第11話

 僕は吃驚した。遅刻してきた栄治が坊主頭になっていたから。何があったのか聞こうとしたけど、先に口火をきられた。

「こないだ、ママが会いにきてくれたんだ」

 授業の合間で、僕は塾の予習をしていたけど、手を止めた。母が『主婦業の息抜き小旅行』に出かけたことを思い出して、不安になった。

 栄治は赤いマルやバツがついたノートをじっと見下ろしている。

「掃除とか料理もしてくれたよ」

「……そう」

 俺は意地悪く教えてあげた。

「ママとお風呂に入った時、気づいたけど、背中に変なホクロがあったんだ。線で結んだら、正三角形になる位置に」

「………………」

「夜にね、ママが大紀と出かけたんだ。行き先を聞いても、答えてくれなかったけど」

 裕太の赤い火傷が引き攣っている。

「それ、塾のやつ?」

 僕は我に返って「うん」と答えたけど、叔母の背中にあるホクロが心から離れない。栄治が中三にもなって、母親と入浴している気持ち悪さは、この際どうでもいい。そのホクロが僕の母に無ければ、絶対に別人だと確信できる。双子だから、ホクロも似るかもしれないけど。

「………………」

 俺は不安に囚われる裕太の前で、優越感と快感を覚えた。一度も味わったことのない甘い気分だ。

「どこの高校にいくの?」

 僕はM高にいく、と答えるのが恥ずかしかった。適当に「県立のどこか」と誤魔化して、「栄治はどこの高校にいくの?」と聞き返した。

「通信制の高校にしようかな。定時制でもいい」

 僕はそんな進路、全く考えられない。

「高校を卒業したら、どうするの?」

 栄治は悠然と語った。

「高校を卒業する前から働く気でいるよ。一秒でも早く、自分で金を稼げるようになって、家を出ていきたいから。裕太は高校を卒業した後、どうすんの? やっぱ、大学?」

「うん」

「大学を卒業した後は?」

「公務員になる、かな」

「……親が公務員なんでしょ」

 言い当てられて、驚いた。

「なんで分かったの?」

「大紀がそう言ってた」

「栄治の父さんって、僕の父さんと知り合いなの?」

「同じ大学の先輩と後輩だって」

「どっちが先輩?」

「裕太のお父さん。まあ大紀は中退しちゃったけど」

 栄治と話しながら、僕は気づいた。そういえば、僕は父の過去を知らない。僕にとって、父は父でしかない。父ではない頃の父がどんな人だったかを知らない。それは母も同じだ。母も母でしかない。

 僕が茫然としていると、「勉強を教えてほしいな、裕太の家で」と頼まれた。

「ママの双子のお姉さんに会いたいから」

 僕の心に、あの写真が浮かんだ。

 今日は塾に行く日だ。母は『主婦業の息抜き小旅行』から帰っているのか? 夕方に帰る時もあれば、夜に帰る時もある。今日はどうなんだろう、と焦ったけど、なぜ焦っているのか、自分でも不思議だ。もう栄治の母と、僕の母は別人だと分かっているのに。栄治が僕の母と会っても、何の問題も無いのに。

「……いいよ」

 僕は迷いながら、栄治の誘いを受け入れた。

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