043:開かずの扉⑦




 考えすぎだ。あの時頷いていなくてもあの日二人は事故にあったかもしれない。事故も自分のせいではない。あれは仕方なかったんだ。


 散々逃げる言い訳をしても逃げられなかった。


 大精霊は否定も肯定もしない。どちらをされても朔弥から拒絶の言葉が出ていただろう。そこまで察してただ話を聞いてくれる大精霊に朔弥は救われていた。


「サクヤ、それだけじゃないよね」


 じっと座っていたヴァルキリーが朔弥の腕に触れた。


「後悔してるのはそれだけじゃないよね?その想いを伝えられなかった。ホントは言いたかったよね?」

「‥‥言えるわけない。もう親父のことが好きなのに。俺にそう想われることさえ」


 迷惑だ。だから逃げた。心を閉ざした。


「その想いを否定しないで。なかったことにしたらかわいそうだよ」


 あの子が。


 ヴァルキリーが振り返る。あの時から時間が止まった部屋でずっと一人きりだった。


「多分咲さん知ってたんじゃないかな?だから待っててくれてたんじゃない?いつでも帰っておいでって」

「そう‥だろうか‥」

「サクヤ、手紙全部読んでたんだね。サクヤも大事に思ってたんだよね?」

「うん‥」

「言ってみたらいいんじゃないかな。今なら届くよきっと」


 毒は全て吐き出した。空っぽになった。

 それでも背負う業は消えない。

 でも今なら、今だけなら許されるだろうか。

 膝を強くかかえ顔を伏せる。震える声を絞り出した。


「咲さん‥‥好き‥だったよ‥大好きだった‥ごめん‥ひどいことしてごめん‥」


 その頭をヴァルキリーがそっと撫でる。


 戸口の少年は消えていた。






「結局さ、何をしても後悔しかないんだよね。想いを貫いて全部捧げても叶わないことはあるよ」

「ヴァルキリー‥」


 朔弥の隣に腰を下ろし膝を抱えた大精霊はそう語る。そして精神の大精霊は悲しげに微笑んだ。そこで朔弥も理解した。


 この大精霊も自分と同じ恋をしている。

 叶わぬ恋だ。


 ああ、だから俺はヴァルキリーを選んだのか。

 ずっと気になっていた。傷を負う同士。

 きっとこいつならわかってくれるって。



 ふと見上げると朔弥の正面にルキナが立っていた。しゃがみ込んでそっと朔弥の手に触れてくる。


「ルキナ‥」

「サクヤのはんぶんこ‥ルキナにちょうだい」

「ルキナ‥すごいな君は」


 ルキナを見上げる朔弥が苦笑し涙が流れ落ちる。


 ルキナが発熱した時に朔弥がルキナに手を差し伸べた。今ルキナは朔弥に手を差し伸べていた。


「一緒に‥背負ってくれるのか?」


 自分は逃げて逃げて逃げまくったのにこの少女は逃げずに立っている。自分の足で立って業を背負っている。おそらく万年生きた精神体。精神ココロの強い少女だ。朔弥は年齢は二十になったが精神は十三のまま。脆弱な精神のままにこの部屋に逃げ込んで動けなかった。


「ああ、そうか。わかったよ」


 なぜ初見でルキナが咲に似ていると思ったか。


 顔立ちはちっとも似ていない。性格も違う。似ていると思わないとルキナに惹かれた自分に言い訳ができないから。咲に似ているからという理由がないと自分は人を慕うもできないと思っていた。


「こんなにルキナはルキナなのにな。ごめんな」


 誰かの代わりに恋慕う。

 そんな失礼なことあってはならない。


 そっと寄り添ってくるルキナの肩を抱き寄せた。

 この少女は一緒にいるだけで勇気をくれる。


 見た目はまだ自分より年下、だがこの大精霊の強い心に惹かれたのだと今ならわかる。だからルキナと一緒にいればこれほどに満たされる。朔弥は目を閉じてふぅと満足げに息を吐いた。


「よかった、落ち着いたね。あとはルキナがいれば大丈夫かな?」

「行くのか?」


 ヴァルキリーがにこりと微笑んだ。


「ごめんね、結構忙しい身なんだよ、これでも」

「いや、そうだったな。こちらこそありがとな」


 下界はここよりも時間の流れが早い。離れてここに留まっていればそれだけ時間がなくなる。


 この大精霊が恋慕う相手、恐らくは人族。万年生きる大精霊に比べたらあっけないと思われるほど短い限られた命だろう。少しの刻も無駄にできない。だが精霊王ならばそれも曲げることは可能だ。ヴァルキリーにその意志があれば。


 朔弥は本能でそう悟り口を開いた。


「猫は‥元気か?」


 朔弥の問いにヴァルキリーは目を瞠るも輝く笑顔を浮かべた。


「‥‥うん、元気。たまに引っ掛かれるけど甘えん坊でね。とても懐いて愛してくれてる。とても優しいヒト

「そうか。幸せならよかったな」

「よかったかどうかわからないよ」


 ふと翳りを見せる大精霊に朔弥は目を細める。この大精霊には世話になった。手を差し伸べたい。その思いのまま言葉が口をついた。


「じゃあ言い方を変えようか?今お前に足りないものはないか?俺に何かできることは?お前の望むものを与えることができる」


 それは命の法則を歪める行為。有限の命を無限に変える。無限の命は岩のように長い、だが有限の命は有限だからこそ花のように美しく咲いて散る。それは花を岩に変える行為。


 精霊王の言葉の真意を理解したのかヴァルキリーはそれこそ吹き出しそうな笑みを浮かべ朔弥を見た。


「‥‥‥‥ないわ。ありがと王サマ」


 大精霊は笑顔で手を振ってふわりと姿を消した。

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