第41話

 大紀はテレビを眺めていた。疲れたとさえ思わず、無気力のまま、ビールを飲んでいる。

 携帯を手にとって、新しい連絡がきていないかを確認した。すると、迷惑フォルダの中に、ちょうど新しいメールが放り込まれた。メッセージを読んで、すぐ外に出て、電話をかけた。

「もしもし?」

 臆病そうな少年の声が「もしもし」と返ってきた。大紀は「メール読んだよ」と優しく言った。裕太は大紀の声に怯えた。脅されているわけでもないのに、恐ろしい。

「……今、話してもいいですか?」

「うん。外にいるから、栄治にも聞かれないよ」

 裕太は安心したが、話すのに勇気がいる内容だ。暫く沈黙すると、大紀から切り出した。

「無関係な子を巻き込んだって、どういうこと?」

 すると、裕太は必死に「僕も悪いんです!」と叫んだ。

「同級生の女の子と、栄治が……」

 セックスという言葉を告げられなかった。ちゃんと話さなければ、誤解されるかもしれないが、どうしても、その言葉だけは口から出ない。

「……裸の映像を、撮らされて……僕も裸にされて、その映像を流すって、脅されました」

 大紀は溜息をついた。

「分かった、その映像を消せばいいってことね?」

「はい。迷惑をかけて、ごめんなさい」

「いいよ、こっちの方がかけてるし」

『そう思うなら、なんで引っ越してきたんですか?』

 裕太は問い詰めたくなった。栄治一人で引っ越せるわけないし、結局、大紀の意志で伊藤家に……伊藤明理に会いに来て、裕太は迷惑をかけられている。栄治はその犠牲になっているだけだ。

「栄治を責めないでください」

 大紀ははぐらかして、「中学を卒業したら、引っ越すよ」と言った。

「本当ですか?」

「今、決めた」

 軽薄な口調に、裕太は不信感を抱いた。

「映像のことは何とかしとくから、安心して。女の子にも大丈夫だって、言っといて」

「……はい」

「他に困っていることは無い?」

「………………」

 大紀は裕太に語った。

「栄治はね、裕太君がいると、どうしても悪いことをせずにはいられないみたいで。これ以上、迷惑かけたくないし、栄治が犯罪者になっても困るし、もう会えないようにしてあげようか?」

「え?」

「栄治を学校に行かせないようにできるよ」

「でも――」

「大丈夫。栄治は裕太君みたいに、賢い高校に進学するわけじゃないし」

 嫌味な言い方だ。裕太は堪らず「栄治が可哀想じゃないですか」と非難した。だが、大紀は冷たく「優しいね」と褒める。ドロッとした悪意を浴びせられて、思い知った。

『この人も僕を怨んでる……僕の両親のことも』

 裕太は栄治の痣を思い浮かべながら、「栄治を苦しめないでください」と頼んだ。大紀は「裕太君に会うから、栄治は苦しむんだよ」と言い返した。

 裕太に罪をなすりつけているようで、大紀も気分は良くない。不愉快な虫を噛み潰したように、口の中が不味くなった。自分が大人げないことも分かっているのに、幼稚な言動を変えられない。裕太が言葉を失ったが、無理もない。

「裕太君ってさ……栄治から俺達のこと、聞かされてるんだよね?」

「……はい」

「もしもの話だけど、裕太くんのママが栄治と一緒にいたいって言ったら、譲れる?」

「………………」

 あの時の嬌声が響いた。

 けど、これまでと違って、泣き声のように聞こえた。明理と大紀の泣き声に。裕太は母に囚われた栄治と大紀と、自分も哀れんで、「譲ります」と答えた。そうしなければ、栄治と大紀は死ぬまで、怨みから解放されないだろう。

 大紀は「やさしいね、ほんとに」と感心する。

「でも、裕太君がよくても、お父さんは嫌がるんじゃない?」

『……可哀想な栄治の人生が救われるなら』

 裕太は「説得します」と答えた。裕太の中で、何かが目覚めつつあった。

「栄治に散々、嫌な目に遭わされたのに、憎たらしくないの? 自分を犠牲にできるの?」

「はい」

 裕太ははっきり答えた。

『誰の血をひいてるんだろう?』

 大紀は微かに気圧されていた。

「……他に用事が無いなら、きるよ。あとは任せといて」

 裕太は「お願いします」と言った。暫くしても、切れないので、大紀の方から切った。

「!」

 大紀が振り返ると、音も無く、栄治が立っていた。白いTシャツを着ているが、亡霊のようだ。「誰と話してたの?」と聞くが、大紀は「仕事の、人」と嘘ついた。

 Tシャツから露出する腕や脚を見て、『痩せてる』と気づいた。引っ越す前より、ずっと細い。大紀の目の奥が痛んだ。「髪、かわかしな」と言いながら、ドアに向かうと、栄治も中に引っ込んだ。大紀は鍵を閉めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る