第12話
大蛇の赤い瞳が向けられた瞬間、クィンは茂みにフィオを押して自分を囮にしました。その後すぐにぶつかってきた大きな口は、庭園の美しい造りを粉々にします。
「フィオ! この蛇は任せてくれ! 君はローザを!」
散った葉と石の粉塵が舞う中で、クィンの声が力強く響きました。彼女は務めだと言っていた通りに、一人で蛇と戦うつもりです。フィオにはどうすることも出来ず、後ろ髪を引かれる気持ちでローザのもとへと走りました。
クィンのサーベルには、シルフの加護が残っているはずです。ホムンクルスの大蛇に効果的な力は必ず助けとなるでしょう。フィオは彼女を信じ、託された願いのために、俯くローザへ声を掛けるのでした。
「……こ、こんにちは……すす、素敵なお庭……ですね……」
人見知りを発揮しながら。こんな調子ではいけないと解っていても、どうしようもありません。いかにもな愛想笑いを顔に貼り付けて頑張ってみるものの、なんだか急に荷が重くなってきた気がしました。
ローザは何も応えません。ただ、鋭い印象すらある美しい顔を、悲しみに沈めるまま黙っているだけでした。
「……どうして……オズワルド・メイヤーズ卿の訃報を……貴女は知ったんですか……?」
フィオの問いに、ローザは光の無い目を向けました。底の無い絶望を映す瞳には、まるで生気が感じられません。それが堪らなく悲しくなって、フィオの眉が下がります。
「……あの〝世界を見る蛇〟が教えてくれたわ……あの人はもう死んでしまっているのだと……新たに子供が咲くことも、もうないのだと……」
世界を見る蛇。それはまるで旅する錬金術師のようです。ただ決定的な違いとして、破壊と癒しの役割がここで対立していました。
精霊と言葉を交わすホムンクルス。その目的は解りませんし、理解も出来ません。悲しみを撒き、悲劇を伝えて苦しめるだけの残酷さを、見過ごす訳にはいきませんでした。
「……確かに……メイヤーズ卿は亡くなられたと聞いています……だけど……貴女ご自身を傷付けてしまっては……卿も悲しむでしょう……」
フィオは膝をついて、喪に服す貴婦人の手を握りました。しなやかで、綺麗で、とても冷たい指先。これが彼女の心なのだと感じると、胸が締め付けらる想いがしました。
「……私達は貴女を助けたいんです……卿と貴女が創り上げた幸福な世界を……そのために、オズワルド・メイヤーズ卿の姪御であるクィンリードは……世界を誑かす蛇と戦っているんです……」
愛した人の血筋と聴いて、俯いていたローザの顔が上がりました。サーベルを握り、愛した人が遺したものを傷付ける敵へと果敢に挑むその姿は、夢物語の騎士さながらに勇猛なものでした。
「ああ……あの人もそうだった……孤独に咲いていた私のために、魔女を退けてくれた日を憶えている……」
魔女。その言葉の真意が何か、フィオはつい考えようとしてしまいました。けれど、今は彼女を助けるという目的だけに意識を向けなければなりません。どうすればローザを助けられるのか、そればっかりを思って知恵を巡らせます。
「……中庭の子供達を咲かせる願い……どうか私に託してくれませんか……? 卿と貴女が育てた薔薇を……枯らしてしまいたくないんです……」
咄嗟に出た言葉は、フィオの心そのものでした。ローザが何よりも求めている願いを知って、寄り添おうと想ったのです。
目の前に苦しむ人がいれば、どうにか支えてあげたい。引きこもりの錬金術師は、そんな優しい知恵を秘めていました。
「ありがとう……貴女の気持ちにはとても感謝するわ……けど……駄目よ……だって、ほら……」
ローザの眼は、クィンの剣技によって切り裂かれた蛇へと向いていました。黒い血を流し、倒れた不浄は自然の循環に還っていくことでしょう。
ただの蛇であったのなら。息を切らしながらこちらに微笑むクィンの背後で、血溜まりが蠢きました。それは次第に人の形となって、庭園の草を踏みます。
触れたものを一瞬で腐らせてしまう、強力なニグレドをアルカナの力として従えて。
「魔女が来るもの……」
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