#KAC20231 稀覯本(きこうぼん)

高宮零司

稀覯本

「こんなウワサを聞いたことがあるか?あの御幸通りの裏手に本屋があるそうなんだ」


 私、御厨三郎太はこう話を切り出した。

「あの通りの裏手に本屋なんてあったかな。小間物屋ぐらいしかなかったと思うが」


 私の話に対し、涼しげな顔の美杉英太郎は、小首をかしげた。美丈夫の彼がそのそのような仕草をすると非常に絵になる。


 それがなんとも羨ましく、私は心中嫉妬した。

 帝大で知り合った数少ない友人の一人だが、容姿には恵まれない私には眩しすぎたのである。


「それがあるらしいんだ。ただし、その店には、店に選ばれた人間しか入れないらしい」


「何だい、それはなんとも妙な話じゃないか」


 英太郎は薄笑いを浮かべながら私の話を聞いていた。

 半信半疑といったところなのだろう。


「その店に入るともちろん本屋なんだから本がある。ただそこに置いてある本にはほとんどが白紙だそうだ。ただ一つ、その店に入った者の名前が表題になっている本が置いてあるらしい」


「難題それはまるでそのものが訪れることをわかっていたような奇妙な話じゃないか。まるで怪談話だな」


「まさに怪談話だよ。その本を読んだものはそれから程なくして死ぬらしい。ただその本を読んだものは非常に満足して死ぬのだそうだ。自分が生まれてきた意味を悟るのだそうだよ」


「生まれてきた意味だって?なんとも奇妙な話だな。怪談話にしては哲学的だね」


「まさにそうなんだ。怪談話にしてはオチが弱すぎるというか確かに死ぬんだけど、ただそれだけで、幽霊が出るとか怖いと言うわけでもないんだな。そこがなんともリアルでね」


「それではその店をもし見つけたとしても入らないのが得策だな。生まれてきた意味となどと言うものを知れたとしても、死んでしまっちゃわ意味がないものな」

 英太郎は笑った。


「それがそうもいかないようなんだ。その本屋にどうしても入りたくなるのだそうだよ」


「そいつはまさに怪談話だな。まぁ気をつけるとしよう。何しろ御幸通りなんてそうそう用があるところでもないものな。あまり怖がる必要もないと思うが、そう言って英太郎は笑った。


 その笑顔を少し離れたところでこの純喫茶「シャトレヰ」の女給である紀美子が見惚れていた。

 君子は私が密かに思いを寄せるなんとも可憐な若い女であった。

 ただ英太郎は彼女の好意を知っているか知らないのか、思ヰせぶりな態度をいつもとっている。

 私はそれがどうにも気に入らないのだが、生来の臆病さが邪魔をして何も行動を起こせずにいた。



 そんな話をコーヒーを飲みながら話したのは、おそらく大正11年のことだったろう。

 それからあっという間に4年が過ぎた。

 あの奇妙な怪談話を話した後、ほどなくして英太郎の姿を急に見なくなった。


 どうしてか言えば、彼はあの後御幸通りに通いつめていたらしい。

 

 それが何故かは今となってはもうわからない。


 なぜならば、彼はその後急に原因不明の高熱で倒れ、病院に書き担ぎ込まれたからである。

 医者も手を尽くしたものの、高熱の原因は皆目不明であった。

 ただうわごとのように英太郎は「生まれてきた意味がようやくわかった」と何度も何度も叫ぶように言っていた。

 彼が二十代の若さにも関わらずあっけなく事切れたのは1週間もせぬ内のことであった。


 そして昭和3年。

 私は実家の造り酒屋に急遽呼び戻されていた。

 2人の兄が相次いで急病で倒れ三男坊である私が実家の継がなければいけなくなったからだ。

 英太郎の死からほどなくして恋仲になっていた純喫茶の女給、君子は私の妻となっていた。英太郎の姿からさほど間をおかず私が強引に口説いたのである。

 親友の死を利用するようで気が引けたものの、私はどうしても君子をあきらめることができなかったのである。

 傷心の君子はしばらく私の誘いを断っていたが、半年ほど経った時に根負けしたように私の恋人となった。

 そして私とともに妻として実家と実家に戻ったのである。

 実家を継いだといっても、私の仕事はさほどなかった。

 大番頭である年嵩の男は私の差配など必要とせぬように店をしっかりと切り盛りしてきたからである。私は一応一応酒作りの勉強などをしていたが、最近はそれもおろそかになっている。


 なぜならば、帝都から遠く離れた、この田舎町にもあの御幸通りの本屋のような噂が流れていたからだ。

 1冊の本しか置かれていない奇妙な本屋の話。

 私はそれが気になって何度も何度も田舎街を彷徨歩いていた。


 もうすぐ私の子が生まれるというのにだ。

 自分でも、もはや何を追い求めているのか分からなくなっている。

 今、私は幸せなのに、そうであるはずなのだ!

 だが、気になるのだ、どうしても。


 そしてある日、私はその本屋をようやく見つけた。

 今にも傾きそうな古い店先に「古書春夏冬中」と言う古い看板がかけられている。


 私はフラフラとその店の中へ入っていった。


 店の中には、本棚がずらりと並んで並んでいるが、本はさほどない。


 いくつか本を手に取って見てみたが、豪勢な装丁であるにもかかわらず、本は全て白紙であった。

 

 店主は誰かと視線を送ると、店の奥に大島紬の着物を着た美しい女が店に似つかわしくない若々しく美しい微笑を浮かべているのが見えた。


 椅子に座って本を読んでいたらしい彼女は、私に艶然と微笑みながら軽く会釈をしてくる。


 私は心臓を掴まれたような錯覚を覚えたが、すぐに書架へと目を戻した。


 熱病で浮かされたかのように本の装丁をじっくりと観察していく。


 しかしきちんと表題が書かれた本はどこにも見当たらなかった。


 私はまさに熱病患者の様に店の奥へ奥へと彷徨歩いて行った。


 そしてようやくその本を見つけた。


 「御厨三郎太」

 

 確かに、その本の表題はそのような表題が金文字の箔押しで印刷されていた。


「私は近いうちに死ぬのだろう。だが、なんと恵まれた人生であることか」


 私はにっこりと微笑みながら、その本を手に取った。


 不思議とこれから生まれてくる我が子に対して申し訳ないとか、身重の君子を置いていくのを惜しむような心は全く生まれてこなかった。


 ただただ深い満足感を感じながら私はその本を手に取り、美しい女店主の元へもっていくのであった。

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#KAC20231 稀覯本(きこうぼん) 高宮零司 @rei-taka

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