第14話
二人が車で出ていった後、僕は栄治と外に出た。日は暮れて、辺りは暗くなっている。
「……栄治、大丈夫? 大紀さんにバレたら……殺されるんでしょ」
「ゲームセンターで遊んだとか言っとくよ。裕太はどうすんの?」
「今日は塾に行ってる日だから、九時過ぎまで、時間をつぶす」
「塾って、そんなに夜遅くまであるんだ」
「うん」
「……じゃあね」
栄治は去った。僕はS駅に向かった。電車に乗って、M駅に降りたけど、塾の自習室で勉強する気になれず、欲しいものが無いのに、駅ビルの店を無意味に巡った。
九時過ぎに帰ると、母がいつも通り「おかえり」と迎えてくれた。僕は『やっぱり、あの女は叔母かもしれない』と改竄しかけたけど、なんで叔母が母の家で自分の夫とセックスするのか? 何もかも不自然だ。
ただいま、と言えずに、自分の部屋に逃げ込んだ。まだ青く暗いままだ。あの瞬間が蘇って、すぐに照明をつけた。
座卓を見た時、僕はハッとして、鳥肌がたった。お盆に乗せて運んだはずの、お菓子と飲み物が片付けられている。なら、母はここに誰かを招いたことを知っているはずだ。でも、普通に僕を迎えた。不倫している音を聞かれたことに気づいていないのか? それとも……僕は恐くなった。そこに母が現れた。
「晩御飯はファミレスで食べたんでしょ? お風呂に入ったら?」
僕は恐る恐る、聞いた。
「……机にあったお菓子とかは?」
「片づけといたよ。昨日、お友達を呼んだんでしょ?」
僕は『違う』と否定できた。『昨日じゃなくて、今日、来たんだよ』と。この時、全てを暴こうと思えば、暴けた。でも、「うん」と嘘ついてしまった。母は「追い焚きしたのに、冷めちゃうよ」と言い、去った。
お風呂に入っている間も考え続けた。不安の底から這い上がるために。気を抜けば、また鳴り響く嬌声を掻き消そうとして、シャワーを浴びた。髪も体も必死に洗った。
『いつから、お母さんは不倫していたんだろう?』
去年、大紀と栄治は叔母に会うために引っ越してきた。母はきっと叔母と仲直りするために、加藤家に通っていたのだろう。『主婦業の息抜き小旅行』じゃなかったんだ……栄治がクスクス笑う意味が分かった。
いつしか、母は大紀と不倫を始めていた。なんで、そんな罪を犯したんだろう。母との思い出を振り返っても、優しい姿しか見えてこない。僕はどうしても母と不埒な罪を結びつけられなかった。
下品で気持ち悪いドロドロ……という栄治の言葉が蘇る。下品な母、気持ち悪い母、ドロドロした母……全く想像できない。『伊藤明理』なんて、普通の母親だ。でも、僕はこの耳で、その嬌声を聞いている。それでも、否定したかった。
下品で気持ち悪いのは、奔放な叔母さんの方だろう……もしかしたら、お母さんは叔母さんに仕返しするために、大紀さんと不倫したのかもしれない。これが被害妄想だとしても、母の罪を軽くできるなら別にいい……そうだ。そうだよ。結婚する前、お母さんは大紀さんと本当に恋人だったんだ。でも、叔母さんが大紀さんを奪って、仲悪くなったんだ。お母さんは今も大紀さんを誠実に愛しているから、不倫したんだ。お母さんが悪いわけじゃない、はずだ。
不安の底から這い上がれた気がする。でも、父を思いやると、罪悪感に苦しめられた。僕の被害妄想が現実だとしても、父はどれくらい真実を知っているんだろう。
父は『主婦業の息抜き小旅行』の度に出張している。栄治から『偶然だと、おかしいよ?』と責められた。たぶん、母が大紀と恋人だったことを知っているんだろう……だから、叔母と仲直りする為でも、母が大紀の家に向かうのが嫌で、現実逃避するように出張していたんだ。母が不倫することを恐れているなら、止めればいいのに。まさか、不倫してもいいと思っているのか? 父は母を愛していないのか?
栄治の言葉が蘇った。
『火傷があるし、もしかしたら、コウノトリじゃなくて、火の鳥に運ばれてきたんじゃない?』
そんな馬鹿なこと、あり得ない。僕は人間だ。両親が愛し合って、産まれてきたはずだ。
僕は不倫を止める方法を考えた。でも、母に直接、訴えるのは恐ろしかった。父に頼んで、『主婦業の息抜き小旅行』を止めてもらうしかない……シャワーを止めると、また嬌声が聞こえて、震えた。
……そもそも、栄治が僕に関わってきたのは、お母さんの罪を知らせるためだったのかな……『復讐』って、誰が誰に、何をしたがっているんだろう? 抵抗できずに、どんどん三角関係の泥沼に沈められていくみたいだ。
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