第13話

 魔女と呼ばれた錬金術師。彼女は蛇の血肉を黒いロングドレスとして作り変え、艶美な身体の線を浮かばせた姿で困ったように呟きました。


「もう、参っちゃうわねぇ。メイヤーズ家とは相性が悪いのかしら? ここまで育つのに結構な時間が掛かったんだけど……」


 錬金術師は長い爪を伸ばした手で頬に触れながら、悩んだ感じでもない溜息を一つ溢しました。長く緩いウェーブをした黒髪の下で、赤い瞳がクィンを見つめています。


 振り返って対峙するクィンの顎先から、汗が一滴落ちました。それは上気した体から流れたものではありません。緊張するあまりに、恐怖から伝ったものでした。


「……ジェレーナ……さん……?」


 愕然としたフィオの言葉は、知人の名前を告げていました。彼女の記憶には、自身を生命をとして、自在に姿形を造り出せる不老不死の女性がいたのです。


 ジェレーナと呼んだ魔女の容姿をした女性は、師であるフィオレーナに並ぶ三賢者の一人でした。


「あら! やだぁ、フィオじゃない! 二百年ぶりかしら!? 引きこもり体質の貴女が外にいるなんて、驚きだわぁ!」


 気さくに手を振るう仕草には、親しみやすさがあります。けれど、それこそ蛇の誑かし方でした。魔女とは、人を良くも悪くも導ける才能の持ち主を指すのです。


「旧知の間柄に割って入るようで失礼だが……二人に近づけさせない」


 クィンはジェレーナの前に立ちはだかりました。不浄を撒く蛇から出現した彼女が、とても危険だと判っているのです。フィオの知り合いとはいえ、道を譲ってしまう訳にはいきませんでした。


「え、ちょっと待って、すごい美形イケメン……。蛇の形をしていた時にはよく見えなかったけど、フィオってばなかなか隅に置けないじゃない? ……貴女の叔父様も魅力的な人だったけど、やっぱり若いって良いわねぇ~」


「叔父上を知っているのか……!?」


 クスクスと笑うジェレーナを抑え込むように、クィンは声を上げました。立っているだけで周囲の草花を枯らす彼女が、良からぬ影響を叔父に与えたのではないかと憤っているのです。


「勘違いしちゃダメよ? 私は寧ろ、貴女の叔父様が延命できるように錬金術を教えて差し上げたのだから。賢者の石を精製できるほどの才能は無かったけれど……ローザの傍にいたいという願いだけは、本当に素晴らしかったわ」


 思い出話を口にする眼差しには、喜びと憂いがありました。まるで、遠くに置いてきてしまった宝物を見つめるような、温かい想いすら感じられる瞳をしていました。


「けど、誰かと一緒にいたいという願いから生まれるのは、悲しみだけね。永遠を望むだけの存在に縛られなければ、卿も今際に無念を懐くことはなかったもの。……解る? 永遠を想い続けることって、悲劇なのよ」


 フィオはクィンから聞いた、オズワルド卿の言葉を思い出しました。『ローザに会いたい』という離れた先での願いは叶わず、別たれてしまったことを。


 出会わなければ、愛することも無かったでしょう。ジェレーナは永遠だと信じる幸せは、悲しみに彩られていくだけだと知っているのです。


 不老不死として見てきた欲望や悲哀が、錬金術師としての使命を反転させてしまったかもしれません。アルカナ・カードが逆位置を示すように、彼女は慈しむべきものの終わりを望んでいます。


「だから、私はセフィロトは閉じる旅をしているの。永遠だと信じる世界を求めるなんて、多くの人々にとって早すぎるわ。例え願いから創り上げた摂理だとしても……悲劇なんて誰も望まないもの」


 そう言うと、ジェレーナは優美に前屈みとなってクィンのサーベルに吐息を吹きかけました。綿毛の種を風に乗せるように、優しく。


 見る見るうちにクィンのサーベルは錆びつき、崩れ、風化しました。スートの象徴として風の属性を持つ剣は皮肉にも、風が対立する地の属性である鉄によって造られています。これは、不浄を撒く蛇の皮を風化させた時と、まるで逆の立場でした。


 シルフの加護を打ち消してしまうほどの不浄は、彼女の決心を表す黒々とした恐ろしいものです。それでもフィオの眼には、ジェレーナが何をやったのかはっきりと見えていました。


 世界の創生を象徴するセフィロトに対し、〝虚無〟を概念としたクリフォト邪悪の樹の力。それを彼女は操っているのです。あらゆる存在が持つエイドス形相を打ち消してしまう禁断の秘儀を。


 錬金術師はこれを知っていても、使えるまでに学ぶことはありません。循環の環を一部分でも失くしてしまう行為は、とても不自然だからです。ローザという永遠の赤い薔薇が、ニグレドという黒に逆行してしまった理由をフィオは知りました。


 ジェレーナは囁いたのです。愛する人が戻ってこないことを、クリフォトの力で。完全だった世界が崩れてしまうほどの絶望は虚無となって、ローザの心に穴を空けたのでした。


 フィオは悲しみのあまり、苦しくなった胸を押さえました。そんな残酷なことをするような人では、無かったはずです。五百年以上前の記憶でも、フィオは忘れずに憶えていました。自分がセフィロトを構築し、リンゴとして実った賢者の石をどうするか悩んでいた時を。


『それを食べたら、貴女はきっと普通の人よりも多く悲しんだり、辛い目にあったりするでしょうね。終わりのない永遠に、もしかしたら苦しみ続けることになるかもしれない。だけど……ね、フィオ。幸せに思えることだってたくさん起こるって約束してあげる。私が貴女と出会えた時みたいにね』――。


 神秘の世界を導いてくれた師の傍らで、そう言ってくれたジェレーナの微笑みは不老不死への後押しになってくれました。この人達のようにと夢見た少女は、あの時の気持ちを忘れず、知識の探求を続けてきたのです。


 それが、こんな形での再会になるなんて思いもしませんでした。永遠を悲劇と口にした彼女の心理は、きっとこんな気持ちの連続から生まれたのでしょう。わざわざ川の上流に目くらましの不浄を残すほど、彼女は人知れず丁寧に小さな世界を壊しているのです。


「待ってください……! ジェレーナさん……!」


 フィオは叫びました。思うほどに患っていく心を振り切り、駆け出すような力強い声で。


「……貴女の悲しみの深さは、私なんかじゃ知りようもありません……だけど、だけどこのまま……彼女達を見放したりなんか、私には出来ないんです……!」


 周囲を腐敗させるジェレーナの歩みが止まりました。立ち塞がる形で後ずさりしていたクィンも、フィオを横目に足を止めます。二人の視線の先には、胸元を強く握り締めて、必死に自分の心を訴える少女がいました。


「もぅ……わがまま言って困らせちゃダメよ。それに、一度壊れてしまった円環は――」


「私が――いいえ……! がもう一度、紡いでみせます……! ささやかな永遠を願うことは悲しいことなんかじゃないって……貴女が捨ててしまおうとしている気持ちも一緒にして……!」


 フィオは涙を浮かべて説得の声を上げました。その言葉が、どんな影響を与えられたのか、今にも嘆息しそうだったジェレーナの眼を大きく開かせました。


 きっと、彼女の記憶の中にあるフィオは、こんなにも主張をするような子ではなかったのでしょう。小心者で、いつも何かに怯えている子猫みたいな少女が、ジェレーナの思い出の中にいるフィオの姿であるはずですから。


「変わったわね……フィオ」


 そう呟いたジェレーナの声には、諦めていたことをもう一度だけ信じようとする僅かな明るさがありました。

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