3.帝国良い国、豊かな国

 帝国は近代的な国だ。国中に鉄道が張り巡らされ、帝国の首都である帝都には上下水道が完備され、二十階建ての高層建築が立ち並んでいる。町並みも整然として美しく、道端にゴミが落ちているということもほとんどない。


 医学も発展している。そのおかげで乳幼児死亡率が下がり、平均寿命もかなり伸びた。工業や農業など、あらゆる産業面でも優れており、軍事面では他国を圧倒している。


 国土もかなり広い。帝国は『西大陸』と呼ばれる場所にあるのだが、その西大陸で一番巨大な国が帝国だ。


 その帝国は十三の州にわかれている。そして、その十三州のうち十二州には州知事が置かれ、皇帝の代わりに州知事が州を治めている。俺がいた世界の合衆国という政治体制に近く、それぞれの州には州政府という行政機関があり、州軍という軍隊も所有している。


 各州にはかなりの自治権が与えられている。そんな権限を与えてもいいのかという疑問もあるだろう。領土や軍隊まで与えてしまえば、彼らが皇帝に歯向かってくるかもしれないじゃないか、と。


 その点は抜かりない。皇帝はその州軍をしのぐ巨大な軍事力を有している。州知事が反乱を起こしても鎮圧することが可能なのだ。


 それが『八天聖』。皇帝直属の超人集団。超常の力を持つ人のかたちをした化け物どもだ。彼らはひとりひとりが常軌を逸した力を持っており、小さな国ならひとりで壊滅させられるほどの馬鹿げた能力を持っていた。


 生きた核爆弾。そう言っても過言ではないだろう。


 この世界にはそんな狂った奴らが存在している。人間の能力を鑑定することができる鏡がある時点でこの世界は普通ではないのだが、それにしても馬鹿げている。


 そして、八天聖のほとんどが『魔法使い』、この世界では『マギ』と呼ばれる魔法習得者だ。


 そう、この世界には魔法が存在している。洗礼に使用された鏡も魔法の鏡であり、帝国中に張り巡らされた鉄道を走る機関車も魔法の機関車であり、水道の水をキレイにし下水の水を浄化する浄水施設も魔法の浄水施設だ。


 帝国は大陸一の魔法大国であり、西大陸には魔法文明が花開きている。


 さて、なぜそんなことを説明したのかというと、俺を引き取ったあいつに関係があるからだ。


 あいつ。パトレウス・マルケルスス。この男もマギであり、帝国最高戦力である八天聖の一人だからだ。さらに付け加えるとパトレウスは魔法使いであるマギの中でも最高位の『マギステル』、その中でもさらに上位の、魔法使いの中の魔法使い『マギステルマギ』と呼ばれる男なのだ。


 俺はそんなパトレウスに引き取られ『帝国医学薬学研究所』、通称『帝医研』へと連れてこられた。


 帝国は魔法だけではなく医療技術も発達していた。帝国以外の国の王族や貴族が治療に訪れるほどに優れた技術を持っていた。


「いいかい、何事にも犠牲はつきものなんだ。犠牲なくしては何も得られない」


 笑う狂魔。それがパトレウスの異名のひとつだ。


 狂った悪魔。その名の通りパトレウスはその顔にいつも薄気味の悪い微笑を浮かべ、常に気持ちの悪いほどに物腰が柔らかく、嫌悪感を抱くほどに穏やかな、そんな男だ。俺にはそいつが狂っているようにしか思えなかった。


 俺は日本人だった。俺が暮らしていた場所にも多少は頭のおかしい人間はいた。


 だが、パトレウス・マルケルススより狂った人間は見たことがなかった。


「おめでとう。キミも我が国の、帝国の、ひいては医学の発展の犠牲になれる。おめでとう、おめでとう」


 そう言ってパトレウスは笑うのだ。そこに悪意は全くないように思えた。俺はパトレウスのところに七年ほどいたが、不気味で気持ちの悪いパトレウスから悪意を感じたことは一度もない。


 だからこそ狂っているのだ。パトレウスの行動は全て善意なのだ。


 この国の発展のため、医学の進歩のため。世界を良くし、苦しんでいる人間を一人でも多く救うため。そのためには犠牲が必要である。


 どんな犠牲もいとわない。どんなに非道な行いも躊躇わない。すべては進歩のために必要な犠牲なのだから。


 その犠牲。それは他人だけではない。


 パトレウスは自分をも犠牲にしていた。自分の肉体も医学の実験に使用していたのだ。


 パトレウスの顔を初めて見た人間は誰もが息を飲む。それは美しいからではなく、本当に異様だからだ。


 顔だけではない、体もである。パトレウスの体は全身に手術の跡があり、パッチワークのようにツギハギだらだった。そして事実、パトレウスは全身に他人の皮膚を移植しており、体の部分部分で皮膚の色が違った。顔の皮膚も左右で色が異なり、顔の左半分は白、右半分は黒かった。


 目の色も違った。左目は金色、右目は紫色をしている。髪の毛などは三色きっちりと色分けされている。もちろん、髪を染めたわけではない。他人の頭皮を移植したことで髪の色も質感も違っている。


 腕も違う。右手は大きく骨ばった男性の手をしていたが、左手は指が細くしなやかでどう見ても女性の手にしか思えない手をしていた。死体の腕を切り取って移植したのだ、とパトレウスは言っていた。


 内臓も他人の物らしかった。自分の物は脳みそだけだ、と奴はそう言って笑っていたことを覚えている。

 

 明らかに狂っている。どう考えても頭がおかしい。良い意味でも悪い意味でもパトレウスは頭がおかしかった。


 そんな頭のおかしい男が仕切っているのが帝医研だった。


 どんな場所かって?


 もちろん狂っているに決まっている。


 そこでは平然と人体実験が行われていた。人間が実験用のネズミや犬、猿などと同じような扱いを受けていた。


 と言っても乱雑に扱われているわけではない。実験動物たちの健康はしっかりと管理されていた。実験以外の影響を排除するためだ。実験動物たちの状態が投薬した薬の影響でそうなったのか、ただ病気にかかっているだけなのかわからない、という状態をさけるためだ。


 しっかりとした食事、清潔な部屋。帝医研の実験施設は温度や湿度が管理され、常に快適な空間が維持されていた。


 ただし、自由はなかった。施設の外に出ることは許されず、実験動物たちは管理のために首輪がはめられている。その首輪は魔法の首輪で、施設の中心から指定された範囲の外へ出ると装着者の首を絞めて窒息死させる設計となっていた。もちろん、無理矢理首輪を外そうとしても窒息死する。


 俺もその首輪をはめられた。黒い革製の首輪はぴったりと首にフィットし、普段は装着していることを忘れるくらいに自然と馴染んだ。


 だが、鏡を見ると否が応でも自分が囚われの身なのだと思い知らされた。


 自分が何か悪いことでもしたのか、と怒りを覚えたこともあった。才能が、能力がないことが悪いことなのか。


 帝医研の実験動物として集められていた人間。彼らはそのほとんどが殺人や強盗傷害、放火などの重犯罪者ばかりだった。つまり殺されても仕方のない人間ばかりが集められていたのだ。


 俺もその一人だった。もちろん罪を犯してなどいない。転生前も転生後も真面目に生きてきたつもりだ。


 だが、これはなんだ。なんでこんなことに、と俺は泣いた。どうして俺がこんな目に合わなきゃならないんだ、と嘆き悲しんだ。


 まあ、しかし、何とか生き延びた。運が良かった。


「キミのような無能力者を探していたんだよ。何の才能も能力も持たない、まっさらな人間が」


 当時のパトレウスが興味を持っていたのは脳と記憶だった。


 帝国は『教育』に力を入れていた。人が国を作る、国とは人であるという理念に基づき、国民の質の底上げ、平均的な国民の能力向上を目的に様々な研究を行っていた。


 しかし、教育には時間がかかる。お金もかかる。そして、教育を施したとしても必ず能力が上がるわけでもない。学習能力には個人差があるからだ。


 そこでパトレウスは考えた。脳みそに知識を移植することはできないか、と。文字や言葉を介すことなく直接脳みそに必要な知識を植え付けることはできないか。


「今まで何度も実験はしてきたけれど、あまりうまくいっていなくてね。植え付けに成功したとしても精神的におかしくなってしまったり、中には自ら命を絶つ者もいてね。脳が成長しすぎていても、未熟すぎてもダメなようなんだ。そう、ちょうどキミぐらいの年齢が一番いいんだよ」


 脳に直接知識を植え付ける。つまりは一度に大量の情報を脳に流し込むわけで、その負荷に脳が耐えられず精神に異常をきたす。


 脳、記憶。俺は震えた。


「じゃあ、さっそくキミの記憶を見させてもらうよ」


 まずい、と俺は焦った。記憶を読まれると俺が転生者だってことがバレてしまう。


 最悪だ。なにかあると面倒臭いと思って今まで誰にも言わなかったのに、よりにもよってこんなイカレた野郎にそれがバレたらなにをされるかわかったもんじゃない。


 なんでこんなことに。俺がなにしたってんだ。悪いことでもしたのか? くそ、チクショウ、どうして……。


「キミも、この世界の犠牲になれるんだ。おめでとう。そして、ありがとう」


 パトレウスは俺の頭の中を読んだ。そして、驚いたように目を見開いた。


「……キミは、面白いね」


 最悪だった。とんでもないイカレ野郎に興味を持たれてしまった。


 本当に、最悪な気分だった。

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