり妊娠させられる馬鹿女なら良かったのに』

 迷子になった殺意は、まだ冷酷に息を潜めている。

「……お父さんって、俺より裕太が大事?」

 大紀は、はぐらかした。

「どうして、そんなことを聞くんだ? 優劣なんかつけられないよ」

「普通の親なら、自分の子どもが大事って言うよ」

「そんなことないだろ。それより、俺の聞いたことに答えてくれ。なんでセックスを撮った?」

 栄治は濡れた瞳で「お父さんの真似をしただけ」と答えた。

「女を妊娠させて、どっちの子だろうねって、遊びたかった。中絶させてもいいし、産ませてもよかった」

「……………………」

 栄治が信じ難いことをした時、大紀は頭に血がのぼるまま、暴力をふるってきた。しかし、この時だけは血の気が引いた。手を出せず、息子を見下ろしたままだった。その真っ黒い瞳に囚われた。

「また俺を虐待する? 悪さしないように、縛って、閉じこめる?」

 大紀は首を振る。

「もう俺を学校に行かせないんでしょ? 裕太に迷惑かけないために。別にいいよ。学校、行きたくないし」

「……裕太に迷惑をかけないなら、通ってもいい」

「今更いい父親ぶって、誤魔化すなよ」

「その言い方は何だ? 俺だって、お前の為に人生を捧げてきたんだぞ」

「本当に?」

 大紀の罪悪感を突いた。

「お父さん……俺のことを犯してよ、女みたいに。俺のことを『ママ』って呼ぶでしょ?」

 栄治はTシャツを脱いで、裸になった。父親の前で、性器を露わにした。幼児の頃とは意味も形も異なっている。栄治は顔をあげて、「きたら」と投げやりに誘った。

「………………」

 大紀の目は栄治を完全に拒絶していた。

『そうか』

 栄治は悟って、ぼろぼろ泣きだした。父は狂った息子を見下ろして、自分も泣きそうになった。

「……そんなこと、しないでくれ」

 栄治は大紀にしがみついた。

「じゃあ、俺を殺せ!」

 大紀は怯えて、必死に栄治を引き剥がした。

「やめろ!」

 大紀は心の底から、叫んだ。

『悪夢だ、これは現実じゃない』

 父親として、栄治を抑えることは、もう不可能だった。

 突き飛ばされた栄治は胎児のように蹲っている。大紀は「ごめん」と謝って、恐る恐る、栄治の頭に触れた。まだ濡れている。鳥肌がたって、耐え切れず、外に逃げ出した。

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