第16話 エピローグ。
アルケミストは知っていました。永久に薔薇が咲いてくれることを。
セフィロトを築けた想いは必ず、もう一度不変の輝きを放ってくれるはずだと。
「フィオ。君には本当に助けられたね。心からの感謝を言わせて貰うよ……ありがとう」
風の中に揺れて、咲いた喜びに舞う中庭の薔薇を前に、クィンは深く頭を下げました。戸惑うフィオの胸に飾られた薔薇は、そんな一輪を摘んだローザからの贈り物です。
精霊として薔薇に還った彼女は、花弁にローズウォーターを溜めることに懸命となっていました。枯らせてしまいそうになった花のために、ローザは魔法と呼ばれる愛情をカップのエースとして注いでいるのです。
「ローザもとても感謝していたよ。君を見送れないのが残念だって……本当に、送って行かなくていいのかい?」
「……はい……どうか彼女の傍にいてあげて下さい……接ぎ木にしたあの子も、そうしてくれたらきっと嬉しいはずでしょうから……」
中庭の隅に生えたノイバラは、生まれたばかりの薔薇を可愛がるように囲っていました。接ぎ木されたクィンとローザの花は、いずれその可憐な姿を増やしていくことでしょう。
「君の心遣いには、本当に痛み入る。……ああ……だからこそ、やはり……話しておくべきなんだろうね。実は一つ……君のお師匠様から口止めされていたことがあってね……」
「え……?」
突然、打ち明けられた言葉に、フィオの目が丸みを帯びました。クィンも悩んだ末、せめてこれが返せる気持ちだと、決意を表情に固めています。
『それは――』と、彼女が続けたところ、それを遮るように小さな影が中庭に立ちました。
「うむ! もうよいぞ、メイヤーズ卿! 思い煩わせるような真似をさせて、すまなかったのう!」
数百年ぶりに聴いた、快活な声でした。燦々とした、太陽のような明るさは今も変わっていません。
「久しいの、我が愛弟子よ。不老不死とはいえ、何も変わっておらぬ様子に安心したぞ」
「……お、お、お……お師匠様ぁ……!?」
敬愛する師の微笑みに、フィオは幽霊でも見たような叫びを上げて、ハッと気付きました。
深夜の中庭に見た小さな影――その正体は、行方も分らなかったフィオレーナ・フレッチャーという小さな師匠だったのです。
クィンに依頼をするようフィオを紹介した彼女は、この古城に隠れて愛弟子を見守っていたのでした。師弟と言う関係には、そういった導きも必要とされるのです。
「不浄を撒く蛇の正体がジェレーナであるとは知っておった。じゃが、あやつとワシがぶつかれば、イタチごっこのまま何も解決せんからのう……。そこで間を取るために、お主の出番だったという訳じゃ。あやつもお主の話なら聴く確信があったからのう! カッカッカ!」
とても身近なところで、物事の画策をしていた師は『してやったり』と高らかに笑います。世界を見て周る蛇も、引きこもりの少女も、妖精みたいに笑う賢者の手の平にあったのです。
思い返してみれば、初めからおかしな話ではありました。引きこもって研究することを良しとしてくれた師が、耳にした困り事を投げてくるはずがありません。これが唯一の解決策になると、フィオを見守りながら頼ってくれたのでした。
それが、クィンのされていた口止め。師との出会いを語る口を塞いだのはワインではなく、秘密を望んだ本人だったのです。さぞ、タルトに夢中になってくれた時には安心したことでしょう。『すまない』と頬を掻く仕草に、フィオは理解の頷きを返すのでした。
「いやぁ~、好物のタルトを平らげられてしまったのも辛かったが、それ以上にお主が夜中に徘徊しているのを見て、焦ったぞ。事の成り行きと成長を見守るのに、バレてしまっては元も子もないからのう……。万事上手く進めてくれたお主の才覚に、ワシも鼻が高――むぐっ!」
薄い胸を反らして、自慢げに鼻息を吹く師の言葉は、腰砕けに抱きついてきた弟子によって抑え込まれてしまいました。フィオレーナが丸い目で見下ろすフィオの顔は、垂直に近い傾きを描いた眉と大粒の涙でぐしゃぐしゃになっています。
「ひ、ひ、ひ、酷いですよぉおお~、お師匠さまぁぁあ~……! どどど、どうしてすぐに助けてくれないんですかぁ~……! うう~……! お、お帰りなさいぃい~……!」
再会の感涙と文句に咽ぶフィオの声は、気の抜けた情けないものでした。そのくせちゃっかりと、数百年ぶりのフワフワとした師の体温に甘えて顔を埋めていました。
「いや、じゃから、お主の成長ぶりをな……!」
「ふぐぅううう~……! ふへぇええ~ん……!」
「こ、これ……フィオ! もぉ~、仕方のない奴じゃのう~」
呆れたように笑いながらも、フィオレーナは優しくフィオを慰めました。彼女がどうしたものかと向けた視線の先では、クィンが上品に口元を抑えて笑っています。
「なんとも、聞いていた通りの師弟愛だね。ところでフィオ、君は私が問いかけた夢の答えを、示してはくれないのかな?」
そう言われて鼻を啜りながら振り向くと、クィンは両手を広げて首を傾げていました。
それは、迎え入れるように、別れを惜しむように、微笑んだ友愛を意味しています。フィオが想っていたのと同じ感情を、彼女も胸に懐いてくれてたのです。
フィオは師と友人を落ち着きなく交互に見ていましたが、やがて肩を叩くフィオレーナに促されて、おずおずと立ち上がりました。その耳は、新たに咲いた薔薇のように赤く染まっています。
「……君という友人に出会えて、本当に良かったよ。また、いつでも遊びに来てくれ」
どちらからという訳でもなく、二人は抱擁を交わして、友人となれたことを改めて喜びました。照れくさくなってしまったフィオは、気の利いた言葉も返せず、ただただ首を縦に細かく振ることしかできません。
「……あ……は、はい……! あ、あの、で、で、でも……」
「でも?」
「……あ、遊びにも来て下さいね……! わ、私……! ひ、引きこもりですから……! い、いつでもお家にいますんで……!」
ぐるぐると瞳を渦巻かせて、ようやく口にできたのは、そんな情けない自己申告でした。『カッカッカ!』と快活に笑うフィオレーナの声は、弟子のことをよく解っています。
「必ず遊びに行くよ。君が大切に想っている、あの世界にね」
細めたクィンの瞳には、出会った時を思い返す楽しげな輝きがありました。彼女はフィオの心を映した大樹の下で、引き合った運命を見ているのです。
あの時の出会いは、永久の薔薇が咲いたように――決して朽ちない友情が芽生えた瞬間だったのだと、はにかむ錬金術師は知りました。
アルケミストは知っている。~咲かない永久の薔薇~ 御笠泰希 @oldcrown
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