あなたの顔が嫌い、放課後の教室で君がくれた言葉
kazuchi
放課後の教室にて……。
『……あなたの顔が嫌い』
差し向かいの椅子に座る少女の唇から
暖房で熱せられたリノリウムの床材から立ち込める独特の匂いが漂う室内。最初は僕の聞き違いだと思った。ため息混じりに言われた意味が分からない。
放課後の教室には僕と彼女の二人っきりだ。だけど僕たちは決して
なぜなら僕の置かれている状況は……。
『
『あなたと私以外この教室には居ないでしょ、
『まだその呼び方で僕のことを呼んでくれるんだね、なんか久しぶりで新鮮かも』
『幼馴染の昔話をしている暇はないから。学級委員だからってあなたの居残り勉強の付き添いをしなければならないとか本当に最悪なんだけど……』
腕組みをしながら僕を睨みつける彼女は冗談を言っている
本当に最悪なのは今日の僕だ。担任の手抜きで出来の良い学級委員の華鈴がよりによって放課後の居残り課題のお目付け役に任命されるなんて最悪すぎる……。
『し、仕方がねえだろ。わからない物はいくらやっても頭に入らないんだから。学年トップの成績の華鈴とは違うんだよ!!』
『……あのね悠里、勉強なんて料理と一緒よ。レシピさえ間違えなければそれなりの物は作れるの、子供の頃はあなたのほうが得意だったじゃない。勉強だけじゃなく料理も私なんかより上手に作って良くご馳走してくれたのに』
『幼馴染の昔話をしている暇はないんじゃなかったのか? それに僕が料理をしていたのは何も好き好んでやってたんじゃないからな!!』
『あっ、ごめんね悠里、私、余計なことを言って……』
華鈴の表情に影が射すのが見て取れる。僕こそ何を余計なことを口走ってるんだ。母親が事故で他界したのはもう何年も前の話なのに……。未だに僕は悲劇の主人公を気取っているのか。
……気まずい沈黙が僕たちの
僕は頭に渦巻く雑念を振り払おうと、机に視線を落として課題のプリントに取り掛かった。
*******
『……ごめんね、悠里、すっかり遅くなっちゃったね』
『謝るのは僕のほうだよ。こんなに遅いと華鈴の親御さんが心配するんじゃないのか? 昔から帰りが遅くなるとお前の親父さん結構おっかないからさ。覚えているだろ僕がこっぴどく怒られたことを』
『うん、よく覚えているよ。あのころのウチのお父さん過保護たったから……。でも昔と違うよ。今は私と話すのも遠慮がちなの。どっちかって言うとお母さんのほうが口うるさいかな』
『へえ、意外だな。あの心配性のお父さんが変われば変わるもんだ。僕の親父は昔と全然変わらないよ、放任主義でさ。華鈴とは家も隣同士なのに随分違うって子供のころからずっと思ってたんだ……』
『ねえ、悠里!! 遅くなりついでに華鈴と付き合ってくれないかな?』
『つ、付き合うって、僕が華鈴と!?』
『えっ、悠里、何でそんなに驚いた顔をするの? 私は本屋さんに付き合ってくれないかなって言ったんだよ』
『な、何だ、本屋か……。 あっ、まさか華鈴、僕に参考書とか買わせようとしてんじゃないのか!?』
『そんなおせっかいなこと私はしないから。第一自分からやる気にならなければ意味ないし、例えば今の悠里みたいに……』
華鈴が言いかけた言葉を慌てて呑み込んだ。
『何だよ華鈴、途中まで言いかけて気になんだろ!! 最後までちゃんと教えろよ』
『今は教えてあげない。あの角の向こうの本屋さん、石坂文化堂まで華鈴とかけっこ競争して悠里が勝ったら話してあげようかな』
『何だその変な条件は、お前、おこちゃまかよ!!』
『ふ〜んだ、おこちゃまの何が悪いの!! まだ私たち中学二年生だよ。子供で結構じゃない……。 じゃあ行くよ、よーーいスタート!!』
『あっ!? 華鈴、お前、フライングするとは卑怯だぞ!!』
一気に遠ざかる制服の背中に白いセーラーカラーが揺れる、まるでその距離は僕と華鈴の間を隔てる距離感みたいだ。手を伸ばせばいつでも届く距離に彼女は居てくれたのに……。
僕はいつから華鈴に対して距離を置いてしまったのだろうか?
中学に進学して大人びて綺麗になっていく彼女に対して手を伸ばすのすら諦めていた臆病な自分にいまさらながら気がついた。
『……華鈴!!』
置いていかれたくない過去に向かって僕は全速力で駆け出した。
坂道の向こう側、いつも小学生のころ彼女と手を繋いで歩いた通学路がある。
手前の交差点には信号機がいつしか設置された。ああ、大きな事故があったからだ。
……僕の母親があの場所で亡くなった。
だからこの道を僕は避けていたのか。いつしか薄れてくる悲しみの記憶に抗うように。母親を忘れてしまうような罪悪感を覚えるなんて、それは自分勝手な言い訳だ。
あの事故が起こった日から僕は無気力な殻に閉じこもるようになったんだ。まるで胎児のごとく母親の体内に戻るみたいに……。
あの葬儀の日ですら流せなかった涙。
もし僕が泣いてしまえば母親の死を認めてしまう。
すべてが崩れ落ちてしまうようで……。
『うわあああああっ!!』
自分でも驚くほどの声が喉から漏れた。
例の場所に差し掛かる。視界が反転して交差点の信号機が滲んで見えた。
青、黄色、赤、鮮やかな色が混じり合う。
……信号機が視界に入るやいなや胸の動悸が激しくなった。やっぱり無理なのか。
これは僕の心が生み出したモノだと頭では理解していても完全に足が鈍ってしまう、もつれるようにその場に倒れ込みそうになったその瞬間だった。
『悠里っ!!』
暗がりから伸びた華奢な白い手。僕がずっと望んでいても掴めなかった温かい指先がそこにあった。華鈴だ!! 僕を横断歩道の手前で待っていてくれたんだ。
『最初に華鈴の手を握ってくれたのは悠里のほうが先だったよ、お前はおっちょこちょいだからこの手を離せないって。私その言葉がとっても嬉しかったんだ……』
『華鈴、僕は……!!』
『いっぱい泣いたっていいんだよ。大丈夫だから。だってずっと涙を我慢してきたんだもん。華鈴は感情を押し殺して無理をしているあなたの顔が嫌いって言ったの。悠里のお日様のような笑顔が子供のころから大好きだったから……』
華鈴が教室で僕に投げかけた言葉の意味がやっと理解出来た。
彼女はこんな不甲斐ない幼馴染をずっと待っていてくれたんだ。
『悠里、今度は私から手を繋ぐ番だね』
『華鈴、ありがとな、だけどその前に僕に教えてくれないか? 例えば今の悠里みたいに……。って言い掛けた
『それはね、お隣さんだから聞こえちゃうんだ。知ってるよ悠里が部屋で毎晩ギターの練習をしていることを。これから本屋さんに行く
『あの曲って!? 何だよ、華鈴は全部お見通しか。内緒で練習して驚かせてやろうと思っていたのに……』
『ウチのお父さんもギターを弾くから、悠里の演奏を聴いて華鈴にこっそり教えてくれたんだ。もっとちゃんとしたスコア本で練習したほうが上達も早いって。ごめんね、やっぱりおせっかいな幼馴染で』
『と言うことはまだまだ調子外れなギターの演奏ってことか……。毎晩騒音でごめんな』
『ううん、私も最近お父さんとの会話が減っていたのが、悠里のおかげて切っ掛けが掴めたし……。何よりあの曲の覚えていてくれたのが嬉しかったんだよ!!』
『ああ、忘れるはずないだろ。小学生のお前と初めて観に行った映画の
『そう言えば、悠里はあの歌のサビの部分ばっかりギターで練習していたね、どうしてなのかな?』
『……ば、馬鹿、恥ずかしいこと言わせんなよ。そこしか弾けないからに決まってんだろ!!』
『そうだったんだ、少し残念かも。 だってあの曲のサビは素敵だったからあえて練習しているのかと思ったのに……』
『……華鈴、僕がもう少しギターの腕前が上達したら君の前で何度でもあのフレーズを歌ってあげるよ』
『うん、楽しみに待ってるね!! やっぱり悠里はその笑顔がいいな、もうあなたの顔が嫌いなんて言わないよ……』
照れくさそうに差し出された彼女の指先をしっかりと握りしめる。もう逃げたりはしない、だって僕の隣には華鈴が居るから。
【大好きな君の手を離さない】
あの曲のサビを思い浮かべながら本屋へ向かう横断歩道を僕は渡り始めた……。
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最後までお読み頂き誠にありがとうございました。
※この短編は下記連作の第一話になっております。
それぞれ単話でもお読み頂けますが、あわせて読むと更に楽しめる内容です。
こちらもぜひご一読ください!!
①【あなたの顔が嫌い、放課後の教室で君がくれた言葉】
本作品
②【私の大好きだった今は大嫌いなあの人の匂い……】
https://kakuyomu.jp/works/16817330653972693980
③【私の嫌いを見逃してくれたあの日から、つないでいたい手はあなただけ……】
https://kakuyomu.jp/works/16817330654109865613
④【真夜中は短し恋せよ中二女子。あなたのやりかたで抱きしめてほしい……】
https://kakuyomu.jp/works/16817330654178956474
⑤【好きな相手から必ず告白される恋のおまじないなんて私は絶対に信じたくない!!】
https://kakuyomu.jp/works/16817330654262358123
⑥【ななつ数えてから初恋を終わらせよう。あの夏の日、君がくれた返事を僕は忘れない……】
https://kakuyomu.jp/works/16817330654436169221
⑦最終話【私の思い描く未来予想図には、あなたがいなくていいわけがない!!】
あなたの顔が嫌い、放課後の教室で君がくれた言葉 kazuchi @kazuchi
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