第三集:煌

「成人のお祝いかぁ」

 悠青ゆうせいは久々に自身のやしきで大の字に寝転がっていた。

 そのそばにおいてあるのは長い書状。

 内容は、五月に晴れて二十歳となる悠青ゆうせいの成人祝いを盛大に行うというものだった。

 皇帝と賢妃が張り切っているらしい。

 先日の皇帝毒殺未遂事件の時に桂甜けいてん杏憂きょうゆうを呼んできたということで、感謝のしるしに皇后も準備に参加しているというのだから困ったものだ。

 断るという選択肢がない。というか、主役なのだから元から強制参加だ。

「でも、桂甜けいてんと師匠を招待したらどうかって提案はどう潜り抜けよう……」

 杏憂きょうゆうだけならば連れてこられるが、桂甜けいてん悠青ゆうせいだ。

 分裂でもしない限り、無理。

「困った、困った、困ったなぁあああ」

 今日も先ほどまで、成人の儀で着させられる予定の装束の打ち合わせで、かなりの時間を拘束されていたのだ。

「陛下への感謝の言葉とかも考えて覚えないといけないし……。もう、こんな放蕩息子のことは放っておいてくれればいいのになぁ」

 後日、料理の打ち合わせも行うらしい。

 宴席で使う食器、座布団の生地、垂れ幕の糸の色……。

 正直、そういうのは全部賢妃にまかせてもいいのではないかと思ったが、隣で嬉しそうに選んでいる母の顔を見ると、側にいてあげたくなってしまう。

 息子として、親孝行は必要だ。

 ただでさえ、お見合いを避け続けているのだから。

「姉上たちの子供がいるのだから、わたしに期待しなくともいいのに……」

 悠青ゆうせいに子供を持つ気はない。もちろん、妻も。

 自分のせいで皇位に巻き込まれる人を増やしたくないからだ。

 それに、杏憂きょうゆうとしようとしていることに巻き込みたくない。

(瓏国を滅ぼそうなんて、本当、自分でもどうかしてるって思う。でも、恒青こうせいには任せられないから、仕方ない)

 ため息が出る。

 どんなに理由を並べても、憂鬱な気分になるのは変えられない。

 それなのに、本当に不思議だと思った。

 桂甜けいてんになると、すべてのものへの感じ方が変化するのだ。

 弟に対する、愛情すらも。

桂甜けいてんは恒青を……、殺したがってる。わたしは……。出来ればそんなことにはなってほしくないけど……)

 悠青ゆうせいは上半身を起こし、頭を振った。

「散歩行こう」

 突然外に出ようとする悠青ゆうせいの姿に焦った侍従たちに「殿下! 護衛をお付けください!」と言われたが、「ちょっとそこまでだから」と強引に邸から飛び出した。

「ふう。みんな心配しすぎ。黎安れいあんの治安は他国の首都と比べてもかなり良い方なのに」

 歩き始めて五分。

 おそらく、あとで家族全員から怒鳴られるだろう。

 悠青ゆうせいは誘拐されてしまった。

 口に布で猿轡さるぐつわをされ、頭に麻で出来た硬い袋を被せられた。

 微かに薬草のようなにおいがする。

 腕と足も縛られ、荷台のようなものに乗せられたあと、乾いた藁を被せられた。

(わあ、どうしよう)

 皇帝家に生まれた以上、人生で一度くらいはこういうこともあるだろうと想像はしていたが、まさか本当に起こるとは。

 恐怖よりも驚きの方が大きかった。

(わたしが放蕩息子だってわかっているのだろうか。誘拐したところで、もう皇太子は別にいるんだし。わたしの生死には特別意味がないような気もするけどなぁ)

 自己に対する評価が低い故の弊害。

 悠青ゆうせいは気付いていないが、誰もが思っている。

 皇子のくびには莫大な金銭的価値があるということを。

 悠青ゆうせい鳳琅閣ほうろうかくで修業しているときの癖で、つい数えてしまった。

 攫われた場所から次の地点までの距離を。

(馬の速度とわたしの重さが加わったこの荷台。それに、身体に感じる振動は舗装されていない獣道のもの。……まあまあ黎安からは離れて来たな。お、止まった)

 悠青ゆうせいは担ぎ上げられ、そのまま連れていかれた。

(手に当たる風が湿ってる。水辺が近いのか……)

 扉が開く音。板間に響く靴音。

 さらに引き戸がすべる音に、石か何か、硬いもので出来た階段を下っていく音。

(おお、地下牢的なものかな)

 何度か大理寺や刑部の牢の前を通ったことはあるが、中には入ったことが無い。

 好奇心から「少し見学を……」と頼んでも、門番に丁重に断られてしまったこともある。

 錆による甲高い音。鉄格子が開けられたのだろう。

 微かに人間の分泌物のにおいがする。

 拷問の痕跡かどうかは見ないとわからないが、血や腐敗臭も感じる。

 ただ、それよりも何より、黴臭い。

 今度は少し湿った藁の上に尻から落とされた。

 麻の袋がとられた。

「どうも、殿下」

 見たこともない男だった。

 稲穂のような金色の髪に、海のような青い目。

 鼻は高く、肌は桃色がかった白い色をしている。

(……西洋人かな)

 服も初見。

 袖が細い、長い襟のある黒い服。

 中にはぼたんのついた白い服を着ている。

 下衣は中原のものとは全く違い、二股に分かれた細くてシュッとした筒状のもの。

 靴はおそらく何かの動物の革をなめしたものだろう。

 艶々とした膠飴こういのようだ。

 男の背格好は、貿易船に乗って中原へとやってくる西洋人に似ている気がした。

「居心地はいかがですかな?」

「むむむ」

「おっと、布をおはずししますね」

 悠青ゆうせいを担いできたのであろう大男に少々手荒に猿轡を外された。

「どうも」

「素晴らしい。声も美しいとは」

「あの、何の用でしょうか」

「おやおや、誘拐されたのに冷静ですね」

「一人なので。それに、騒いだところで意味ないでしょうし。顔を見せたということは、生きて帰す予定がないってことでしょう?」

「ほほほ! エクセレント! なんとクレバー……。おっと、まだ中原の言葉に慣れていなくて申し訳ありません。賢いのですね」

「父上の兄弟が幼い頃に誘拐され、遺体となって戻ってきたと聞いたことがあります」

「皇帝家に生まれた宿命でしょうね。殿下は話が早くて助かります。でも、我らの作戦は少し違うのですよ」

 そう言うと、大男に身体を羽交い絞めにされた。

「これを打ったら、殿下をご家族の元へお返しします。そしてこの書状をお届けするのです」

 男の手には銀色の筒状のものが握られており、目の前に出された紙には『解毒薬が欲しければ、指示に従え』と書いてあった。

「わたしを病にして何かをせびろうって魂胆なのですね」

「その通り! ご家族の健闘次第では、殿下はこの先も素晴らしい人生を全うできることでしょう!」

 次の瞬間、左腕に酷い痛みがはしった。

 針の先端から血中へ、何かの薬液が注入されていく。

 熱い。

 熱した油を注ぎこまれているような痛みが全身に流れていく。

「うああああっ!」

「痛いですよねぇ、苦しいですよねぇ。ふふ。それは私が特別に調合した毒。私以外の者では解毒は不可能です。それこそ、魔法が使える者でもいなければ、ね」

 痛みで意識が飛びそうなのに、その痛みが心臓を強く跳ねさせ、眠ることを妨げてくる。

 苦しみが鼓動と同じ頻度で身体を蝕んでいく。

 視界が赤い。

 目からぽたぽたと赤い雫が落ちる。

 濾過しきれなかった涙がその色を残したまま溢れているのだ。

 悠青ゆうせいは再び袋を被せられると、再び荷台へ載せられ、来た道を戻り、今度は皇宮の門前に放り投げられた。

 馬車は衛兵たちも振りほどくほどの速度で遠ざかっていく。

 袋をとった門番が叫ぶ。

 太医と禁軍がまさに飛ぶような速さでやってきた。

 担架では遅いと判断したのか、禁軍大統領が自ら悠青ゆうせいの身体を抱き、馬に乗って診療所へと駆けて行った。

「殿下! 恵王殿下!」

 あちこちから呼ばれるが、口から出るのは血と唾液。

 幸いだったのは、たどり着いた診療所に機転の利く太医がいたこと。

「殿下! 杏憂きょうゆう先生と桂甜けいてん先生は近くにいらっしゃいますか⁉」

 悠青ゆうせいは血にまみれた指で、寝かせられた台に「やしき」と書いた。

「大統領、急ぎ殿下のお邸へ! そこに、名医がいます!」

「承知!」

 大統領は再び馬に乗ると、風のごとき速さで消えていった。

「殿下、辛抱するのです! 死んではなりません! あなたはいずれこの国を……」

 その時だった。

 知らせを受けた賢妃と恒青が来たのは。

「ああ! そんな! 悠青ゆうせい! 悠青ゆうせい!」

「兄上! 太医、どういう状況なのか説明せよ!」

 今にも身体に触れそうになる二人を、悠青ゆうせいはなんとか手を上げ、止まるよう示した。

「賢妃様、皇太子殿下。恵王殿下の病が何によるものなのかわかりません。お願いですから、御退出ください。もし伝染うつるようなことがあれば、恵王殿下が悲しみますぞ!」

 太医の言葉に、泣きながらも頷いた二人は、禁軍の兵士に連れられるようにその場を後にした。

 数分もかからなかっただろう。

 髪が乱れるのも気にせず、杏憂きょうゆうが走ってきた。

「血はいつから吐いているのですか⁉」

「門番によると、皇宮の外に放り出されたときからだそうです」

「呼吸と脈は?」

「早いです。心音は今にも破裂しそうなほど……」

「……皆さん、私に、鳳琅閣ほうろうかく閣主に、殿下のお命お預けいただけますか」

 瞬きの間もなく、太医は強く頷いた。

「どうか、どうかお助けください!」

「すべての力を使いましょう」

 杏憂きょうゆうは「何が原因かはわからないので、診療所には誰も近づけるなと指示を出してください。そして、どんな悲鳴が聞こえようとも、私を信じるようにとお伝えください」と太医に頼むと、診療所のすべての扉を閉めた。

「おい、おい! 悠青ゆうせい、しっかりしろ!」

「うっ、あ」

 杏憂きょうゆうくうから杖を取り出すと、その先を悠青ゆうせいの身体に触れさせた。

「……なんだと⁉」

 杏憂きょうゆうは目を丸くし、激しく思考を回転させた。

悠青ゆうせい、いったい、誰に……。いいか、君の中で暴れまわっている毒はただの毒ではない。これは魔法、いや、のろいだ」

 悠青ゆうせいの目から赤い涙があふれ出す。

「くそ! まさか中原にまで闇の魔法使いどもが入り込んでいるとは……。悠青ゆうせい、決断してほしいことがある」

 そう言うと、杏憂きょうゆうは杖に力を込め始めた。

 薄荷色の光が部屋中に広がっていく。

「う、あ、は、はなせ、る」

「ああ。一時的にだがな。いいか、こののろいは人間に解くのは不可能だ。それに、人間では治らない」

「え、ど、どう、いう」

「人間ではなくなる覚悟はあるか」

 悠青ゆうせいの脳裏に、何故かはわからないが、前世で妻だった言皇后の笑顔が浮かんだ。

「は、い」

「……わかった。君を、これから……、〈煌仙子スプリガン〉に変える。血は液体ではなく、血煙けつえんになり、のろいは行き場をなくす。身体を蝕んでいた呪力も煌仙子こうせんしの強い仙力せんりょくによって砕け散り、消えていく。ただ、同時に、その身に妖精ののろいが宿る。途方もないほどの長命。愛する者たちの死を、多く看取ることになるだろう」

 悠青ゆうせいは目を瞑り、再び開くと、頷いた。

「こ、の、国を、す、すく、え、るの、な、ら」

「承知した。これより、仙子せんし族に伝わる秘術をもって、なんじ煌仙子スプリガンとする。その身体は多次元波長となり、精神は妖精王族への忠誠にのみ縛られる。魂魄が光となり灰へ変わるまで、のろいをもって生を全うせよ」

 光が強くなり、目が焼けるように熱を持ち始めた。

 身体が浮く。

 血が蒸発でもしているように沸き立ち、爪がすべて剥がれ落ちた。

 皮膚を突き破るように新しく生えてきた爪は黒曜石のごとく黒く輝いた。

「うわああああああああ!」

 耳鳴りの甲高い音が脳を貫いていく。

 それなのに、遥か遠くにある鳥のさえずりが響く。

 外で泣いている賢妃ははの声も。

 骨が結晶化していくような、不思議な感覚。

 それなのに、感じるのは身体の軽さ。

 痛みが心臓へと集約していく。

「う、あっ!」

 何かが胸から飛び出した。

 赤色に輝く円と共に。

「わあ!」

 身体がどさりと台に落ちる。

「痛てて……。ん?」

 身体の上に、身長ほどの杖が落ちていた。

 ところどころ赤く結晶化した艶やかな木の杖。

「ほう。お前は梅の木か」

「え、え?」

「それは新たに煌仙子スプリガンとなった君へ、妖精女王からの贈り物だよ」

「すぷりがん? 妖精女王?」

「まぁ、それはおいおい説明してやる。ちなみに、私の杖は杏の木が結晶化したものだ」

「へぇ……」

 杏憂きょうゆうの杖をよく見ると、琥珀のような甘そうな色の結晶がところどころに露出している。

「杏も梅も薬術の効果を高めてくれる。さすがは我が姉。話が分かる」

「え、今、姉って……」

「おや? 言ってなかったか? 私は仙子せんし族の聖域へ帰れば、太子様だぞ」

「うわ、え、いや……。お、おめでとうございます?」

「なんだその反応は。別にかしずいてほしいとは思っていない。さぁ、心配なさっている賢妃に姿を見せてこい。ただ、爪は後遺症だとかなんとか誤魔化せよ」

「あ、そ、そういえば真っ黒だ……」

「厳密に言えば仙子せんし煌仙子こうせんしは少し違うからな。爪はその証みたいなものだ」

「へぇ……」

「ほら、行くぞ。私の真似をして杖で空を切り、中に杖を放り込め。そんなもの持っていては、説明が面倒になるぞ。さぁ、私の功績を見せびらかそうではないか」

「はいはい」

 悠青ゆうせいは杖をくうにしまうと扉を開け、外へ出た。

 そこには大勢の人々が待っていた。

 賢妃と恒青、禁軍大統領に太医、そして、皇帝を先頭に。

 皇宮中の太監や宦官、宮女、侍従、尚書たちなど、見ただけでは数がわからないほどの人々が涙を浮かべ、地面に跪き、祈っていた。

悠青ゆうせい!」

 人目も、高貴な身分も気にせず、皇帝が走り寄り、強い力でぎゅっと悠青ゆうせいを抱きしめた。

「父上……」

「もう二度と護衛なしでの外出は許さん! わかったか!」

「はい……。申し訳ありませんでした」

「うっ……、うう……。失ってしまうのかと思った……。もうこのような恐ろしい思いはしたくないのだ……」

「はい。わかりました、父上」

 賢妃は侍女たちに支えられながら悠青ゆうせいに近づき、皇帝から受け取るように、優しくその身体を抱きしめた。

「ああ……。私の可愛い息子。私の宝物……」

「母上、もう大丈夫です。わたしはここにおります」

「まったく。本当に……。よかった。助かって、よかった……」

 涙を流す両親の姿に胸がいっぱいになっていると、背中を誰かに抱きしめられた。

「兄上、私を置いて星になるのは許しません」

 悠青ゆうせいは不思議と心が落ち着いていた。

 これも、煌仙子こうせんしになったからなのだろうか。

「皇太子殿下」

「このような時くらい、恒青とお呼びくださいませ!」

「わかった。恒青、大丈夫。お前を置いて空に昇ったりしない。いつも一緒だ」

「はい! ずっとですよ!」

 恒青の幼さが残る顔を見て、悠青ゆうせいは気付いた。

 心が、桂甜けいてんに寄っていることに。

 何の感情もなく、弟を慈しむ兄の演技を続けられている。

(それもそうか。桂甜けいてんの姿は、仙子せんしである師匠が作った物だからなぁ)

 賢妃と恒青に囲まれていると、目の端で皇帝が杏憂きょうゆうに歩み寄り、その手を取って握りしめた。

「先生を我が客人として皇宮にお招きしたい。息子の……、悠青ゆうせいの成人の儀にも賓客として是非ご出席ください。受け取っていただけるのなら、瓏国での爵位も贈与させていただきたい」

「陛下、このような格好で拝謁はいえつたまわっていることをお許しください。身に余る光栄です。ただ、私は瓏国以外の土地でも診療を行っております。そのことが陛下のお心を乱す要因となることもあるでしょう。爵位は辞退させていただきたいと思います。ただ、恵王殿下の成人の儀は謹んで参加させていただきます」

「おお、なんと思慮深く謙虚なのか……。悠青ゆうせいは素晴らしい師のもとで学べたのですね。親として誇らしい思いです。では、改めて招待の旨をお送りいたします。悠青ゆうせいの兄弟子であるという桂甜けいてん殿もご一緒においでください」

「きっと桂甜けいてんも喜ぶでしょう。ありがとうございます」

 悠青ゆうせいは「え!」と声に出しそうだったが、すんでのところで飲み込んだ。

「陛下、きっと回復した殿下とお過ごしになりたいかとは思いますが、今日と明日は体調を考慮し、私が付き添って看病してもよろしいでしょうか」

「もちろんです! なんとありがたい申し出! すぐに馬車を用意しましょう」

「感謝申し上げます」

 何か魂胆があるのだろうか。

 悠青ゆうせいは師匠の演技に合わせ、ぴんぴんしているにもかかわらずまだ少し腹痛がするふりをし、用意された馬車に杏憂きょうゆうと乗り込んだ。

 盛大な見送りを受けながら。

「……で、桂甜けいてんの出席はどうするんですか⁉」

「分身すればいいだろ」

「……は?」

「自覚してる? もう人間じゃないんだぞ?」

「え、あ、そういうこともできるんですか?」

「あたりまえだ。明日から訓練だな」

「え! さっきは休ませるって……」

「嘘に決まってるだろ」

「ひええ……」





「連絡がない、だと? 指定した場所にも来なかったのですか⁉」

 波に揺れる大きな貿易船の一室。

 西洋諸国で人気の格式高いゴシック調の椅子にティーテーブル。

 椅子に腰かけ優雅に紅茶を楽しんでいた魔法使いの男は、思わず大きな声を出してしまった。

 大男が静かに頷くと、魔法使いの男は怒りに震えるどころか、顎に手を添え、今回の誘拐の結末について考えた。

「たしかに、攫った時は〈人間〉でした……。霊能力すらない、普通の人間……。彼はここ瓏国でもっとも人気のある皇子です。だから誘拐の対象にしたのですが……。ふむ。何か、人にあらざる力をもった者にも好かれているんですかねぇ……。もっと調べてみましょうか。何か、面白いことになる気がするんですよねぇ。ふふふ。まずは……」

 魔法使いは立ち上がり、壁にかけてある中原の地図の一点を指した。

鳳琅閣ほうろうかく悠青ゆうせい殿下が修行しているというところに行きましょう、と言いたいところなのですが……。さすがに江湖こうこは難しいですねぇ。私は明らかに見た目が中原の人々とは違いますし、あなたは私ののろいで話すことが出来ない。こうなると、ある種の後ろ盾が欲しいところです。さて、誰に近づきましょうか」

 誘拐対象を絞るために調べた皇子の名前とその格を、順に指でなぞっていく。

「ううん。不思議ですねぇ。この方だけ、あまり評判を聞くことが出来ませんでした。市井の人々の印象はそれなりに良いようでしたが、皇宮で働いていらっしゃる方々の中には、頑なに何も話してくれない人もいましたよねぇ……。どういう方なんでしょう。瓏国皇太子、恒青こうせい殿下とは」

 魔法使いの男はまるでおもちゃを見つけた子供のように微笑んだ。

 鼓動にリズムをもたらす、崩壊の予感に酔いしれながら。

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