第34話
加奈が東京に戻ってから、僕は憑かれたように、勉強漬けの日々を送った。塾に行く時以外は、殆ど自分の部屋にとじこもり、何時間も机に向かった。
極力、家族がいるリビングにはおりないようにした。食事も両親と時間をずらして、後から自分の部屋に運んで、一人で済ませた。同じ家に住んでいるのに、両親と顔を合わせる頻度はかなり減った。父とは一日に一回も顔を合わせない日さえ増えた。
そのおかげか、偏差値を六十近くまであげられた。努力の成果を得られた。驚異的に成績があがったから、塾の講師も驚いて、母も喜んだ。あまり顔を合わせなくなった父も「頑張ってるな」と褒めてくれたから、僕は喜んだ。空っぽの満足感を味わいながら。
でも、ある日、僕が塾から帰って、すぐ自分の部屋に閉じこもろうとすると、母に呼び止められた。
「大事な話があるから、待って」
僕は不安になりながら、リビングに入った。ダイニングテーブルに家族三人が揃って、緊張した。僕の向かいには、父がいる。妙な圧迫感があって、畏縮した。まさか、不倫のことを……それとも、僕が孤児だって知ってることを、加奈が両親に言ったのか?
身構えていると、父は「転勤が決まった」と告げた。急なことで、僕は驚いた。時期も不自然だ。しかも、父は公務員だ。転勤するイメージが無い。
「母さんと二人で暮らすことになるけど、特に変わることは無いからな」
僕はどこに目を向けようもなく、テーブルクロスの模様を見ていた。何故だか、物凄く怖い。母さんと、二人きりで過ごすなんて……嬌声が心に響いて、震えかけた。ぐっと体に力を入れて、耐えた。
「いつ戻ってくるの?」
父は「分からない。暫く……いや、ずっと戻れないかもしれない」と答えた。僕は「そう」と言って、黙った。両親も黙った。
なぜ父が転勤を告げただけで、こんなに重苦しい空気になるのか? 僕は自然に去るための言葉を必死に考えた。もう一秒たりとも、この場にいたくない。
「……父さんがいなくても、勉強頑張るよ」
僕は微笑んだ。父も微笑んで「ああ、頑張れよ」と応援してくれた。その流れにのって、「じゃあ、今日も勉強しなきゃ」と続けて立ち上がったけど、父が「俺がいなくなっても、母さんに迷惑かけないようにしろよ」と言った。
『迷惑?』
僕は恐れながら「うん」と答えた。また心に傷がついて、血の冷たさが広がっていく。
「ちゃんと、家の手伝いとかしろよ。ぜんぶ母さんに任せてるだろ? 裕太もいずれ加奈と同じように一人暮らしするなら、家事をこなせるようにならないとな」
僕は『ああ、そういうことか』と安心して、心の傷を必死に塞いで、頷いた。
「お父さんも、これから一人暮らしだから、家事を自分でやらないとな」
父の呟きには答えず、僕はリビングから逃げるように、階段を駆け上がった。
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