第23話
僕は光太を勉強会に誘って、家に帰ってきた。母が笑顔で「いらっしゃい!」と迎えてくれた。光太も笑顔で「お邪魔します」と挨拶した。
僕の部屋で勉強していると、母が飲み物とお菓子を盆に乗せてきた。光太は「ありがとうございます」と頭を下げる。母は笑顔で「頑張って!」と応援して、出ていった。
「美人だよなあ、裕太のお母さん。今、朝ドラで主演やってる女優みたい。名前ド忘れしたけど」
「うん……」
暫く勉強した後、休憩がてら、話し始めた。
「滑り止め、どこにする?」
僕はS高と答えた。
「やっぱそこだよな。過去問やった? そんなに難しくないよ」
「マジで? すごいね」
「いや、解いてみ? 大したことないから」
僕はいつ佐山の浮気をバラそうかと考えた。光太が「冷房、もっとさげていい?」と聞くから頷いた。光太は汗かきだ。部活動をやめたのに、日焼けしている。でも、艶があって、生命力が漲っている。僕の肌も浅黒いけど、光太より青みがかって、不健康そうな土気色だ。
僕は時計を見て、光太を見て、『今、言おうか、いや……』と躊躇し続けていた。挙動不審なせいで、光太から「どうした?」と心配された。
「いや、別に」
「そういえば、塾の小テストでも、ヤバい点数とってたよな? 大丈夫? 克服できない教科があるとか?」
光太は相談に乗ろうとしている。でも、母が不倫したせいで、受験勉強できないなんて、口が裂けても言いたくない。
光太に母を軽蔑されたくなかった。自分以外の人間に、母が悪者として扱われるのも耐えられない。それに、母の不倫を打ち明けるぐらいなら、佐山の浮気を打ち明けた方がいい。
「……勉強のことじゃなくて、佐山のことなんだけど」
「佐山?」
予想外の名前だったらしく、光太は驚いた。
「昼休みに、長谷川と二人きりでいるのを見かけた」
「マジ?」
「浮気をばらすって言ったら、別にいいって……僕も別れた方がいいと思う」
光太は「なんで?」と聞く。『なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ』というニュアンスだ。
「だって、その方が受験勉強に集中できるじゃん。佐山に拘らなくても、光太なら高校でいい彼女つくれるよ」
僕は励ましたつもりだけど、光太は苛立って、「なんだそりゃ」と吐き捨てた。僕の方が、なんだそりゃ、て言いたいよ……。
光太が別れたがらない理由が分からない。一つだけ思い当たるけど、あまりにも馬鹿馬鹿しい。一応、「なんで佐山と別れるの嫌なの?」と聞いた。光太は答えなかった。
「学年でも噂になってるよ? なんで光太が佐山と付き合うんだろうって」
「それ、よく言われるけど、なんで?」
気まずくなったけど、僕は説明した。
「光太は優等生だけど、佐山は優等生じゃないから」
「なんで、優等生じゃないんだよ?」
突っかかる光太に怯んだ。
「去年、同じクラスだったけど、そんなに勉強熱心なイメージなかったし」
「ただのイメージだろ? 恵梨香は馬鹿じゃないよ? てか、お前より成績いい」
「えっ?」
僕は吃驚した。光太は溜息をついた。
「どうせ外見で決めつけてんだろ? 恵梨香は巨乳のせいにしてたけど」
僕の顔は熱くなった。恥ずかしくて、すぐに言い返した。
「でも、光太が別れたくない理由だって、巨乳じゃないの?」
すると、光太も顔を赤くして、目を逸らした。図星なんだ。馬鹿馬鹿しくて、「一回ぐらい、やれば?」と適当に勧めた。
「誘われたことは、何度もあるよ。『受験生だからって、お坊さんみたいに禁欲しなくてもいいんじゃないの』って」
「じゃあ、禁欲するのやめれば?」
「……恵梨香が言うにはな、大人は仕事しながらセックスしてんだから、学生も勉強しながらセックスしていいだろってさ。でも、俺は恵梨香とやったら、歯止めがきかなくなる気がすんだよ! ホントに煩悩だらけになって、受験勉強に集中できなくなる」
煩悩という言葉で笑った。
「どっちみち、集中できてないじゃん。いっそのこと、やった方が落ち着くよ」
「……妊娠が恐い」
「避妊しなよ。保健の授業で習ったじゃん。コンドーム、だっけ?」
光太は「うう」と唸って、机に突っ伏した。僕はふと気になった。
「てか、佐山も受験生なんだから、光太とやったら、勉強に集中できないじゃん」
「恵梨香は看護師になりたいんだって。だから、近所の高校に進学して、推薦で国立の看護学校ねらうらしい。勉強に本腰をいれるのは高校生になってからだって」
「へえ」
馬鹿にしていた佐山が将来のことをしっかり考えて、計画的に生きていることを知って、僕は悔しくなった。
「恵梨香が言うことも、一理ある気がするんだよ。なんで中学生とか高校生がセックスすると、変な目で見られんだろうって」
「そう、かな?」
「社会人と同じようにやっていいじゃん。大学生とか、童貞だの処女だの卒業してんのが普通って感じだろ? 別に、早すぎても遅すぎても、自分がやりたきゃ、やればいいし、下手に妊娠しなけりゃいいだろって、恵梨香は言うんだけどなあ」
佐山の受け売りかよ、と呆れた。
「そうもいかねえよな? 恵梨香は俺がめちゃくちゃ性欲をコントロールできると思い込んでるけど。まあ実際、紳士っぽく振る舞ってるしな。でも、マジで一回やったら、そのことしか考えられなくなる! ……長谷川とは、もうやったのかなあ?」
僕は煩悩まみれの光太に幻滅した。佐山に浮気されたことへの同情心も消えた。何故あれほど義憤にかられたんだろう。浮気を目撃する前から、光太が佐山の体を目当てにしていることは知っていたのに。
あの栄治の言葉がまた蘇ってくる。『下品で気持ち悪い男女のドロドロしたもの』……僕は下心むき出しで、佐山とのセックスを渇望している光太を軽蔑した。その獣じみた性欲を見下して、提案してやった。
「……セフレをつくらせれば?」
光太は『正気か?』という目で見てくる。
「佐山は隠れて浮気してるから、何だかんだ、光太と別れたくないのかもよ? 試しに、本当は佐山とやりたいって言いなよ」
「そしたら、断れなくなる!」
「ぜんぶ、正直に言えば? 一回でもやったら、歯止めがきかなくなりそうで、怖いですって」
光太は茫然として、「セフレなんて……」と呟いた。僕は嘲笑いながら、諭した。
「光太と別れたくないのに、長谷川と浮気しちゃうぐらいだし、佐山は我慢できないんでしょ? だったら、セフレをつくらせて、恋人は光太ってことにすれば、浮気にはならないよ」
もしも、母の不倫が同じ論理で正当化されたら、僕は絶望するだろう。
『栄治のお父さんはセフレなの。だから、裕太のお父さんが正式な夫だし、不倫じゃないよ?』
母がそんなことを言うわけないけど、身の毛がよだった。いくら光太がキモくても、最低な助言だった。後悔したけど、光太はいつの間にか、真剣な表情になっている。まさか……嫌な予感は的中した。
「やっぱり、セフレを試してみるか」
「え……」
「なんで、お前が引いてんだよ?」
「でも、セフレって、ヤバいじゃん」
「お前が言い出しっぺだろ! 恵梨香は大丈夫だって。真面目に相談すれば、受け入れてくれるよ」
「本気でのると思わなかった」
「だから、なんで、お前が引いてんだよ! うぜえな」
僕は改めて、光太を軽蔑した。佐山への愛情なんか無いんだ。もしも愛情があれば、セフレなんて許せないだろう。佐山とセックスできるなら、何だっていいんだ。
僕は光太を尊敬できなくなった。唯一の親友だったのに、心の拠り所に出来なくなった。自分のせいでも、あるけど……僕が佐山を馬鹿だと決めつけたことに、光太はキレたけど、結局、光太も佐山の体しか求めていない。しかも、佐山が賢いと知りながら、対等に関わる気なんて無いんだから、僕より質が悪い。あくまで、やれるか、やれないか、それが問題なんだ。光太にとって、佐山の存在価値はセックスだけだ。可愛い顔と巨乳があればいいんだ。「最低だなあ」と僕は吐き捨てた。
「だから、言い出しっぺは、お前だろうが!」
光太の『最低』な選択が、僕のせいにされた。実際そうだけど納得できず、モヤモヤしながら勉強した。というより、勉強するポーズをとった。すると、光太も勉強をはじめた。
「ところで、裕太はなんで勉強に集中できないの?」
「面倒臭いだけ」
「合格できないぞ!」
僕は『黙れ』と心中で罵倒した。ふと姉の部屋の壁を見た。あの時の嬌声が蘇ってくる。誠実な愛情があっても、母と大紀の間にも、汚い性欲は横たわっていたかもしれない。でも……そんなこと……。
セックスへの嫌悪感と不快感が込み上げてくる。光太が下心を曝け出したせいで、いずれ自分も夢中になるかもしれない、ていう生々しさも迫ってくる。もう子どもではなくなるんだ。嫌悪感だの不快感だの、言ってられない。何歳までに童貞や処女を卒業するかで、人間の価値をはかる物差しも世間にはあるんだから。不倫や浮気に囲まれた僕は嫌悪感と不快感もろとも、『汚いセックス』をのみくださなければ、大人になる覚悟なんか決められなかった。
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