第30話
お盆に、姉の加奈が帰省してきた。伊藤家は久々に家族四人の団欒を楽しんだ。何も知らない加奈は笑顔で過ごしている。その姿を見ると、僕は救われる気がした。風穴があいて、息をするのが楽になった。
入浴後、僕は加奈に呼び出された。帰ってきた姉が自分の部屋で過ごすのは当然のことだけど、ベッドで起きた罪を、僕は聞いている。その部屋に入る時、躊躇したせいで、不思議そうに「裕太?」と呼ばれた。僕は焦って、すぐ中に入った。
ベッドが見えた時、耳鳴りが響いた。あの時の嬌声が蘇って、鳥肌がたった。今晩、加奈はあのベッドで寝る。僕が加奈なら、一秒も耐えられないだろう。
姉弟で座卓を囲んだ。
「お父さんと、お母さんと、上手くやっていけてる?」
「え?」
まさか、不倫のことを知っているのか、と不安になったけど、上京した姉が家族を気にするのは変なことじゃない。「これまで通りだよ」と落ち着いて、嘘をついた。僕の視界には、どうしようもなくベッドが入ってくる。
「そっか、よかった」
一瞬、生い立ちの秘密なら打ち明けてもいいかもしれない、という魔が差した。僕は少しでも、自分の心の重荷を軽くしたくて、加奈に縋った。
「聞きたいことが、あるんだけど……」
「何?」
「……僕が産まれた時のこと、覚えてないよね?」
本当は『僕って、孤児だったんでしょ?』と、単刀直入に切り出したいのに、できなかった。心の重荷を思い通りにぶちまけられないことが、もどかしい。僕はそんなに弱い人間じゃない、強い人間でなきゃいけないのに。
加奈は「覚えてないよ」と答えた。
「覚えてるわけないよね」
僕はうつむいた。
「……もう、知っているの?」
加奈の言葉に、顔をあげた。
「僕は……孤児、なんだよね?」
「………………」
加奈は悲しそうに頷いた。僕が孤児であることを知っていたんだ。また家族に裏切られた悲しみが込み上げてきた。加奈は「どうして、知ったの?」と聞くから、「同級生から聞かされた」と正直に答えた。
「誰?」
「加藤栄治」
加奈は顔をしかめて、目を逸らした。
「加奈は、どうやって僕が孤児だってことを知ったの?」
「うちは、裕太と施設から引きとられた時のことを覚えているから」
「!」
加奈も血の繋がりがないのか? 僕は、嬉しくなってしまった。自分だけが孤独に閉じこめられずにすむから。
加奈は淡々と話し出した。
「子供の頃、父さんと母さんを問い詰めて、自分が孤児だってことを確認した。でも、裕太が孤児だってことは言わないでって頼まれたんだよ」
「どうして?」
「分かんない」
僕は安心に縋りつくように、聞いた。
「加奈も、血の繋がりは無いんだよね?」
姉は――残酷に首を振った。また一人ぼっちで、暗闇の中にとり残された。
「うちも無いと思っていたけど、あるって分かった。おばあちゃん家に行ったから」
「おばあちゃん?」
「お母さんの、お母さんだよ。内緒で実家に行ったら、ぜんぶ教えてくれた」
加奈は栄治と同じように、真相を知っているんだ。
「僕にも、教えて」
もうここまできたなら、全てを知りたかった。知ったうえで、心が壊れるかどうかなんて、どうでもいい。自暴自棄みたいだけど、微かに火が燃えている心地がする。あたたかいんじゃなくて、鋭い痛みのある火。
「栄治には、どこまで知らされてるの?」
僕は栄治から聞かされたことを、加奈に語った。お母さんと大紀が恋人だったこと。お母さんはお父さんと結婚したけど、大紀と不倫して、栄治が産まれたこと。栄治を育てることを、お父さんが拒んだから、大紀が養子として、育てたこと……姉は真剣に聞いてくれた。
「僕達は母さんが栄治を産んだ後に引きとられたの?」
加奈は頷いた。
「うちらの生い立ちのことは、いつか裕太にも話さなきゃいけないと思ってた。父さんと母さんは何も知らせないつもりだから」
「……今、話してよ!」
「本当に後悔しない? 裕太は高校を卒業するまで、この家にいなきゃいけないでしょ?」
その真相は、一緒に暮らすのが嫌になるほど酷いものらしい。僕は覚悟を決めた。
「いいよ」
「……色々、複雑なんだけどね」
加奈は前置きして、語りだした。
「うちは裕太と同じように、孤児院に預けられた子どもだけど、お母さんから産まれてるんだよ。お父さんは……伊藤健司か、加藤大紀か分からないけど」
僕はすぐに理解できなかったけど、黙って聞いた。
「お母さんが高校生だった時、大紀さんと、お父さんが、実家に下宿したらしいの。お母さんは二人と付き合っていて、妊娠したんだって。おばあちゃんは中絶をすすめたけど、お母さんは拒んで、うちが産まれた。でも、お父さんが、どっちか分からないし、二人とも大学生だから、孤児院に預けられた。うちが幼稚園生だった頃、まだ赤ん坊の裕太が孤児院に来て、火傷が気になったから、いつも一緒にいて可愛がったんだよ。そしたら、急にお父さんとお母さんが孤児院に来て、うちを引き取ろうとした。でも、裕太と離れるのを嫌がったから、一緒に引きとられたんだよ」
僕は茫然とした。本当に、僕だけ血の繋がりが無かったんだ……しかも、お父さんとお母さんは、僕を引き取る気は無かったのか。息苦しくなったけど、加奈は優しく僕の背中を撫でてくれた。
「血の繋がりなんか無くても、うちは裕太のことを大事に思っているし、お父さんもお母さんも……裕太を大事に思っているのは、本当のことだから」
「……うん」
僕は父と母と姉の愛情を、ちゃんと感じていたから頷いた。十五年間の思い出が証明してくれる。ただ僕から流れたのは嬉しさの涙ではなく、寂しい涙だった。
加奈の手はあたたかい。僕は「ありがとう」と感謝した後、「ぜんぶ知れて、スッキリした!」と明るく言った。姉も笑ってくれたけど、後ろめたそうだ。僕は「心配しなくても、家族を怨んだりしないから」と冗談めかした。加奈は気味悪いほど優しい口調で言った。
「耐えられなくなったら、うちをストレスの捌け口にしていいから。明後日には東京に戻るけど、遠慮しないで、いつでも電話してよ。すぐに出られなくても、絶対に折り返してかけるから」
「うん」
僕は大袈裟に頷いて、心の傷を隠した。
加奈と慰め合うのは……無理だ。どうせ、僕は独りぼっちだから。「勉強しなきゃ」と告げて、ドアに向かった。加奈が「無理しないでよ」と言うから、僕は「うん」と振り返らずに答えて、自分の部屋に戻った。
受験勉強なんかできず、ベッドに倒れた。天井を眺めて、「僕って、何?」と呟く。その声音に寒気がした。
『厨二病みたい』
自分で自分を馬鹿にして、無理やり心の傷を塞ごうとした。自分の中で、もがく叫びを聞かないようにするために。
『僕の中にも、僕の嬌声が響いている』
心臓に手を置いた……何か、小さな物が動いている。死にたくはないけど、生きる気力が削がれていく。罪を犯した囚人として、刑期を終える為だけに、人生を送っているみたい。もしかしたら、産まれた時から終身刑だったのかも、なんて……。
頑張って、受験勉強しないと……この家から出ていくために。伊藤家から、自分を排除できれば、それでいいんだ。また天涯孤独になった後のことは白紙で、夢も希望も無い。何もかも、どうでもよかった。
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