第11話

 螺旋階段と思考の渦。降りていくほどに似通っていくそれらは、フィオの見立てを話す機会となりました。


 まず、絵画に描かれていた赤い薔薇の貴婦人と、幽霊として見た精霊の黒い貴婦人は、ローザと呼ばれる同一人物に間違いありません。錬金術において赤色とはルべド赤化を意味し、賢者の石を表すのです。


 ネグレドはその過程であり、腐敗は大いなる業を成すための一部に過ぎません。何らかの理由によって、を構築する循環の理が乱れてしまっているのは、明白でした。


 石という言葉から生まれた誤解ですが、賢者の石とは宝石のようなものとは限らないのです。液体や粉末、哲学的な水銀と呼ばれるもの。それらは賢者の石という形を示すほんの一部であり、時にはゴミとして扱われ、誰もが省みないものですらありました。


 フィオが不老不死となった賢者の石も、そういった形の概念にとらわれず、セフィロトの樹に実った〝赤いリンゴ〟でした。自身の願いである完全な世界をセフィロトとして創り上げた時、不死の赤は生じるのです。


 薔薇という赤い不死の色も。二人が向かっている先にはセフィロトがあり、薔薇の形をした賢者の石が咲いているはずです。貴婦人はそれが具現化した精霊ドリアードであり、セフィロトに宿った住人でした。


 ルべドを示す赤いドレスをネグレドの黒に染めて、ローザは永遠の終わりを迎えようとしています。自らが住まう世界を壊す悲しい最期を。


「叔父上の存在は、彼女の世界にとって一部だったんだね。そこに、もう帰っては来ないと知り、絶望してしまった……」 


 不変であると信じていた愛の終わり。中庭に咲いていた子供達である薔薇に見えた、家族への愛情。オズワルド・メイヤーズ卿は、彼女と夫婦のような関係を築いていたはずです。贈る薔薇は、絵画に描かれていた通り彼女への愛を示していました。


「だが、どうして叔父上はローザの助けを得て、不老不死にならなかったのだろう? そうすれば共に永遠を望めただろうし、晩年の病にも苦しまなかったんじゃないか?」


 クィンの疑問に、フィオは答えました。賢者の石の効果は、セフィロトを構築した本人にしか発揮しないのです。ローザという不死の薔薇を咲かせたのは、何百年も昔の錬金術師でしょう。


『誰からも愛されずに咲くことに、意味なんてない』ローザはそう言っていました。そこから、セフィロトの維持には〝誰かに愛される〟という薔薇の気高い本質が組み込まれていると理解できます。


 オズワルド卿は城の地下で孤独に咲いていたローザと出会い、愛し、延命のため錬金術に傾倒したのでしょう。中庭の薔薇とは、そんな二人の間から錬金術によって生じた子供達なのでした。


「……ここに住まわれていたメイヤーズ家の歴史は、彼女と共に在ったんです……いつからその伝承が途絶えてしまったのかは判りませんが……この古城の主人として……ローザは咲き続けていたんです……」


 薔薇の貴族。メイヤーズ家の二つ名の意味が、ここに繋がりました。クィンはこれまで知らなかった家系の秘密を知り、決心した面持ちで石畳の床へと足を下ろします。


「私は……彼女を助けたい。血族と共にあり続けてくれた薔薇を、散らしたくはない。フィオ……どうかもう一度、力を貸してくれないか?」


 断る理由と同じく、頭を下げて貰う必要もありませんでした。フィオには錬金術師として、滅びようとしている世界を救う宿命があり、クィンという繋がりを大事に思う気持ちがあるのです。


「……勿論です。行きましょう……クィンさん……」


 感激を表情に湛え、頷くクィンと一緒に石畳の先へと歩きます。正面には両開きの大きな扉が鎮座し、水路が左右に流れていました。その水からは絵画から香ったローズウォーターと同じ匂いがします。


 扉を開けて、広がった世界は地下庭園でした。胸のすくような緑の清涼に、華やかで甘い薔薇の香りが混じっています。


 中央に設けられた噴水は四方に伸びる水路へと水を流し、小さな滝や泉を形成していました。地上のポンプが水を吸い上げるためのパイプも、壁際の草に隠れています。


 自然を主体としながら、人工物の調和も見事な庭園。それがセフィロトとして広がっていました。構築された世界と言う概念こそが、生命の樹という在り方の本質なのです。


 そしてやはり、流れる水はニグレドに汚染されていました。この水では錬金術によって創られた中庭の薔薇は咲かないでしょう。適切な手段でなければ、秘儀は効果をもたらしません。


 だからこそ、オズワルド卿がここの手入れを欠かさなかったことに、痛ましさを覚えました。豊かではあっても無造作ではない園芸は、見る者の心に癒しを与える一方で、目的とした魔法の水を造り出さない不全となっていたのです。


「……クィンさん……あそこに……」


 庭園の奥、噴水を見下ろす形で建てられているパビリオンに、喪服のドレスを纏う貴婦人が佇んでいました。俯く顔に力はなく、フィオとクィンの二人に気付いた様子もありません。


 そんな彼女を囲う形で茨がパビリオンに絡み、連なっている薔薇は赤黒く今にも枯れてしまいそうな物悲しさを漂わせていました。僅かにその花弁から滴っている雫こそ、絵画に使われたローズウォーターであり、今やニグレド蝕まれた地下水の源だったのです。


「……ローザ……」


 クィンが憐れみに近づこうとした瞬間、薔薇とは違う甘酸っぱいような匂いが漂いました。生理的な嫌悪感をもたらすこの腐敗臭を、彼女達は知っています。


 水路の末端にある排水穴から影が伸びました。毒々しい黒い鱗と、形あるものなら何でも飲み込んでしまいそうな大きな体。


 川に不浄を流し込んでいたホムンクルスの蛇が、地下庭園に現れたのです。

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