第39話

 二学期の始業式の日、僕は学校に行けなかった。「いってらっしゃい」と母に送り出されてから、歩き続けても、学校に辿り着けなかった。

 あてもなく、薄汚れたスニーカーを見下ろした。いつまで地獄は続くんだろう? 僕が生きている限り、復讐は終わらないの? このままじゃ、栄治の怨みで窒息してしまう。

 ……やっぱり、僕の母親を栄治に返してあげるべきなのか。母を返すかわりに、映像を消してほしいと頼むべきなのか。でも、自分の幸福のために、母を犠牲にするなんて、残酷だ。

 だったら、僕が犠牲になって、栄治を殺せばいいの? どうせ、僕の人生には夢も希望も無いんだから……思い詰めると、ハッと解決策が降ってきた。

『栄治のお父さんに、映像を消してもらうのは?』

 虐待されているから、栄治は大紀に敵わないかもしれない。良心の呵責はあるけど、好きだった女の子を巻き込んでいるから、なりふり構っていられない。

 栄治の罪を大紀に告げる方法を考えた。大紀と母は不倫しているから、連絡を取り合っているはずだ。母の携帯に大紀の連絡先が登録されているかもしれない。それを盗み見れば……最低な方法だけど、僕達の怨みごとに無関係な佐山が苦しまないように、どんな手でも使わねばならない。

 その時、僕の携帯が震えた。母からの電話だ。恐る恐る耳にあてると、「学校から連絡がきたよ? 何があったの?」と心配された。僕は「ちょっと頭が痛くなって」と嘘ついた。

「どこにいるの? 迎えにいくよ!」

「……ごめんなさい」

「いいよ、どこにいるの?」

 僕は帰る気になれなくて、「治ったから、学校にいく」と言ったけど、「もう始業式は終わって、みんな帰ってるみたいだよ」と言われてしまった。

 明日から一日中、学校に拘束される日々が続く。でも、不登校児だった頃のように、家で母と過ごすことに耐えられない。僕には、もう逃げ場が無かった。

「じゃあ、今から帰る」

 母の言葉を待たずに、電話を切った。


 裕太が家に帰ってきて、明理は「おかえり」と迎えた。裕太は目を合わせずに「ただいま」と言い、すぐ二階にあがった。明理は慌てて、呼び止めた。

「病院にいった方がいいんじゃない? 受験生なのに、もしものことがあったら大変でしょ!」

「大したことないよ」

 裕太は部屋に閉じこもった。明理は嫌な予感がした。不登校になった時と同じだったから。あの時も急に学校を無断欠席するようになった。まさか、高校受験を控えた今、つまずいてしまうのか? 

 裕太の部屋のドアノブに手をかけた。鍵がかかってないことに安心した。勝手に入っていくと、睨まれた。明理は申し訳なさそうに励ました。

「卒業できるまで、頑張って……あともう少しでしょう?」

「明日からは、学校に行くから」

 不愛想な声に縋ることもできず、明理は「うん」と小さく答えて、部屋から出た。鍵が閉まる微かな音に振り返った。物音がしない裕太の部屋を見つめた。

 それから、加奈の部屋も見た。大紀と不倫したことを思い出して、心の奥底で恍惚とした。加奈の部屋でしたのは単純な理由だ。誰も使っていないから、大紀の匂いがついても気づかれない。まさか夢にも、あの時、裕太が隣の部屋にいたとは思わない。栄治もいたなんて、心に掠めもしない。当然のことだ。あの時、裕太は塾に行っていたはずで、栄治は大紀の家にでもいただろう……そんなことに、明理が思いをはせることさえ無かった。


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