042:開かずの扉⑥




 初めまして、朔弥くん



 母と呼ぶには近すぎる、姉と呼ぶには遠すぎる歳の女性。



 私、サキです。よろしくね

 家のことお手伝いすることになったの



「またヘルパー雇ったんだと思った。親父はヘルパーにもまとわりつかれて嫌気がさして雇うのやめたはずなのにな。警戒はしたけどあの頃の俺は基本何も考えていなかった」



 あ、朔弥くんのさくと咲って似てるね。

 同じ意味かな?



「特に美人じゃないのにどこかお嬢様っぽいっというか。ほっとけないというか。今までのケバい再婚相手と全然違ってた。普通の若い女性って初めてで、一緒に料理手伝ってくれたり話を聞いてくれて。あ、料理はすごく下手だった。ヘルパーのはずなのに」



 すごい!さっくん料理上手だね。美味しい!



「俺チョロいんだよ。通いで来てくれてたんだけど家に帰ると玄関で笑顔でおかえりって言ってくれてさ。料理美味しいって言ってもらえて色々気にかけてもらえて、それだけでころっと懐いた。もうバカ犬だよ。なんでよく考えなかったって。ちょっと考えればわかったのに。だから二ヶ月くらい経って珍しく親父が家に帰ってきても疑いもしなかった」


 朔弥が顔を伏せ前髪をくしゃりとかき上げた。

 あの日の映像が脳裏に焼き付いている。



 さっくんおかえり!お父さん帰ってきてるよ

 大事な話があるって



「二人並んで座ってさ?再婚したい、今度は本気だって。もうね、ツっこみどころ満載だ。ハァ?じゃあ今までは本気じゃなかったのか?散々揉めて喧嘩して。四回も離婚してまだ懲りてないのかよって。いくつ歳下だよ?挙句にだ、今まで勝手に再婚してたくせになんで今回に限って俺にお伺いを立ててきた?よりにもよって。俺はお前の親か?俺の許しなんていらないくせに。もうあの無神経が最悪だよ」

「‥‥‥‥うん」

「咲さん笑顔でさ。もう親父大好きって顔でさ」

「‥‥‥‥うん」

「再婚の前に先に咲さんを家に入ったのは母親という先入観なしに俺を手懐けるため。再婚で揉めたくなかったらしいよ。腹黒だよな。これが親父の本気らしいがダメだろこれは」

「‥‥サクヤ、どうしたの?」


 この大精霊はもうわかってるだろうに。それでもわざわざ問うてくる。吐き出しやすいように。


 これは治療だ。最後まで毒を吐き出さないと終わらない。これは俺の罪だ。


 腹の中で一番大きなものを吐き出した。


「逃げた」


 俺の最大の罪

 最低最悪、やっちゃいけないことをしでかした。


「賛成も反対もしない。全部見なかったことにして穴に埋めてじいさんの家に転がり込んだ。あそこは聖域だから親父は来なかったがそれでも咲さんが迎えに来てさ。帰ってきてほしい、もう一度話をしたいって。まあじいさんが追い返したけど。おかげであそこも聖域じゃなくなった」


 毒は止まらない。こんなに吐き出しているのに。


「だから親父と直談判した。再婚でもなんでも好きにすればいい、俺は家を出るって」


 もうたくさんだ‥二度と俺に関わるな!


「誰も知り合いのいない場所の全寮制の学校を探して転校した。どこでもよかったがたまたま選んだ学校が男子校で中高一貫校で仏教系だった。親しか面会できない校則でさ、咲さんは面会できないわけよ。俺の母親じゃないから。やっと聖域ができた」


 朔弥が苦く笑う。西陽の差す和室で朔弥の影がずるりと濃くなった。


「でも月一で手紙が届いて。親父の名前だったけど中は咲さんだった。食事してちゃんと寝てるか。寂しくないか。お父さんは元気だよ。再婚はしないからいつでも帰っておいでって。返事を出してないのに毎月届くんだよ。バカだなぁ。勝手にしろって言ったのに。俺なんかほっといてさっさと幸せになればいいのに」


 もういっそ終わらせてくれていいのに。


「結局俺が十八になって高校を卒業するまでそのまま。俺は一度も家に帰らず終い。卒業しても俺は地方の大学で一人暮らし。で、やっと再婚したよ。五年も待って。咲さん、やっと幸せになった。親父と結婚して幸せになれた。それなのに———」


 影が深く濃くなる。時が止まる。


「新婚旅行で事故に遭った。トレーラーが突っ込んできてさ、二人とも即死だった」


 部屋に沈黙が落ちる。相槌もなくなり独り言のようにただ語る。頭を抱える朔弥から涙声が聞こえた。


「俺があの時うなずいていれば。そうすれば二人はあの日事故に遭わなかった。とっくに幸せになっていて今でも笑っていたんだよ。親父だって‥それなのに俺が逃げたから‥‥‥」


 生きていてくれればそれでいい。

 死んでしまっては残されたものに悲劇しか残らない。

 

 遺影の中で父の隣で微笑む女性を見やる。

 白いドレスを纏う。ウェディングドレス。


「やっぱ俺は親父の息子なんだなぁってしみじみ思った。惚れっぽくて女の好みまで一緒とか最悪だよ。十以上年上の女性に?何やってんだよ俺は‥俺の母親に?なれるわけないじゃん」

「サクヤ‥」

「これなら最初から母親として出会っていればよかった。そうすれば」


 それでもこの想いは変わらなかっただろう。

 それでもせめて呼ぶことはできたかもしれない。


「一度も呼んであげられなかった。ずっと悲しませて。挙句死なせたとか」


 時は止まったまま。

 死んでしまってはもう終わらせることもできない。心を奪われたまま誰も好きになれない。この想いと業を抱えた自分に誰かを愛する資格はない。



 忘れるな お前の業はここにある

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