第22話
昼休み中、栄治から「大事な話がしたいから、外に出よう」と声をかけられた。二人で校舎裏に来て、教員の車を眺めながら、話し合った。
「裕太のママは、俺のママだった?」
僕は首を振った。
「栄治のお母さんがいなくなった話をしても、何も言わなかった」
「冷たいね」
栄治に母を侮辱されて、僕は苛立った。不倫を平気で隠す母を知っているのに。
「仲が悪かったでしょ? それに――」
言いかけて、僕は黙った。栄治に確かめたい被害妄想があるけど、証拠も無い。でも、「何?」と詰め寄られて、語った。
「栄治のお母さんがいなくなったのが、不倫のせいだとしたら……そもそも、栄治のお母さんと、僕のお母さんの仲が悪かったのは、そのせいじゃないかと思って」
「どういうこと?」
「だから、やっぱり、僕のお母さんが不倫するなんて、おかしいし……昔は大紀さんと恋人だったのかもしれないって」
栄治の目に光が差した。
「でも、栄治のお母さんが、大紀さんを奪って、僕のお母さんと不仲になったのかもって」
栄治はクスクス笑う。
「すごいね! 探偵になれるよ」
僕は被害妄想が現実だったのかと怖れた。
「確かに、大紀は裕太のママと恋人だったよ。大学生の頃ね。裕太のママは女子高生だったけど。きっと、裕太のお父さんも知ってると思うよ。同じ下宿先で出会ったんだから」
「!」
「本当に何も知らないんだね……その下宿先が、裕太のママの実家だってことも知らない?」
「………………」
裕太は言葉を失っている。俺は声をあげて笑いたくなるのを、必死に我慢した。
全部ツラツラ明かしてやったら、どうなるんだろう? 裕太は信じずに、明理と健司に確認するかな。二人は正直に白状して、謝罪するのか? それとも、嘘をつくのか? どちらにせよ、俺にとって、美味しい残酷だ。でも、親達は純粋無垢な裕太を守ろうとして、さっさと業火を消すかもしれない。そんなの退屈だ。
俺は裕太の火傷を見つめた。ホントに笑えるけど、コウノトリが運んできたような奴だ……だから、憐れで、優しくされるのかも?
裕太は不安そうに、俺をチラチラと見てくる。何もかも知って、汚された自分とは正反対だ。うざったい。どうすれば、裕太の心を嬲り殺せるんだろう? どのみち、罪人になるのは、自分なんだから……俺は口を開いた。
「大人のせいで、子どもの俺達がふりまわされんのって、おかしいね? 裕太は大人のこと、どう思ってんの?」
思春期の少年らしい疑問だ。僕はそんな疑問を抱いたこと無い。僕にとって、大人は絶対的に正しい存在で、何も考えずに従ってきたから。正しくない大人もいるけど、母の不倫を知るまでは、自分の身近にいるとは夢にも思わなかった。
「大人は……大人だと思う」
どうしようもない答えを出して、「栄治はどう思ってるの?」と聞き返した。
「そんなこと考えてないよ」
僕は呆気にとられた。栄治は楽しそうに続けた。
「俺はそもそも大人なんていないと思ってるし」
「なんで?」
「だって、俺もいずれ大人になるんだよ? ありえない!」
「じゃあ、子どものままでいるの?」
「……俺は子どもでもないしなあ」
栄治は寂しそうに笑う。
「裕太は自分のこと、子どもだと思う?」
「子どもだよ」
僕もハキハキとは言えなかった。
「じゃあ、今の裕太に子どもができたら、子どもに子どもができたことになるの?」
揚げ足とりのようだ。栄治の真意を知るために、その顔を見たけど、飄々としている。僕は惑いつつ答えた。
「子どもを産んだら、大人になれると思う」
「……じゃあ、裕太にとって、大人の定義は子どもができることなんだね?」
「そう、かな」
「俺は違うと思う」
「じゃあ、栄治にとって、大人の定義は何なの?」
栄治は暫く考えて、答えた。
「さっき、大人なんていないって言ったけど、やっぱり大紀は大人だったかも」
「え?」
急に大紀の名前が出て、僕は戸惑った。
「子どもができた責任をとったから。でも、子どもっぽい性格だし、なんか、大人と子どもが混じってるかな」
僕は体育祭で会った大紀のことを思い出した。確かに、大人らしくなかった。
「だから、子どもができて、責任をとったら、とりあえず大人だろう」
「………………」
栄治が大人になれないのは、責任をとるのが嫌だから? 僕も責任という言葉を聞くだけで、嫌悪感が込み上げてくる。大人になりたくないと、心の底で思っているからだろう。
僕達の会話は止まった。そこに誰かの話し声が近づいてきた。
佐山と長谷川だ。しかも、二人は親密な様子だ。栄治は「あの子、光太の彼女なんでしょ?」と言う。僕は動揺しながら、観察した。栄治は呑気に聞いてくる。
「光太みたいに、彼女つくらないの?」
僕は『前も同じような話をした』と気づきながら、「こんな顔だし、無理だって」と答えた。
「じゃあ、死ぬまで誰ともやらないの?」
「………………」
僕は二人がイチャイチャする様子を眺めた。
「どんな子が好き? 佐山さんみたいな、胸が大きい子?」
僕は首を振った。
「じゃあ、どんな子?」
「静かにして!」
僕は、とうとうキスを――浮気を目撃してしまった。
「あの二人、偶にここでやってるよ」
「知ってたの?」
栄治は頷く。僕は忌々しくなってきた。
「アイツら、教室では話さないくせに!」
「浮気がばれないようにしてんだろ」
「僕がバラしてやる!」
栄治は鼻で笑った。
「自分の母親の不倫は見逃すのに」
「それは……見逃さないといけないから」
「なんで? 不倫と浮気で、何が違うの? 不倫したお母さんを許すのに、浮気した佐山は許さないんだ?」
僕も矛盾を分かっていたけど、改められなかった。佐山の罪は糾弾したいけど、母の罪は沈黙したい。そうするしかないことに、やるせなさを感じても。
「お父さんと、お母さんは、僕が不倫を知る前と同じだから……家族が崩壊するよりは、許した方がいい」
栄治は皮肉めかした。
「現実逃避して、普通っぽい家族に寄生するんだね。そうしないと、不幸になっちゃうもんね」
「……寄生って、何?」
「大人に育てられる子どもって、みんな寄生虫みたいじゃん?」
僕はさっきまで語り合ったことを思い出した。
「じゃあ、産まれた子どもを責任とって、自分に寄生させることが、大人の定義?」
栄治は驚いたように、僕をまじまじと見たけど、何も言い返さなかった。僕は溜息をついて、浮気を観察した。
誰にも見られてないと思っているらしく、仲良く喋り続けている。栄治が「今すぐ光太に言っても、いいと思うけど」と煽ってきた。僕の頭に血がのぼって、二人の前に出ていった。
「何してんの?」
佐山と長谷川は目を丸くしている。僕は自分自身に怯みつつ、「さっき、キスしてたよね?」と責めた。
勇敢ではないことも、正義漢ではないことも、自覚している。光太を裏切った佐山への怒りが、実は……自分を裏切った母への怒りであることも分かっている。
この浮気問題を解決しても、不倫問題は解決しない。それでも、光太を助けて、自分も助かった気分に浸りたい。光太への同情心は、自分への同情心なんだ。
佐山は「光太にバラシていいよ」と挑発してきた。僕を全く脅威とみなしてないんだ。更に「別れたがってるのは、うちの方だし」と言い足してきた。僕を冷笑しながら。栄治も同じように冷笑して、滑稽な修羅場を眺めている。
「だったら、なんで光太と付き合ったまま、浮気すんの?」
「別れてって、頼んだよ? 勉強ばっかで、かまってくれないし。でも、別れてくれないんだもん。だから、ちょうどよかったよ。浮気がバレたら、さすがに別れてくれんでしょ」
「じゃあ、光太の前でイチャつけば? なんで隠れんの?」
佐山は僕を睨みつけて、怒鳴った。
「もういいじゃん! 裕太が光太に言ってよ! 私が言っても、別れてくれないんだから!」
二人は校舎裏から去った。僕はポツンと立ち尽くした。佐山が泣きながら、謝罪することを望んだのに。むしろ、浮気をバラすことを望まれた。今まで優しかったことも、演技だったのかと怖ろしくなった。
不埒な罪の負け犬にされた僕は駐車場の石を拾って、佐山に投げつける妄想を繰り返した。佐山は『痛い!』と泣き叫んで、頭から血を流している。
「!」
僕の背中に手が触れた。ぞわっとして、振り返ると、栄治がいた。
「佐山の言う通り、光太にバラせば? まだ昼休み終わってないし」
気の抜けた口調だ。僕は苛々しながら、校舎に向かったけど、栄治は動かない。「いかないの?」と聞くと、鬱陶しがった。
「俺はチャイムが鳴るまで休んでるよ」
傍観者らしい態度が不愉快だけど、栄治に非は無い。光太と友人ではないし、佐山と長谷川の浮気にも無関係だ。僕は舌打ちをして、歩き出した。すると、栄治が頼んできた。
「俺が言ったこと、親に確かめないでよ」
「なんで?」
「大紀に虐待されるから」
その因果が理解できない。
「……栄治のお父さんにとって、知られたくないことだから? なんで、僕に話したの?」
栄治はセミの鳴く声を見上げながら、思い出したように言った。
「夏の虫に氷の冷たさを知らせてやるって言葉、国語の授業で習わなかった?」
「習ってないよ」
「そうなんだ。俺は転校する前の学校で習ったけど。そいつが知らずに済むはずのことを、わざわざ教えてあげるって意味だよ、たしか」
「なんのために?」
栄治は嘲笑う。
「嫌がらせ」
今も二人の頭上で鳴くセミに、氷をくっつけても、嫌がらせでしかない。もしかしたら、死んでしまうかもしれない。
「夏の虫が、僕?」
「うん」
「じゃあ、氷の冷たさを知らせるのは、栄治?」
栄治は頷いた。僕は気持ち悪い汗の流れを感じながら、日陰に座る栄治を見下ろした。
「栄治が何をしたいのか分からないけど、僕は氷が好きだよ。今は暑いし。でも、栄治が氷を……どこまで知ってるか分からないけど、勝手に溶けるまで待てないんだよね?」
「………………」
俺は裕太をじっと睨んだ。
……皮肉を言えるような奴じゃないよな?
「どういう意味?」
「僕達って、親の不倫で振り回されてるけど、過去のことまで、ほじくりかえして、解決するような問題じゃないでしょ? 不倫は今、起きてるし。それを止めることも出来ないし、するつもりも無い……どうして、こんなことになったのか知りたいけど、知ったところで、どうしようもない」
「………………」
悟ってんじゃねえよ。
頭に血がのぼってきた。でも、俺にだって、プライドがあるから、怒りを抑えつけてやった。
「知らぬが仏でもないだろ? そうやって、しらばっくれて、のうのうと過ごす気なの?」
「やっぱり、何もかも知ってんだね? お母さんと、お父さん達のこと。それが苦しいの? 一人で抱え込みたくないの? ……僕が見て見ぬ振りするのが嫌なら、ぜんぶ打ち明けてよ。それでも、僕は何もせずに、聞くだけだけど」
「………………」
俺は茫然とした。何の構えもなしに、一本とられた。裕太は心配そうに俺を見下ろしてくる。
「栄治のお母さん、まだ見つかってないんでしょ? 僕のお母さんも悪いんだろうし……謝ることしかできないけど……」
栄治は「そんなことしなくていい」と遮った。その目は殺気立っていた。
「俺は親がやらかしたことを、ぜんぶ知ってるけどな、お前が想像できんのは、せいぜい半分だけだ。残りは、お前が可哀想だから、教えてやらない」
僕は「いいよ」と断言した。栄治は噛みつくように、煽ってきた。
「何も知らないままでいるのが嫌じゃないの? 平気でいられんの? 馬鹿なの? 狂ってんの?」
僕は宥めるように告げた。
「僕だって、知らないでいるのは嫌だよ。でも、知っても、どうにかできると思えない」
栄治と違って、両親から普通に愛されてきた僕には反抗する力なんて無いんだ。
「だからって、何も知らない馬鹿のままでいるのは、確かに、狂ってんのかな……」
裕太から、罪悪感が匂った。本来、彼が負う必要の無いものだ。裕太が無知でも結局、罪をなすりつけられていると気づきながら、俺は『うぜえ』と心中に吐き捨てた。我慢しきれず、叫んだ。
「狂ってんだよ! 汚い火傷が証拠みたいなもんだろ!」
直後に心中で『いいや、狂わされてんだ』という声が響いた。俺はぐらぐら揺れていた。
僕は突然、火傷を侮辱されて、真っ直ぐ心を傷つけられた。栄治への同情心とコンプレックスが激しく膿んだ。無関係でいたいのに、いられない。因縁の子を見つめた。
「栄治は狂ってないから、汚くない白い肌なの?」
『これが一番、狂わされてる証拠だよ』
俺は心中で呟いた。その時、チャイムが鳴った。
「いこう」
栄治が動かないから、僕は「先にいくよ」と言い残した。
日向に去っていく裕太が見えなくなって、俺は日陰で蹲った。
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