第8話

 端的に言って、食べ過ぎでした。フィオはタルトを丸々一つ平らげてしまったツケから、リビングに置かれている猫足のソファーを借りて横になっています。小食のくせに、いくらなんでもやり過ぎでした。


「まさか全部食べてしまうとは驚きだよ。見かけによらないと言っては失礼だけど、君はよく食べるのかな?」


「……す、すいません……お見苦しいところを……ううっ……」


 ぐったりとしている情けない錬金術師に少しも呆れたりせず、クィンは笑いながらハーブティーを手渡します。香りからして、フィオにはそれがカモミールだと解りました。胃の働きを整える他に、就寝前のリラックス効果もあるお茶は、気遣いに溢れています。


 申し訳なさと、少し意地汚かったなという気恥ずかしさから、カップの中身を俯き加減で啜ります。今はちょっと、クィンと顔を会わせることが出来ませんでした。


「飲み薬も持っておくと良い。薬学に通じた君には恐縮な物だろうけど、気休めにはなるからね」


「……そ、そんな……何から何まで……」


「良いんだよ、これも叔父上が遺してくれた物だ。病気がちだった晩年も、こうして人の役に立てたなら喜んでくれるさ」


 細紐で括られた小さな薬包紙まで貰ってしまい、すっかり至れり尽くせりとなってしまったフィオは、申し訳なさから汗をかきます。せめて彼女の機嫌ぐらいは取れるようにと、リビングの壁に掛けられている女性の絵を話題にしました。


「……き、綺麗な女性ですね……メイヤーズ卿の奥様……でしょうか……?」


 油彩画の女性は髪もドレスも赤く、切れ長の目をした美人でした。すらりとした細い横顔は、容易に近づけない高貴な雰囲気があります。


 特徴的なのは数えきれないほどの薔薇を愛おしそうに抱きかかえ、微笑みながら慈愛の眼差しを向けている姿でした。それはまるで、自分の子供に注ぐ愛情のようです。


「恥ずかしながらその御夫人とは面識がないんだ。タッチは間違いなく叔父上のものなんだが……ご健在だった頃には掛けられていなかったし、地方での業務中に倒れられた時も、お話されなかったからね。残念なことに絵の存在を知ったのは、領地を引き継いでからなんだよ」


 フィオは墓穴を掘った気分になってしまいました。亡くなられたメイヤーズ卿の想い人だとすれば、クィンは気に掛けているはずです。知らなかったとはいえ、人様のお家事情に土足で入り込んでしまったも同然でした。


「きっと、叔父上が亡くなられたことは知らないだろう。お伝えしたくても、手紙一つとして情報が無くてね……」


 どうにかして困り顔を浮かべる彼女の力になれないかと、フィオは絵をよく見つめます。理を探求する眼は、残された想いを理解しようとする審美眼となって、アルカナを浮かばせました。


 オラクルが教えてくれたカードは、カップのエース。杯から注がれる水は、純愛の暗示。それも正位置であることから、卿は紛れもない愛情を彼女に懐いていたはずです。


「……メイヤーズ卿は間違いなく、こちらの女性を愛していました……その証拠として、薔薇の花弁にメッセージがあります……」


「なんだって?」


 フィオと向かい合った椅子から立ち上がり、クィンは高い位置に掛けられている絵へと目を凝らします。そこには誰かに言われてようやく気付けるほどの、小さなメッセージが薔薇の花弁に残されていました。


『ローザに捧ぐ。貴女と私の子が永久に愛されるように』――と。


「……叔父上が愛する薔薇と同名だ……。これは偶然だろうか? しかし……永久に愛される子とは何だろう? もしご子息がいらっしゃったなら、私がこの領地を引き継げる訳がない……描かれている女性も名乗り出るはずだ……」


 クィンはメッセージを訝しみ、形の良い顎先に指を添えました。叔父上が何を自分に遺したのかと思考する眼差しは、今までの彼女には見られなかった厳しいものがあります。


「……薔薇と女性のお名前を誤解されたり……とかは……?」


「いや、確かに叔父上は『ローザという薔薇が咲いているんだ』と仰っていた。薔薇の名前に、間違いはないだろう。……仮に、こちらの女性が中庭で薔薇を愛でている姿を比喩したのだとしても、他者に伝えるには難解すぎる。叔父上は確かに夢想家ロマンチストではあったけれど、決して自己満足で物事を語るような人ではなかったよ……」


 深まっていく疑問に、フィオは絵に近づいて油絵具の匂いを嗅ぎました。背伸びをしてようやく手が届くような高さでしたが、それでも混じっている匂いを知るには充分でした。


「……僅かに薔薇の香りがします……筆を洗うのに、ローズウォーターを使ったのかもしれません……」


 クィンも鼻先を近づけたところ、浅い頷きを返して理解したようでした。しかし、ここで更に疑問が浮かびます。わざわざそんな面倒な手順を踏んで筆を洗うことに、どんな意味があったのでしょう。


「ローザという女性の美しさを表現するのに、ローズウォーターまで使って徹底したのだろうか?」


 叔父譲りのロマンチストぶりに、フィオはつい口元を緩めてしまいましたが、恐らくはその通りだという認識がありました。メイヤーズ家はどうやら見た目に違わず、ロマンを好む家系のようです。


「……薔薇の花弁に……メッセージを書いたのも不思議ですね……通常なら縁に記しそうですが……」


「うん、確かにそうだね。永久に愛される子供とは、抱えている薔薇を指しているのかもしれない。この方は、叔父上と一緒に中庭の薔薇を育てられていたのだろうか……」


 またもや確信できそうなロマンを口に、クィンは腕組みして首を傾げます。フィオもつられて、右左にと揃って首を傾げましたが、お互いにこれ以上の閃きはありませんでした。唯一信じられるのは、アルカナによって映し出された純愛の想いだけです。


「……ふふ、まずいなぁ。せっかくのカモミールが覚めてきてしまったよ。これ以上は余計に疲れてしまうだろうから、もう休むことにしないか?」


「……うぅん……そう……ですね……」


 眉を下げて、諦めたように笑うクィンに対し、真理の追究者であるフィオは口惜しげでした。余所のお家が秘める謎に首を突っ込む権利などないのですが、解き明かしたいという思いは錬金術師という性からなかなか切り離せません。


 痛めて胃のこともすっかり忘れ、フィオは『う~ん……』と唸るまま、クィンに背を押されてリビングを後にするのでした。

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