幸いの女神様

 町中に移動し、広場の石が積まれているところに二人で腰を下ろす。

 彼女に目を遣る。腕や足に、鞭で打たれたような複数の瘢痕はんこんがある。

《さて、次は身体からだの傷を癒そうか》

《私には、女神様に捧げられるものがありません……》

《以前に貰い過ぎた分をてるから気にするな。〝七〟の刻印、および身体からだに刻まれた全ての傷と引き換えに、〝ナナ〟の名を刻め》

 格好かっこ付けて言ってはみたものの、地味な作業の繰り返し。一つずつ、傷が出来る前に至るまで、少しずつときを戻す。


 名付けた者が主人となる――犬の糞ケトンに適用された規則ルールは、人間にも有効だろうか?

 俺のつまらない疑問を他所よそに、ナナが意思を表明する。

《女神様に、私の全てを捧げます!》

 あら――そんな簡単に全てを捧げる、君の将来が不安になるよ。まあ、夢の中だし。気にする必要は無いだろう。


 見える範囲の傷は消せた。

 最後に、潰されていた喉を治す。

「声を出してみろ」

 彼女の声を奪う目的を達成するための手段が、喉の物理的な破壊だった。

 引っ掛かる――何故〝破壊〟したのか。破壊しても、女神が彼女の声を手に入れることは出来ない。得られるものは何も無い。となると、交換が成立していない。そうしなければならない理由があったのだろうか――。

「あ……あ……」

「喉を治したから、普通に喋れるはずだ」

「ありがとうございます……声、出た」

 泣き崩れるナナ。パンと引き換えに、こんなに辛い目に遭う必要はあったのだろうか――。


 俺は、無意識にナナを抱き締めていた。苦しみの元凶ゲンキョウが、犬の糞であるにもかかわらず――俺は、実に身勝手な女神だな。

 無責任な犬の糞ケトンめ――願いを叶えるなら〝その後〟のことも考えろ。何も考えないから、俺に全てを奪われたんだったな。


  * * * 


「盗賊だ! 誰か捕まえてくれ」

 頭から血を流しているおっさんが叫ぶ。

 物騒だな――無関係な第三者として、眼前の光景を傍観する。


 盗賊の一人が、ナナを突き飛ばし、走り抜けた。この瞬間、俺にとって他人事ではなくなった。

 怒りの感情を剥き出しにし、叫ぶ。

もの共のときよ、止まれ!!」

 見返りを宣言しなくとも、盗賊どもときは止まった。見返りを求めるのは、犬の糞ケトンの個人的な趣味なのか――。


 ときを止められ、ただの肉塊にくかいとなった盗賊を蹴り飛ばす。

「我が所有物を傷付けたことをやめ。悔やんだところで許さぬがな」

 鬼の形相ぎょうそうをしているであろう俺の足元に、盗賊を追っていた流血おじさんが平伏ひれふす。

「ありがとうございます! 何とお礼をすれば良いか……」

 あまりにも出血が酷い。おそらく、数分で死に至る――流血おじさんの深刻な状態が、俺に冷静さを取り戻させた。


「礼など後だ。傷を癒す」

 手を添える必要は無いが、なんとなく手を添えて傷口のときを戻す。流血おじさんの傷を癒やす光景を目の当たりにした民衆から、歓声が湧く。


 ナナが平伏し、叫ぶ。

「さすが〝さいわいの女神〟様!」

 幸いの女神とは何だ? 名乗ってもいない呼称への疑問を他所よそに、民衆が釣られて続々と平伏して叫ぶ。

「幸いの女神様!!」

 このナナの行動は――ネットワークビジネスのサクラそのものだ。見事なまでに、同調行動をもたらした。


 とはいえ、ナナが無事で良かった――安堵したことで、再び何も食べていない事を思い出す。

「お腹すいたぁ……」

 言葉を発した直後。後悔にさいなまれる。この台詞を発端に、おっさんズの長蛇ちょうだの列が出来た。その〝前例〟が、脳内を駆け巡る。

 人が集まってくる気配を感じる。その場から急いで去ろうとした、その瞬間――三、四歳くらいの幼女が、俺にパンを手渡してきた。

「パパをたうけれくれれあいあと」


 幼女に続き、露店のおばさんが林檎りんごをくれた。

「カッコ良かったよ! サービスだ。食べてくれ」


 先程まで座っていた、石が積まれているところに二人で座る。貰ったパンと林檎りんごを、ナナと食べる。

 ナナが満面の笑みで言う。

美味おいしい」

 硬いパンと、酸っぱい林檎りんご。決して品質は良くない。むしろとても悪い。それでも俺が感じた感想は――。

「そうだな。美味うまい」

 想いの詰まっている食べ物が、美味うまくないはずが無い。


  * * * 


 食べ終えた林檎りんごの芯を捨てようと周りを見渡す。ゴミ箱が見当たらない。

 道の端々にゴミが散乱している。同様に、道端に捨てれば良いのだろうが、実行に移すのを理性が拒む。芯を手に持ったまま立ち上がる。

「さて、行こうか」

 歩きだそうとしたところ、先程治癒した流血おじさんが、息もえに俺に走り寄る。

「おかげ様で、盗賊は全員ぜんいん捕まりました。ただ、誰一人として口を割らず、尋問は難航しているようですが……」

 報告か――報連相ほうれんそうは大切だ。そういえば、奴らのときを止めたままだったな。


《盗賊どもときを動かせ。首から上のみ、十倍速じゅうばいそくときを流せ》

 わざとらしく手を合わせ、祈るポーズをする。単なるパフォーマンス。意味は無い。


 ナナを傷付けた罰だ。苦痛な時間を、十倍じゅうばい味わうがいい――祈るポーズを解く。

「じきに口を割るだろう」


「ありがとうございます。あの……幸いの女神様 は、何方どちらにお住まいでしょうか? お礼に伺わせてください」

「住居は無い」

 流血おじさんは、〝頭の悪い人〟のような顔をし、困惑する。

「えーと……」

「先程この世界ここに来たばかりなんだ。散策し始めた矢先、盗賊騒ぎに遭遇した」


「よろしければ、うちを使っていただけませんか? 命を救っていただいたお礼をさせてください」

 盗賊に襲われる家を拠点にしたくはない。こういうのは、はっきり断わるのが吉。

「見返りは求めていないから、お気持ちだけいただいておきます」

 流血おじさんが食い下がる。

「男手一つで娘を育てているので、娘も喜びます」

 先程の健気な幼女か――あの硬いパンを食べて育つのは不憫ふびんだ――。

《ナナ、料理をするのは好きか?》

《はい。好きですし、得意です》

 問い方を誤った。ナナにとって、俺は上司のような存在。上司から好きかと問われたら、好きだと答えるに決まっている。

《〝出来る〟ではなく、楽しいと感じるか?》

《楽しいです。私が作った料理を食べて、美味しいって笑顔になって貰えるのが嬉しいです》

 流血おじさんの娘がくれたパンを、否定する意図は全く無いが、少し――硬過ぎたし、カビも生えていた。

《娘に美味しいご飯を食べさせたい。料理を任せても良いか?》

《もちろんです!》

 ナナは躊躇ためらうことなく即答する。


「世話になる見返りとして、ナナが料理を担い、娘に料理を教えるものとする」

 流血おじさんは「そんな事はさせられません」とかたくなに拒む。しかし、世話になる条件として押し通す。

 干渉する以上、去った後にも同じ水準の料理を食べ続けられる環境を整える責任がある。


「契約、成立だ」

 この世界ここでの住居となる場所へ向かう流血おじさんの後ろを、ナナと並んで歩く。

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