第24話
翌日の昼休み中、学校の階段の踊り場で、僕と栄治は話した。
「浮気のこと、言ったの?」
僕は勉強会で光太と話したことを告げた。栄治はニヤニヤしている。
「セフレかあ、いいこと考えるね? 俺もなろうかな」
顔をしかめると、嫌味を吐かれた。
「母親の不倫は綺麗に扱うくせに」
「栄治こそ、自分のお父さんが不倫したのに、よく佐山のセフレになろうと思えるね」
「俺はとっくに、大紀がヤリチンだってことを知ってるから、抵抗無いんだよ」
僕が吃驚すると、「何人も付き合ってる女がいたもん」と平気で暴露した。まさか、僕の母も遊ばれたのか? 恐れていると、栄治は微笑んだ。
「裕太のママだけは特別だったよ。引っ越す前に付き合ってた女と別れたもん」
「………………」
栄治は念を押すように語った。
「大紀にとって、裕太のママ以外の女は本当にどうでもいいんだよ。性欲を発散するための道具だし、寂しさを紛らわすための道具」
「……栄治のお母さんも?」
「………………」
俺は開いた口が塞がらなかった。裕太はどうしようもなく『いい子』なのかもしれない。でも、憎しみがどんどん積もっていく。
「俺のママも、どうでもいいんだろうね」
「まだ見つからないの?」
俺は馬鹿馬鹿しくなってきた。自分が蒔いた悪意の種だけど、純粋らしい裕太の言葉で枯らされていく。
「じゃあ、死体でも探しにいこうか?」
仕方なく、裕太を誘ってみた。
「なんかね、目撃情報があったから、そこにいけば見つかるかもよ。裕太も一緒に来る?」
僕は戸惑った。全く現実味が無い。それでも、頷くしかなかった。
放課後に、二人でS駅前商店街を歩いた。
「受験勉強してる?」
僕は「してない」と即答した。
「普通の高校生にならないの?」
「なるけど……栄治は勉強してんの?」
「するわけないだろ。俺はしかたなく、高校生になるだけだし。本当は中卒で働きたいけど、大紀がさ、『高校生にはなっとけ』って、うるさいから」
「栄治を心配してるんだよ。中卒で働くって、なんか大変そうだし。よく知らないけど」
「確かに、学歴社会だし、馬鹿にされそうだね」
「……うん」
「別に、なりたいものがあるわけじゃないんだよ。だから、何だっていいんだよ。でも、どうせ何かに、なっても……俺は何にもなれないんだろうな」
栄治は独り言のように呟いた。僕は理解できない、けど、共感はできそうな虚無だ。「どういうこと?」と聞いた。
「だって、いずれ社会人になるんだろ? 親が脛を齧らせてくれない限り、金を稼いで自立しなきゃいけないんだから。そのことを話しただけ」
「うん?」
「俺はそもそも自分が何なのか分からないから、今が好きじゃない。早く自立したい。でも、なりたい何かが在るわけじゃないし、何かになって、金を稼いでも……結局、何にもなれないんだろうな、てこと。だって、俺は産まれた時から……いや、産まれる前から、何でも無いはずだったから」
『どうして?』
その虚無を解明するのは、骨が折れそうだ。
「わけわかんないだろ?」
「うん」
「……俺は、親が産むために身籠った子じゃなかったんだよ。産むつもりじゃなかったけど、産まれることになった。親が人殺しになりたくないっていう理由で、仕方なく育てられたんだ。俺を喩えれば……石が転がった先の、水の波紋じゃないかな。それが消えずに、たまたま、今も息が続いてるだけ」
「………………」
栄治は自分の命を拒絶するように語った。僕は何と言い返せばいいのか分からなかった。でも、黙っているのは、絶対によくないってことは分かる。
「僕は、栄治が生きていても、いいと思うよ」
こんな言葉で正しいのか? 不安に襲われながら告げた。栄治は黙っている。僕は「ごめん」と謝った。栄治はずっと黙っている。
暫くして、「母親の死体はこっち」と言って、飲食店と接骨院の間にある細い路地を抜けた。はっきり『母親の死体』と断言することに恐怖をつのらせながら、いきつくところまで、ついていった。
栄治が立ち止まったから、僕も止まった。何も無い一坪ぐらいの空地だ。土と雑草が剥き出している。何の為か分からないけど、電灯が一つだけついている。僕が見上げて、見回すと、ビルが空地を囲むように建っていた。ここは隠されるべき秘密の空間のようだ。
栄治は空地の真ん中で、じっと下を見つめている。僕も隣に並んだ。
ここに、栄治の母親の遺体が在ったのか? 何も痕跡は無い。栄治の言葉を待っても、黙っている。
……真夏なのに、やけに涼しい。曇天のせいか、夜のように暗い。僕はずっと待っていたけど、息苦しくなって、「ここ?」と聞いた。
「俺の母親は、ここで死んだ」
「………………」
そこには何も無い。
僕は「ごめん」と謝った。
「なんで?」
「栄治のお母さんがいなくなったのは、僕のお母さんのせいだから」
「裕太が謝罪しても、生き返るわけじゃないよ。それに、俺の母親なんて、存在してないんだから」
「……え?」
「俺のママは、裕太のママの嘘で生まれたんだよ」
僕は言葉を失った。
「修学旅行で見せた写真のこと、覚えてる?」
僕は辛うじて頷く。栄治は鞄から写真を出した。
「ここに映ってる女の人、裕太のママだよ」
「栄治のお母さんでしょ? 栄治が言ったじゃん。それに、僕のお母さんも双子の妹がいるって――」
「ぜんぶ嘘」
僕は首を振った。
「僕のお父さんも、栄治のお父さんも、双子の姉妹だって……」
「嘘だよ」
「何の、為に?」
「皆、お前を守るために必死こいたんだよ。なんでか分からないけど。俺まで大人の都合に振り回されて、お前に嘘つくしかなかった。でもね、最初から一つだけ、本当のことがあるんだよ」
「何?」
「この写真を見せた時、お前は自分の母親だって、言ったよね? でも、俺は違うって言った。それは本当のことだよ。だって、この人は俺を産んだ母親だから」
栄治は僕と向き合った。
「裕太のママが、大紀との間に身籠ったのが俺なんだ。しかも、裕太のママが、伊藤健司と結婚した後にね。二人ともセックスしなかったのに妊娠したから、不倫がバレたんだ。でも、裕太のお父さんに離婚する気は無かったし、大紀も明理を譲った手前、奪い返せなかった。かっこつけて、馬鹿だよね……俺が産まれたら、裕太のお父さんが育てることを拒んで、大紀が養子として、引き取ったんだよ」
「嘘だ」
「本当」
「………………」
僕は絶望した。父と母に騙されたことを知ってしまった。しかも――。
『だったら、僕は一体、何者なの?』
栄治がコウノトリと言ったのは冗談ではなく、残酷な事実から生まれた悪口だったのか?
「俺が話したこと、親に言わないでね」
「……お父さんに、虐待されるから?」
栄治は頷く。
「そういえば、裕太は俺が虐待されてることを不思議がってたけど、今なら理由が分かるんじゃないの?」
僕は首を振った。
「俺が三角関係を搔き乱すことを、大紀は許せないんだよ。だったら、ここに引っ越してこなきゃよかったのにね。裕太にとっては最悪だろうけど、大紀はきっと、裕太のママを奪いたいんだよ」
「!」
「どう? これでも、裕太はママのことを許せる? お父さんのことも……大紀のことも」
栄治は遺体を見下ろした。僕も見下ろした。二人でどうしようもない死を悼んだ。
「……許すとか、許さないとか、考えられない。僕は父さんと母さんを許せなくても、憎むことなんて、できない」
「どうして?」
「僕は……父さんと母さんの子じゃないんでしょ? なのに、育ててもらってるんだから、文句を言う資格なんて無い。栄治も言ってたでしょ? 僕は、寄生虫なんだから」
「………………」
俺は裕太を哀れんだ。親より下等な生き物になって、無関係を貫こうとするなんて。
「じゃあ、両親と一緒にいない時は、俺と同じ人間でいられるね」
会ったばかりの時のように、優しく微笑んだ。
「もう帰ろう。ここは不良の溜まり場だから、誰か来る前にいなくならないと」
俺は裕太の手首を引っ張った。細い路地を抜けて、賑やかな商店街に戻っていった。
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