第7話

 泣き虫なノームを助け、自然が戻ってくることを告げた二人は、最後にもう一度ずぶ濡れにされながらも帰ってきました。


 問題が解決したと喜ぶクィンのもてなしは、実に大げさともいえるもので、湯浴みを終えたフィオの前に豪勢な夕食が並んでいました。


「さぁ、遠慮せずに召し上がってくれ! どれも腕に縒りをかけた自慢の料理だ!」


 丸テーブルに所狭しと置かれた料理はどれも華やかで、どこから手を着けたものかと目を回してしまいそうでした。驚いたことにクィンは使用人を置かず、多くの貴族が下賤と蔑む働きを好んで行ったのです。


 そこに彼女の精神性と、何でも自分でこなせてしまう要領の良さが窺えました。錬金術師に頼るという選択は、数少ない出来ないことだったのでしょう。意固地にならない所がまた、優秀さの裏付けでもありました。


 そんな貴族と席を共にしているフィオはというと、縮こまったようにエディブルフラワーで彩られたサラダを口に運ぶので精一杯でした。テーブルマナーの知識なんてまるで持っていないし、接待を受けるのすら初めてのことで、内心はガチガチになっています。


「川を汚染していた蛇の存在が気掛かりなのかい?」


 回したワイングラスから、くゆる香りに目を細めて、クィンが言いました。フィオの心にある蟠りの存在は、どうやら彼女も同じようです。


「……はい……このままだとまた……何か起きる気がして……」


 フォークを置いて、憎しみだけをもつ蛇を思いました。誰かを傷付けるために創られたホムンクルスを。


「それを探し出し、討つのは私の務めだ。君が責任を感じる必要は無いよ」


 クィンは堂々と言い放ち、グラスを傾けます。怖がったり恐れたりする気持ちは、ワインと同じく飲み込めてしまうのでしょう。フィオへの協力を求めていないところから、充分に働いてくれたという労いばかりが感じられました。


 腐敗を撒く大蛇を倒す。そうしなければきっと、何処かでまた、誰かが苦しめられるとクィンは解っているのです。自分だけが助かって良かったと安寧する気持ちなんて、彼女にはまるでありませんでした。


 何か手伝うべきなのでしょうか。フィオは協力したいと思う半面、自分が出来ることはここまでだろうとも考えていました。ホムンクルスはあくまでも創られた生命というだけで、不死身ではないのです。戦いの場になれば、足手まといになる自覚がフィオにはありました。


 それに、彼女なら大丈夫だとも思っています。様々な神秘に触れた今、不可思議な存在に臆することもないでしょう。クィンのサーベルには、すぐにシルフが寄って来てくれるほどの清廉とした扱いがありました。精霊に好かれる道具を持つ人は、フィオにとって、どんな言葉よりも信頼できるという証拠になるのです。


「何も心配はいらないよ。それどころか君には感謝するばかりだ。明日、送らなければいけないのが惜しいぐらいにね」


 別れの悲しみを隠すように、クィンはデキャンタからワインを注ぎます。そんな姿を非常に申し訳なく思いながら、フィオはサラダを突っついて気まずさを誤魔化しました。


 実は、夕食を御馳走になったら後、ホムンクルスが潜んでいる見当だけでも伝えて別れるつもりだったのです。誰かと一晩一緒にいるのが苦痛という訳ではなく、寧ろ、クィンとなら嬉しいと思えるぐらいです。


 ただ自分の性分からして、役目を終えたら帰りたいという気持ちが強いのでした。とんでもない礼儀知らずだと自覚していても、こればっかりは生まれつきなうえ、五百年以上も研鑚してきたのだからどうにもなりません。きっと彼女なら笑って許してくれるだろうという甘えもありますが、善意で泊めてくれると言われてしまっては、切り出しようも無くなってしまいました。


 『まだお家に帰れないんだ……』そんな絶望感を押し込めるように、葉野菜を刺したフォークを俯きながら口に含みました。爽やかな苦みは、なんだか自分の心を映しているようで、なおさら苦く感じられました。


「それにしても錬金術士の師弟を迎えられるなんて、メイヤーズ家の歴史の中でも私だけだろうね。実に光栄だよ」


 クィンがグラスを掲げて自慢げに言ったのを、フィオは目を丸くしながら脳裏で反芻しました。師弟という言葉に、意識が強く向いたのです。


「……お師匠様が……?」


「うん、そうだよ。旅の宿として訊ねてくれたのが縁でね。それから君の紹介をして貰ったんだ」


 思わぬ師との邂逅に、フィオはテーブルの上へと乗り出す勢いで口を開きました。もしかしたら師は、すぐ近くにまで帰ってきているのかもしれません。


「……お、お師匠様はお元気そうでしたか……!? ひもじそうにしてたり、お召し物がボロボロになってたりしませんでしたか……!? あんなに小っちゃいのに、お一人でずっと帰ってこなくて……! 二百年ぐらいで帰ると仰ってたのに……! あ……! 何処に行くとか聞いてたりしませんか……!?」


 不安と興奮が入り乱れるまま捲くし立てるフィオに対し、クィンはあくまでも冷静にグラスを傾けています。飲み物を口に含んでいて答えられない間が、どうしようもないぐらいもどかしくて堪りませんでした。


「安心してくれ。君が気に病むほど、逼迫してはいなかったよ。というより、すごくお元気だったと伝えておこう。私の料理にも喜んで下さってね……特にこの、アニスとリンゴのタルトなんか甚く気に入られたようだった」


 そう言いながら中腰に席を立つと、新たな取り皿にタルトを乗せて、フィオの前へと置いてくれました。黄金色の生地は絶妙な焼き加減というだけでなく、師が食べたという情報も加わっていっそうに輝いて見えます。


「……ううっ……美味しい……!」


 アニスの爽やかな香りと、心地良いリンゴの噛み応えは沁み渡るほどの甘味でした。愛する師匠も嬉しそうにこれを頬張っていたんだと考えると、ことさら感激してしまいます。


「その一言が聴けて良かったよ。好みが似ているかもと思って作ったのは正解だったね。存分に召し上がれ」


「……は、はい……! ありがとうございまふっ……!」


「どういたしまして」


 ふんふんと鼻を鳴らしながらタルトに夢中になっているフィオへ向けられた微笑みは、師弟の姿を重ねるみたいに穏やかなものでした。どうやらクィンには錬金術師を手籠めにする才能があるようです。


 フィオは本来の小食であることもすっかり忘れ、次々にタルトを頬張りました。減っていくそれと比例するかのように、師匠の行き先という問い掛けも、すっかり忘れてしまいました。

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