第15話

 僕が水を飲むために、リビングに入った時、父はテレビを見ながら、酒を飲んでいた。母は風呂に入っている。

 僕はいつも水を飲んだ後、すぐ自分の部屋に戻るけど、今は嬌声に襲われる気がして、父の傍に向かった。安心を求めていたし、頼みごとの為でもある。晩酌の隣に座ると、チラッと見られた。

「どうした? 受験勉強に疲れた?」

「ううん」

「裕太と同じ高校を目指している奴は、どのくらいいるんだろうなあ。確か、光太君も同じところを目指しているだろ? ライバルだな」

「うん」

「……栄治君はどうなんだ? 今年から同じクラスで仲良くしてるんだろ?」

「栄治は、通信制か定時制の高校に働きながら通うって」

「そうか」

 父はテレビを見ている。横顔から感情をよむのは難しい。僕は時計を見た。母はいつも長風呂をするけど、もたもたしていられない。僕は切り出した。

「お母さんが、偶に旅行してるよね」

「ああ」

「……やめさせられないかな」

 父と目が合った。緊張する一瞬だった。

「どうして?」

 僕は脱衣所で考えておいた理由を語った。

「受験勉強の、やる気が失せるから」

 父は納得したように「ああ」と頷く。

「確かになあ。分かった、母さんに言っとくよ」

「うん」

 暫く、一緒にテレビを眺めた。僕はいつもと変わらない父を眺めたけど、いつもと変わらないから安心できる、という感覚が揺らいだ。なんで、いつもと変わらないの? こんなに平和な家庭で、残酷な罪が犯されているのに。僕はまた口を開いた。

「……父さんって、母さんと、いつ知り合ったの?」

 父は目を見開いた。

「どうしたんだよ、急に? ……大学生の頃だけど」

 その声音は暗かった。

「栄治から聞いたけど、栄治のお父さんとも、大学時代に知り合ったんだよね?」

「……ああ。でも、アイツは中退したからな」

 父の蔑む口調で、僕の心は冷えた。堪らず、立ち上がった。

「じゃあ、勉強してくる」

「ちゃんと母さんの旅行はやめさせるから」

 僕は振り返った。父はテレビを見ずに、ビールジョッキを持つ自分の手元を見下ろしている。影がさす父に向かって、「うん」と頷いた。リビングのドアに向かうと、「なあ」と呼び止められた。

「母さんから聞いたけど、やっぱり叔母さんと仲直りするのは無理みたいだ。もし栄治君に、母さんのこととか、俺達家族のことを聞かれても、答えないようにしてくれないか?」

「……分かった」

 僕はリビングから出た後、自分の部屋に逃げるように駆けあがった。

 なんで、急にあんなことを頼んできたんだろう? もしかして、何も知らず呑気に生きてきたのは、僕だけだったのか?

 ベッドに倒れ伏して、部屋の壁を虚ろに見つめることしか、できなかった。受験勉強なんか、していられなかった。

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