4.運がいいのか、悪いのか
俺は普通の人間だ。どこにでもいる、一般市民だった。
日本で暮らしていた俺は本当に普通の男だった。
両親と三人暮らしで、兄弟はいない。勉強もそこそこ、運動もそれなりで、特に秀でた物もなかった。
中学校に入学すると部活動に入った。バスケットボール部で、部員の少ない弱小部だった。
それでも頑張った。自分なりに頑張って、高校に入学してからもバスケットボールを続けていた。
高校のバスケットボール部もあまり強くはなかった。だから、俺のような才能のない人間でもレギュラーになれたのだろう。
だが、レギュラーとして試合に出ることはなかった。
三年生の春。これから高校生活最後の一年を楽しもうとしていた矢先、俺は怪我をした。
部活中の怪我でもなければ交通事故でもない。学校の中でのことだった。
女の子が落ちてきた。階段で足を滑らせて勢いよく落ちてきたのだ。
俺はその女の子の下敷きになった。俺はとっさに行動し、彼女を受け止め、そのまま一緒に階段を落ちていった。
その時に膝にケガを負った。前十字靭帯断裂、半月板損傷の大怪我だった。
そのケガのおかげで俺は試合に出ることができなくなった。治療とリハビリで半年以上を費やし、気が付けば公式戦は終わり、受験がどうのこうのという時期になっていた。
俺は、泣いた。悔しくて悲しくて泣きに泣いた。それだけバスケットボールに本気だったのだろう。
まあ、しかし、元来俺は切り替えが早い方だった。半年もすると部活に対しての後悔は多少残っていたが、大学受験をどうにかしなくてはとそちらに気持ちが移っていた。
それにいつまでも泣いているわけにもいかなかった。
「本当に、本当にごめんなさい! 私の、私のせいで……」
俺の上に落ちてきた女の子。それはクラスは違ったが同じ学年の女子生徒だった。
彼女は泣いていた。自分のせいで俺の高校生活最後の一年が台無しになってしまった、と悔やんでいた。彼女は俺に何度も謝っていた。
学校でもいろいろと助けてくれた。足が不自由な俺のことを気遣い、罪滅ぼしだと言って支えてくれた。
だから、悲しんでいるわけにはいかなかった。いつまでも情けない姿を見せられない、と思ったからだ。
男の意地、という奴なのだろう。俺は意地を張って、大丈夫だ、と彼女に笑って見せた。
まあ、本当は辛かったのだが。
誰も悪くはない。確かに彼女が落ちてきたのが原因だが、彼女を責めても意味がない。
俺は気持ちを切り替え、受験勉強に励んだ。そしてそこそこの大学に合格し、そこそこの学生生活を送った。
その学生生活を彼女と共にした。俺は怪我の原因となった彼女と大学に入ってから付き合い始め、そして大学を卒業してから二年後に彼女と結婚した。
幸せだった。最初の出会いは最悪だったが、本当に幸せだった。
しばらくは、だが。
結婚して約3年後。28歳の時に彼女の不倫が発覚した。相手は俺の会社の先輩だった。
不倫の期間は1年。1年間不倫していたと聞いた時俺は、ああ、そういえば、となんとなく理解した。
不倫が発覚する1年前から違和感はあった。けれど、気のせいだと無視して、自分を誤魔化した。
不倫が発覚する数か月前から俺の仕事が忙しくなった。先輩から仕事を任され、それをこなすのに必死になっていた。
お前には期待している。お前にならできるからやってみろ、と先輩は俺にたくさんの仕事を任せてくれていた。
先輩のことは別に嫌いではなかったし、むしろ仕事ができる人だったから尊敬もしていた。そんな相手から期待され、仕事を任され、俺は自分の力が認められたようで嬉しかった。その期待に応えようと努力した。
それなのに裏では、だ。実際は全く違っていたのだ。
先輩はただ俺に仕事を押し付けて、その間に彼女と。
思い出したくもない、二度と経験したくない。俺は彼女の行動が怪しいと思い、調べ、証拠を突きつけ、理由を問いただし、彼女からも先輩からも慰謝料をふんだくり、離婚した。
再婚はしなかった。俺は独身を貫いた。仕事をやめて、少しの間実家に帰り、無気力な日々を過ごした。
誰も信じられなくなっていたのだろう。少しの間、二人からむしり取った金で無職の時間を過ごし、再就職をして、また一人暮らしを始めた。
俺の心の傷は自分で考えた以上に深ったのだろう。俺は誰かを信用する気になれず、ただ平和に、穏やかに暮らすことだけを考え、それだけを考えて暮らしていた。
そして35歳のあの日に交通事故で死んだ。
死んで、転生した。
俺は悪いことをしただろうか。彼女に「仕事ばかりで寂しかった」だの「ずっと罪悪感を感じていて辛かった」だのと言われたが、俺が悪かったのだろうか。
俺の人生は、前世は悪だったのだろうか。俺は悪い人間だったのだろうか。
俺が一体、何をしたっていうんだ。
前世で悪事を働いた罰というのならわかる。この世界に転生させられても納得できる。
だが、俺は悪人だったのだろうか。罰を受けなければならないほどの罪を犯したのか?
なんで、なんで、なんで。
なんでなんだよ!!
……というようなことをすべてパトレウスに読まれてしまった。
気分は最悪だった。脳みそを直接かき手で回されているような感覚に俺は吐き気を覚えていた。
「なるほど、キミは転生者か。これほどはっきりと前世の記憶を持っているのは転生者しか考えられない」
運がいいのか悪いのか、パトレウスは俺に興味を持ったようだ。実験動物としてではなく、研究対象として。
「ただ、異世界からの転移者や転生者は特別な力を持っているはずだ。しかし、キミは無能力。なるほどなるほど、これは興味深い」
俺が転生者ということがバレてはいけない最悪の相手にバレてしまった。
「キミの頭も興味があるけれど、体にも興味がある。転生者の体はどうなっているんだい?」
どうなっているんだい? と聞かれても答えられるわけがない。
「今すぐ解剖して中身を見てみたいところだけれど、下手に手を出して壊れてしまったら勿体ない。さてさて、どうしたらいいと思う?」
運がいいのか、悪いのか、俺にはさっぱりわからない。生きているだけ運がいいのか、こんな奴に自分の恥ずかしい記憶をすべて覗かれて運が悪いのか。
「まあ、最終的には処分しないとならないんだけどね」
処分?
「『転移者、転生者は速やかに抹殺せよ』というのがこの国のルールなんだ。知らなかったかい?」
知らない。聞いたこともない。だが、最悪だ。
どうやら俺は、運が悪いらしかった。
「異世界からの転移者や転生者は歴史に何度も顔を出している。ある者は世界を救い、ある者は世界を荒らしまわった。そして、どちらにも共通することは、異世界からやってきた者たちは強大な力を持っている、ということだ」
どういうわけだか知らないが、異世界からやってくる者たちは特別な力を持っているらしかった。その力を使い彼らは歴史に名を残してきた。
そして、それが脅威なのだ。と、パトレウスは言う。
「彼らはバランスブレイカーなんだよ。この世界の秩序を破壊し、均衡を崩す。そんな奴らを野放しにしていたら、せっかく作り上げたこの『帝国』がダメになってしまうからね。それを未然に防ぐために、異世界人は処分することになっているんだよ」
神様なんてものはいないのかもしれない。悪人でもない俺がこんな仕打ちをうけなければならないなんて、ひどすぎる。
まあ、善人かというとはっきりとは言い切れないが、それにしたって死んで転生した先で害獣よろしく殺処分されるなんてあんまりだ。
何てことを考えながらも俺は必死で頭を巡らせた。あまり頭は良くなかったが、それでも必死に考えた。
どうにか生き残る方法を、この場を切り抜ける方法を。
考えた。考えに考えて、考え抜いた。
けれど、何も思い浮かばなかった。現実なんて、そんなもんなのだろう。
「……あの、俺が転生者だってことは、黙っていてくれませんか?」
「なぜ?」
「俺はその、まだ子供で」
「だから?」
「心が痛まないんですか?」
「痛むかもしれないが、進歩と発展には必要な痛みさ」
ダメだ。話が通じそうにない。俺はどうにか説得しようと頑張ったが、パトレウスには全く意味がなかった。
「も、もしかしたらこれから何かすごい能力に目覚めるかも」
「確かにそうだけれど、だからこそ危険なんだよ。キミたち異世界人は」
どうしようもない。どうにもならない。もう、諦めるしかないのか。
「……も、もし、俺を殺して、何か起こったら?」
半ば諦め、口から出まかせ。自分でも何を言っているのかわからない。そんな状態だった。
そんな状態のはずなのに、頭は妙に冷えていた。
「キミの能力はわかっている」
「わからないことだって、あるかもしれないだろ?」
「……ふむ」
命の危険を感じるほど追い詰められたことなど今までなかった。だから、そう言う状況に追い詰められたとき自分がどうなるのか、そのとき初めて知った。
自分が二つに分裂するような感覚。一方は熱暴走で混乱しているのにもう一方は冷静を通り越して冷徹と言っていいほどに冷えていく。心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っているのに、その音が妙に遠く聞こえる。
「鑑定ってのは、完璧なのか?」
全身から無駄な力が抜け、こわばっていた顔の筋肉も緩み、顔から表情が無くなっていく。
あの時の俺はどんな顔をしていたのか。その顔を見てパトレウスは何を考えたのか。
「……わかった」
パトレウスは一言そう言った。そう言ってからニコリと笑った。
「キミを受け入れよう」
俺は、生き延びた。切り抜けた。
「キミが何なのかはっきりするまでは」
ここから俺の地獄の七年が始まった。
転生ガチャに失敗しました。 甘栗ののね @nononem
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