第35話
裕太がいなくなった後、リビングに残された健司と明理は、誰かが亡くなった通夜のように黙っていた。明理が「もう変えられないね」と冷ややかに切り出した。
「私は家族が大事だよ? 勿論、栄治と大紀のことも可哀想だとは思っているけど」
「一回、子供の為とか考えるのをやめろ。大紀と俺と、どっちと一緒に生きたいかを、裕太が卒業するまでに決めてほしい」
「どうして、今なの? 裕太が受験で大変なのに」
明理に問い詰められて、健司は苛立った。
「仕方ないだろう? 急に引っ越してきた大紀が悪いんだ」
「………………」
「お前と結婚せずに逃げた大紀を怨んでくれ。何もかも、そのせいで狂ったんだ。アイツがお前に金を選ばせたんだろ?」
明理は口を開いて、健司を見たが、また黙った。健司はその目を見ながら「ちゃんと分かってるよ」と告げた。
「お前が本当は大紀を愛しているのに、子供を育てるために、俺と一緒にいるから、こんなことになったんだ……栄治を受け入れられなかったのは、本当に俺が悪かったけどな」
栄治を大紀に任せたせいで、大紀は栄治を口実にして、再び明理に会いにきてしまった、と健司は考えている。結局、健司の中でも、責任は子どもに転嫁されていた。どれほど口で繕っても、その奥には自己中な本音があった。
「お前は十分、責任をとってるよ。もうしたいようにしてくれ」
健司は突き放すように告げた。明理は「そんな言い方!」と叫んだ。
「私だって、子供が大事だよ!」
健司の目は冷酷なままだ。
「子供を大事にするには、お金が必要だろう? そしたら、俺を選ばざるを得なくなる。お前は専業主婦だし、学歴も職歴も無いしな。だから、子供のことは考えないでくれ。どのみち、裕太は俺が稼ぐ金でしか育てられない。大紀の給料じゃ、大学まで通わせられないからな。あいつとは教育方針も違いすぎるし、お前が大紀を選んでも、裕太は絶対にやらない。加奈も」
「……………………」
明理の目の前は暗く霞んだ。
「子供と離れたくないからって理由で、俺を選ぶな。お前が大紀を愛するなら、大紀と一緒になってくれ。そうじゃなきゃ、不愉快で耐えられない」
明理は我慢しきれず、「今更」と白状した。たった四つの『いまさら』という音で、健司は『やっぱり、そうだったのか』と悟った。明理の目に怒りがこみ上げてくるように見えたが、健司は目を逸らして、立ち上がった。明理は叫んだ。
「待って! どうして! ずっと、家族でいたのに!」
健司は傲慢に止めの言葉を刺した。
「そんなことを言うなら、どうして不倫したんだ?」
「………………」
新たな言葉が女から生まれる前に、男はリビングから去った。
僕は勉強机に向かったけど、一文字も書けなかった。真っ白いノートに、ぐしゃぐしゃとペンを叩きつけた。でも、スッキリしない。栄治と出会ってから、何度も味わっている気持ち悪さだ。
……僕はどうなるの? これから、お母さんと二人きりで暮らすの?
身震いが起きた時、携帯が鳴った。佐山から、メッセージが届いている。明日、大事な用があるから、S駅まで来て、と書いてある。急な連絡だけど、両親から離れられる救いを感じた。すぐに〈分かった〉と送った。その返信はこなかった。
光太のことだろうか……セフレを提案したのが、僕だってバレたのかもしれない。何もかも、僕が悪いんだ。自分に言い聞かせた。
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