第12話

 放課後、光太が昇降口にいたから、僕が塾を休むことを告げると、キョトンとされた。

「今日、塾ないよ? 連絡きてなかった? 講師が体調不良だって」

「ああ! そうだっけ」

「俺も恵梨香と勉強会するし、どのみち今日は一緒に帰れないって、言うつもりだった」

「へえ。佐山って、勉強嫌いなイメージあったけど」

「なんでだよ!」

 二人で笑い合っていると、栄治が「佐山恵梨香さんのこと?」と口を挟んだ。僕が頷くと、「佐山さんって、長谷川さんと付き合ってるのかと思った」と言った。光太が「なんで?」と聞くと、栄治は「仲良いから」と、あっさり答えた。本当に浮気しているのか不明だが、光太は深刻になり、「恵梨香に聞いとく」と言った。僕達は先に帰った。

 栄治と並んで歩いていると、「裕太も彼女つくらないの?」と聞かれた。コンプレックスを容赦なく突かれて、答えたくなかったけど、栄治を無視することもできない。

「……モテないから、無理だよ。栄治こそ、つくらないの?」

「うん。俺もモテないし?」

 嘘つけ、と苛々したけど、栄治が長髪だったことを思い出した。いくらイケメンでも、ボブヘア―だとモテないのか?

「ところで、栄治って、なんで長髪だったの?」

「前に話さなかったっけ? 大紀が似合うって言うからだよ」

「ああ、そうだっけ……でも、いきなり坊主にしたから、びっくりした」

「鬱陶しいから、自分で剃った」

「自分で! お父さんは嫌がらなかったの?」

「……別に」

「てか、なんで、お父さんのことを名前で呼ぶの?」

「お父さんって呼ぶと、嫌がるから」

「そうなんだ」

 栄治の瞳は真っ暗闇だ。複雑な父子関係を察して、僕の心は後ずさった。

「……大紀は俺をママって呼ぶことがあるよ」

「は?」

 信じ難い告白だ。例えば、女教師をママと呼び間違えるのは恥ずかしいけど、ありえることだ。でも、父親が息子をママと呼び間違えるなんて、どう考えても異常だ。

「そんなの、おかしいよ」

「俺も分かってる。たぶん、大紀もね」

 その時、微笑む栄治の目と口が、僕の母が笑った時とそっくりだった。僕は考え込んだ。

 ……母に似ているということは、叔母にも似ているのだろう。栄治は家事を全部やっているし、父子家庭で母の役目を果たしているから、『ママ』なのか? 冗談でも、不愉快だ。これも虐待だろう。

 重苦しい空気の中に沈んでいると、栄治が沈黙を裂いた。

「裕太って、下心とか無さそうだよね」

 急な話の展開に戸惑いつつ、「そんなことない、と思うけど」と答えた。

「爛れた欲望から、遠ざけられてそう」

「……何それ?」

「親がセックスしてんの、聞いたことある?」

「!」

 衝撃的な問いに、僕は怯んだ……なんで『見たことある』じゃなくて、『聞いたことある』なんだろう?

「栄治は『聞いた』ことがあるの?」

「うん。去年、聞いた。俺の家は狭いアパートで、ベッドが一つしかないんだけど、いつも俺が寝てるベッドに、ママを寝かせてあげたんだよ。そんで、俺は大紀と布団に寝たんだけど、明け方にギシギシいってて、何だろうと思って見たら、大紀がママとセックスしてた。シーツで裸は見えなくて、声だけ聞こえたんだけど、何やってるか、はっきり分かった」

「………………」

 栄治は達観したように語り出した。

「だから、俺はそういうことって、普通にあるって分かったんだよ。恋愛とか、馬鹿馬鹿しくなった。結末が見えるから。まあセックスして、産まれた子どもを育てるかは別としてね。避妊することもあるだろうし。じゃあ、子どもって何なのって思うけど、裕太を見てると、ぜんぶ絵空事みたい」

 侮辱されている気がして、「なんで?」と聞いた。

「コウノトリを信じられる気がする」

 皮肉めいた微笑が浮かんでいる。

「コウノトリ?」

「裕太は汚いセックスから産まれた子じゃないってこと」

「汚い?」

「だって、本当は子どもをつくる行為なのに、性欲を発散するためにやるんだから、汚いでしょ? 風俗って、軽蔑されてるじゃん。カップルがイチャついてんのも、冷たい目で見られるし。たぶん、そういう行為をさ、子どもを拒絶して、自分の快楽のためだけに、やっているからだと思う。俺もその被害者だろうし。中絶されずに産まれたから、幸福かもしれないけど」

「………………」

 僕は気まずくて、顔を逸らした。『汚いセックス』の『被害者』だけど、『中絶』されずに産まれて、『幸福』だなんて……急に可哀想な生い立ちの話をされても、どうすればいいのか分からない。

 僕が困惑しているのに構わず、栄治は話し続けた。

「裕太はそういう下品で気持ち悪い男女のドロドロしたものとは無縁にされて、綺麗になってる感じがする。火傷があるし、もしかしたら、コウノトリじゃなくて、火の鳥に運ばれてきたんじゃない?」

 栄治はわざとらしく笑い声をあげた。僕は何も言い返せなかった。

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