第十七集:悪魔

悠青ゆうせい様! 恒青こうせいが東宮から姿を消しました!」

「どこへ行ったかは太監たいかんたちもわからないようです」

 恒青こうせいの様子を見に行かせていた璆琳きゅうりん瑾瑜きんゆが戻ってきた。

「やっぱり……」

「魔法使いと皇后と共に出発したんだな。さて、どこに行ったか……」

 悠青ゆうせいは何度か深呼吸を繰り返すと、二人に指示を出した。

璆琳きゅうりん瑾瑜きんゆ。急ぎ燕国へ赴き、皇帝陛下に伝えて来てくれ」

 悠青ゆうせいは大きく息を吐くと言った。

「瓏国を救う時が来た、と。このぎょくを持っていけばすぐに会わせてもらえる。頼んだぞ」

 悠青ゆうせい祁陽きようからもらっていた瑠璃ラピスラズリぎょくを渡した。

「はっ!」

悠青ゆうせい様、ご武運を」

 二人は音もなく飛び立つと、そのまま空の彼方へと消えていった。

「いいのか。瓏国が戦場になるぞ」

「覚悟の上です。ただ、ここではない場所が主戦場になると思われます」

「それはなぜだ」

恒青こうせいは……、わたしに固執しているようでした。おそらく、わたしが鳳琅閣ほうろうかくへと修業に行くようになる前に、よく一緒に行っていた場所にいるのではないかと思うんです」

「居場所がわかるのか!」

「皇族の避暑地です。よく川で遊びました……。もうそのころのわたしたちは存在しませんが」

 悠青ゆうせいは無意識に「わたしたち」と口にした。

 もうすでに、自分が桂甜けいてんと完全な融合を果たしたことを、心のどこかで悟っているのだろう。

「避暑に行くにはまだ時期的に早いな。ということは、被害は最小限で済ませられるということか」

「はい。宮殿きゅうでんの周囲は皇族が伝統的に行っている狩猟のために大部分が草原と森林です。一番近い人里でも、馬で三日。充分、戦火からは遠ざけられます」

「せめてもの幸運だな」

「そうなるといいですが……。幸運ではなく、現実にしなければ」

 紫董しとう軍は動かせない。

 皇宮守護の要であるはずの禁軍の大部分が信じられない今、董大師たいすいには大統領と連携し、黎安を護ってもらわなければならない。

 御林軍が従うのは皇帝と皇后のみ。

 そのどちらもがいない今、彼らは玉璽ぎょくじを持つものに従う。

 おそらく、恒青こうせい兵符へいふと一緒に持ち出しただろう。

 兵符があれば、瓏国内にあるすべての兵を動かすことが出来る。

 そうなれば……。

「戦争は避けられません。護るための戦いが、殺戮に変わらないよう、素早く動きましょう」

「正体を明かす覚悟はあるか」

 杏憂きょうゆうに肩を掴まれ、真剣な表情で聞かれた。

「ええ。もう隠す理由もないですし」

「……それならば、付き合おうじゃないか」

「で、でも、師匠はこの先も薬術師として……」

「いいじゃないか。有名な鳳琅閣ほうろうかくの閣主であり薬術師の私が、実は仙子せんし族だったなんて、最高の宣伝になるとは思わないか?」

「……ありがとうございます」

 熱い。

 胸が、心が、勇気で満たされていく。

「飛んでいこう。その方が三倍近く速く着く」

「はい!」

 二人は杖を羽衣に変えると、姿を消すことなくそのまま空へと飛びあがった。

悠青ゆうせい殿下!」

 下から声がした。

「我々はあなたを信じます!」

 賢妃に仕えている太監たちが息も絶え絶えに走りながら空を見上げ、叫んでいる。

「たとえお姿が変わろうと、それにどんな理由があろうと、行きつく先の未来は明るいのだと、思わせてくださるから!」

 そこへ太医たちも加わり、涙を流しながら手を振っている。

「お気をつけて!」

「行ってきます!」

 悠青ゆうせいは大きく手を振り返し、杏憂きょうゆうと共に空に軌跡を描きながら風の中を飛んでいった。

「愛されているな、悠青ゆうせい

「みんな、心が広いのです」

 涙が出た。

 皇太子になることから逃げ、信じてくれている人たちからも逃げてしまった。

 落胆させてしまっただろう、呆れさせてしまっただろう、そう思っていた。

 でも、それは悠青ゆうせいの罪悪感が自身にそう見せていただけで、彼らはずっとずっと悠青ゆうせいを信じているのだ。

 過去も、今も、そして、未来も。

「戦う理由しかないな」

「はい。わたしの手が血に染まることで国を、民を救えるのなら、いくらでもつるぎとなりましょう」

 悠青ゆうせいは涙を拭い、前を見た。

 陽が落ち始めた。

 悠青ゆうせいの髪に太陽の光が反射し、劫火ごうかのようにあかきらめいている。

「ふふ。こうして飛んでいると、君は螢惑けいこくのようだな」

螢惑けいこくとはなんですか?」

火星ひなつぼしのことだ。夜空を彩る、赤霊せきれいの星。私が一番好きな星だ」

「それは褒めているんですか?」

「そう受け取って置け」

「ふふ。そうします」

 風に夏の香りが混ざる。

 それは雨のにおいとも似ていて、切なさがこみ上げる。

 これから行くのは、幸せな思い出がたくさんある場所。

 それを、実の弟ごと、引き裂きに行くのだから。


 空に白い月が目立ち始め、気づけば夜。

 追いつけたようだ。

 眼下にはちょうど皇太子専用の馬車が避暑用の宮殿下に着いたところだった。

 怯える皇后の肩を支えながら、恒青こうせいと魔法使いが宮殿までの長い階段を上っていく。

「皇后陛下がまだ生きていてホッとしたが……、恒青こうせいには何か考えでもあるのか?」

「わかりません。でも、これから殺そうとしていることには変わりないでしょうから、わたしたちも宮殿へ入りましょう」

 三人が宮殿に入ったのを確認すると、二人は地上へ降り立ち、すぐにその後を追った。

 悠青ゆうせいは羽衣だった杖を剣に変え、帯刀。

 杏憂きょうゆうも袖の中に紅鋼玉ルビーの扇子を隠した。

「こっちですね」

 声のする方へ走っていく。

「きゃああ! 恒青こうせい、いったい、どういうことなの⁉」

 皇后の悲鳴がこだました。

 悠青ゆうせいは引き戸を蹴破り、中へと入って行った。

「やめろ! 恒青こうせい!」

 恒青こうせい桂甜けいてんの姿の悠青ゆうせいに驚きつつも、嬉しそうに微笑んだ。

「ようこそ、兄上」

 恒青こうせいは自身の母親の喉元に短剣をあてながら言った。

 その少し後ろで、魔法使いは杏憂きょうゆうを警戒しながらこちらを見て微笑んでいる。

「た、助けて……」

「母上、少し兄上と話をしたいので、黙っていてくださいね」

 皇后は口に絹の布を二重に巻かれてしまい、声が出せなくなってしまった。

「やめるんだ、恒青こうせい

「どうして? 母上を殺せば、私は兄上と対等な存在に成れるのですよ?」

「そんなの、わたしは望んでいない!」

「兄上が何を望もうと望まないと関係ないのです。私は、もう決めたのですから」

「何を……」

「私は魔王になります。そうすれば、兄上はきっとその永い一生で私のことを忘れられなくなるでしょう? 思い浮かべない日がなくなるでしょう? 私はこの中原を統べ、兄上を愛し、永遠に憎み合いたいのです!」

 何を言っても反論されるだけ。

 恒青こうせいは完全に自身の作り上げた妄想の世界に陶酔している。

「もしその手を少しでも動かしたら、わたしがお前を殺す」

「ああ、兄上! その美しい戦火のような髪色に冷たい満月のような眼……。ずっとずっと、美しく優しい私の兄上……。永遠に、私のものになってください!」

 手を伸ばし、飛び出したが、間に合わなかった。

 恒青こうせいが握っている短剣が、皇后の喉を切り裂き、鮮血があふれ出した。

「ふふ、あははははは! おい、アンリ! これでいいのだろう! ああ、ずっと考えていたのです! 母上は必ず兄上の目の前で殺そうと!」

 アンリは喜色満面でくうから魔導書を取り出すと、呪文を読み上げ始めた。

羅甸ラテン語か! どうにか邪魔出来ないか、私が試そう。専門じゃないから、あまり期待するなよ」

 杏憂きょうゆうがアンリの呪文を妨害するための反対呪文を唱え始めた。

恒青こうせい……」

 もうここで、殺しておくしかないのか。

 悠青ゆうせいは剣を鞘から抜いて構え、斬りかかった。

「な!」

 球状の何かに弾かれ、火花が散った。

「おお、アンリが言っていた通りだ。どうやら、これは一種の〈繭〉だそうですよ、兄上。私は生まれ変わるのです。崇高なる邪悪の化身、悪魔へと」

 恒青こうせいの目が満月の様に黄色く輝きだした。

「うあっ!」

 杏憂きょうゆうが弾け飛び、口から大量の血煙を吐き出し始めた。

「師匠!」

「くそ、駄目だ。あの魔法使いは二重音声使いだ」

「二重音声ってことは……」

恒青こうせいを悪魔に変える呪文を高音域で、私に攻撃する呪文を低音域で同時に唱えることが出来るんだ」

「そんな……」

 アンリは嬉しそうに顔を歪ませわらうと、低音の音域で言った。

仙子せんしには致死節ちしせつがありませんが、傷つけることくらいは出来るんですよ」

 悠青ゆうせいがアンリに斬りかかろうとしたその時、屋根からドスン、ドスンと大きな重いものが落ちてきた。

「さぁ、悠青ゆうせい殿下、いや、桂甜けいてん様かな? この巨大な兄弟は両方とも鉄製の防具に鉄製の武器を携えております。あなたの師匠では戦いにくいでしょうねぇ……。師匠を犠牲にして私と戦うか、それとも、師匠を私に傷つけられながら鉄装甲巨兵てつそうこうきょへい二体と一人で戦うか……。どうします?」

 悠青ゆうせいは剣を構え、鉄装甲巨兵に向き合った。

「おい、悠青ゆうせい。背中は任せたからな」

「すぐに終わらせて、必ず助けます」

 杏憂きょうゆうはふっと笑うと、杖を扇子に変えた。左手には紅鋼玉ルビーの扇子を携えて。

「舞え、悠青ゆうせい

 悠青ゆうせいは跳躍すると、身体を横に捻りながら剣をふるい、鉄装甲巨兵の一体から兜を弾き飛ばした。

「……くっ!」

 兜の下から現れたのは、焼けただれたような、豚の鼻と叉角羚羊プロングホーンの角、そしてわにの顎が混ざった人間の顔だった。

「どうですかわたしの作品は! 豚を混ぜたのは正解でした。雑食なので、何でも食べてすぐに成長するんです。そう、人間もあますことなく、です! プロングホーンはその脚力のみならず、美しい角を持っています。刺されたらひとたまりもないでしょうねぇ。そして極めつけはわにの顎。なんでも粉砕できますよぉ。それこそ、人間の頭蓋骨もですね」

(人間に、人間を食べさせたのか……)

 背中に強く鈍い痛みの後、身体が吹き飛ばされた。

「ぐっ……」

 鋼鉄のつちで殴られたようだ。

 でも、さすがは煌仙子こうせんしの身体。

 骨にヒビすら入らない。

 ただ、服と皮膚は裂け、血煙が背後から立ち昇った。

「余所見している暇はあるのか? 魔法使い」

 杏憂きょうゆうの二対の扇子が魔導書を真っ二つに切り裂いた。

 さらに、斬り上げ、アンリの左腕を空中へ跳ね上げた。

「くっ! お前はいったい、何者なんです! 仙子せんしにしてはその力が清浄すぎる……」

「あいにく、魔法使いには何も教えないことにしてるんでね」

 しかし、アンリの高音域の声は呪文を唱え続けている。

 杏憂きょうゆうはアンリに攻撃を続けた。

 アンリは斬り落とされた左腕からあふれる血を首元のスカーフを引き抜いて結び、止血しながら避け続ける。

 一瞬の隙。杏憂きょうゆうの扇子がアンリの目をかすめた。

「うあああああ!」

 すると、アンリから黒い霧が立ち昇り始め、姿が変化し始めた。

「魔法使い……、君、完全な存在ではないんだな」

 目は黄色く、瞳は円ではなく横に伸びている。

 短い角が頭から伸び、足には蹄が現れた。

「悪魔と下級女神ニンフの混血か」

「うるさいぞ! くそ! こんな醜い姿……。くそ! くそ! くそおおおお!」

「さぞ苦労したんだろうなぁ。悪魔たちからも、神族からも疎まれただろう? 望まれぬ子だものな」

「あの女は女神などではない! 悪魔相手に股を開くただの娼婦だ!」

 アンリは姿を人型に戻しながら、右手に黄金のサーベルを構えた。

「すべてはあの女が恋などと言う不毛な遊戯おあそびに敗れたのが悪いのだ」

 アンリが仕掛けてくる。

 それを杏憂きょうゆうは扇子で薙ぎ払い、一歩下がった。

 互いに間合いを見極めんと見つめ合う。

「女は自分を棄てた男神おとこに復讐するために、悪魔の中でも地位の高いモラクス伯爵をたぶらかし、その子種を得た。そうして生まれたのが私だ」

 アンリはサーベルに出血を引き起こすのろいをかけた。

「私は女が望んだとおり、その男神を殺してやったさ。そのあとどうなったと思う?」

 剣がぶつかり、黒い火花が散る。

 杏憂きょうゆうは力で跳ね返し、仙力で足元地面から尖った岩を出現させ、アンリにぶつけた。

 アンリは腹を抑えながら数歩後ずさり、口からあふれる血を吐き捨てた。

「ぐっ……。あはははは! 流石は仙子せんしと言ったところか」

「で? どうなったって?」

 アンリは怒りで血管が浮かび上がり、眉が痙攣したようにぴくぴくと動いた。

「『こんな気味の悪い子供、もう要らない』と、人間界に突き落とされたんだよ!」

 アンリは魔法で水流を作ると、杏憂きょうゆうの足を掬おうと濁流を流した。

 杏憂きょうゆうはそれを跳躍で避け、岩の上部を扇子で切り崩して上に飛び乗った。

「だから人間を自分と同じ目に合わせようと悪魔に変えているのか?」

「その通り。楽しいぞ? 壊れていく国や街、人々を見るのは爽快だ。心がたぎる。最高のエンターテインメントだよ!」

 二人はほぼ同時に飛び上がると、戦場を空へと移した。

「ほう? 悠青ゆうせい殿下をおもんばかってのことか」

「地形が変わると、勝った後の処理が大変だからね」

「大口をたたくな仙子せんし族!」

 杏憂きょうゆうとアンリが空中戦を繰り広げているとき、地上では悠青ゆうせいが一体目の鉄装甲巨兵の首をその胴体から斬り落としていた。

「はぁ……。まずは一体」

 目の端に映る恒青こうせいを包んでいる〈繭〉は、先ほどよりもさらに黒く、中が見えないくらい暗くなっている。

 ぞわぞわと鳥肌が立つ感覚。

 そしてそれは現実となって目の前に現れた。

 繭がふわりと花のように咲いたのだ。

 中心には漆黒の艶やかな翼に包まれた恒青こうせいがいた。

 頭に生えた純白の角に、黄金の眼。

 唇は生き血を啜ったかのように赤黒い。

「ただいま、兄上」

 頬を何かがかすめた。

 振り返ると、もう一体の鉄装甲巨兵の頭がもがれていた。

「ああ、力が湧いてくる。すごい……、これが悪魔か」

 恒青こうせいは微笑むと、掴んでいた大きな頭部を投げ捨てた。

「兄上を傷つけて良いのは私だけだから」

 恒青こうせいの手にはいつの間に持っていたのか、黒い剣を握っていた。

 滴り落ちる血。

「それならば、わたしはお前を殺そう。もう二度と、出会わないように」

「ああ、嬉しい。兄上、愛しているよ」

 二人の間に一陣の風が吹いた。

 悲しき物語の、終焉へ向かって。

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