魔法使いの弟子になりたかった少年のお話

嬉野K

魔法使いの弟子になりたかった少年のお話

「私はこの仕事を、奇跡を売る仕事だと思っていますよ。そういう意味では、魔法使いと言っても間違いではないかもしれません」


 そんな不思議なことを言い出す人と出会ったのは、俺が小学校5年生だった頃。世間知らずで無知な少年であった頃の話だ。

 いや、今でも世間知らずで無知なのだけれど……まぁ多少は成長したと思っている。フィクションの世界みたいに面白い世界じゃない……そんな現実を生きてきて、少しくらいは変わってきたと思う。


 成長はしても、一番欲しかったものは手に入れられなかったけれど。




 ☆ 



 ちょっとした好奇心だった。ある日差しの強い日。いつもと同じ学校からの帰り道。


 少しだけ、違う道で帰りたくなった。暑かったから日差しを避けようと思ったのかもしれない。今にして思えば、特に理由はなかったのかもしれない。


 いつもの大通りからそれて、細い道に入った。途中で猫が足元を駆け抜けていった。結局、日を遮る場所も見つからなくて、いつものように帰れば良かったと後悔し始めたくらいで、当時の俺はその場所を見つけた。


 古本屋、だと思う。看板はなく店の名前もわからないが、ガラスから覗く店内には大量の本が置かれていた。古めかしい本ばかりかと思ったら、最近流行りのライトノベルだって置いてある。漫画も雑誌も、そこまで広くない店内に所狭しと積まれていた。


 別に本になんて興味ない。読書なんて教科書の音読だけで胃もたれしている。誰が好き好んでさらに油ものを摂取しないといけないのか。


 そう思って古本屋の前を通過しようとしたときだった。


 目に入った。それは自分の知る限りもっとも幻想的な光景に見えた。


 古本屋の中には、1人の女性がいた。カウンターの中で本の整理をしているところを見ると、店員さんだろうか。他に人は見当たらないから、もしかしたら店長かもしれない。


 年上のお姉さん。今にして思えば、年上と言っても高校生くらい。


 映画やドラマでしか見たことがないくらいキレイな人だった。髪が長くてサラサラの黒髪で、細い手足が儚さを感じさせた。色白で、古本屋の不思議な雰囲気と伴って、とても幻想的な風景だった。


 まぁ、一目惚れというやつだった。小学生男子の淡い初恋。本来なら知り合いにすらならないような関係。


 だけれど、今の僕には口実がある。彼女は古本屋の定員さんだ。だから、僕が客として古本屋に入れば、合法的に彼女に近づくことができる。


 そんな下心丸出しで、僕は古本屋の中に入っていった。


 その行動が正しかったのかは、今もわからない。だけれど……まぁ後悔はしていない。



 ☆


 

「いらっしゃいませ」


 僕が店内に入ると、彼女が入店のあいさつをしてくれた。想像通りというかイメージ通りというか……儚くて優しい、少しかすれた声だった。


 僕は店内に入って、背丈よりも圧倒的に高い本棚を見上げる。なんだか本が落ちてきて押しつぶされそうだ。もともと本になんか興味ないし、どうしたら良いのかわからない。


 漫画でも立ち読みして帰ろうか……いや、それは店員さんが嫌な思いをするかもしれない。あまり持ち合わせはないが、なにか買っていこう。


 いつもなら漫画に直行するのだが、今はカッコつけたい気分だった。わかりもしない古めかしそうな小説類の棚に移動して、背表紙を眺めていく。

 

 なにを手に取ればいいのかさっぱりわからない。わからないが、とりあえず1番値段が安くて薄いものを選んだ。税込み100円。


 買う本は決まったが、カウンターに持っていく勇気がしばらくわかなかった。この本を彼女に見せて笑われないか不安だった。子供っぽいと思われないか、おかしな本ではないか……いろいろと考えてしまった。


 しかし、あまり長居するわけにもいかない。意を決して、僕はカウンターに選んだ本を持っていった。


「ありがとうございます」店員さんは穏やかな笑顔で、「お会計100円になります」

「は、はい……」ポケットから財布を取り出して、お金を払う。いつもやっていることなのに、なんだか手間取ってしまった。「は、はい……100円……です」


 そして店員さんは丁寧に本に対してカバーを掛けてくれた。それから、


「ありがとうございました」


 ちょっとぎこちない笑顔が、とても心に残った。まだ営業スマイルに慣れていないのかもしれない。


 さて購入完了。これで二度と本屋にも来ずに、淡い初恋は終了……したくないな。そう思ってしまった。



 ☆



 家に帰って僕は考えた。どうしたら彼女と、古本屋の店員さんとまた会えるのか。

 答えは簡単だ。また古本屋に行けばいい。彼女がバイトか店長か知らないが、いつかは会えるだろう。


 しかし……買った本も読まずに、また古本屋に行って良いものだろうか。もしも本の内容を聞かれたら? 答えられるようにして置かなければならない。


 ということなので、買ってきた本を読み始める。なんだかよくわからない歴史の小説で、内容が理解できない。わからない言葉は辞書を引き、難しい表現は必死に考える。


 慣れない読書だ。スムーズに行くはずもない。結局1冊を読み終えるのに1ヶ月かかってしまった。これでも頑張ったのだが、難しいものは難しい。


 とは言え一冊読破だ。これで、また古本屋に行ける。


 心を踊らせながら、僕は古本屋に向かった。今度は学校からの帰り道じゃなくて、目的地が古本屋だった。目的は本じゃない。彼女を見たくて、古本屋に向かっている。


 そうして、1ヶ月ぶりにその古本屋に入った。前と同じように彼女に出迎えられて、店内で本を選ぶ。


 そこで、ふと思った。


 僕の目的はなんなのだろう。彼女に会うことか? それだけじゃないはずだ。僕はきっと、彼女とお近づきになりたい。淡い初恋でなんか終わらせたくない。彼女と、特別な関係になりたい。


 なら……ただの客ではいけない。じゃあどうすれば……


 足りない頭を必死に巡らせて、1つの答えにたどり着く。そして、


「あ、あの……」勢いのまま、僕は彼女に話しかけた。「す、すいません……あの……」

「……どうかいたしましたか?」

「そ……その……オススメの本とか、ありますか?」

「オススメ……ですか」店員さんは少し困ったようだったが、「そうですね……どのような本がお好みでしょうか? 今まで読んでみて好きだった本を教えていただければ……」

「あ……えっと……」教科書で読んだ本のタイトルを告げてみる。とある料理店の話だったと思う。「――っていう本だと思うんですが……」

「なるほど……では……」店員さんは立ち上がって、本棚の前に移動する。そして一冊の本を取り出して、「こちらはどうでしょうか」


 受け取った本は……結構薄めの本だった。そして値段も100円。今のところ本の厚さと値段で判断するしかない。やすいのはありがたいな。


「こちらはなかなか不思議なお話で……あまりネタバレはできませんが、読了後の感覚が癖になります。言葉遊びもありますし……こちらをオススメ致します」

「あ、ありがとうございます……」まだ会話が終わってほしくなくて、「……どこにどの本があるか、全部覚えてるんですか?」


 店員さんは今、迷うことなくこの本を取り出した。本の位置を完璧に把握してないと、そうはいかない。


「そうですね……この書店にあるものなら、大抵は把握しているかと」

「す、すごい……」僕はお世辞が下手だ。そして少ない語彙力で絞り出した言葉が、「ま、魔法みたいですね」

「魔法……ですか」一瞬彼女はキョトンとしたが、すぐに、「私はこの仕事を、奇跡を売る仕事だと思っていますよ。そういう意味では、魔法使いと言っても間違いではないかもしれません」

「?」


 よくわからないことを言い出す人だった。やはり本を読む人というのは語彙力が違うらしい。感性が違うらしい。僕にはよくわからない。いや、魔法とか言い出したのは僕だけれど……


 いつもなら「そうなんですね」と適当に流すところだが、彼女には通用しそうもないので、


「奇跡……?」


 素直に聞いてみた。すると、


「たとえば……」彼女――魔法使いさんはとある本の背表紙を触って、「こちらの本は……結ばれないはずの2人の恋の物語が描かれています。ちょっと住む世界が違って、本来なら出会うはずもない2人……そんな2人が……そうですね、奇跡によって出会い、結ばれる」


 こんなこと、現実では起こらないでしょう?と彼女は問いかけてくる。しかし僕にはピンとこない。この世界にだって奇跡はあると、信じていた。


 彼女は続ける。


「あの本もこの本も……どれも奇跡の物語です。何十億人という人間たちから運命の人と出会う。異なる世界へ足を踏み入れる。叶わない恋。高嶺の花……物語にはいろいろな奇跡があります。それを売っている私は、ある意味奇跡を売る魔法使いですよ」

「……」よくわからなかったが、「す、すごいんですね」

「そうです。本はすごいんですよ」あなたのことを褒めたつもりだった。「そうやって本に興味を持ってくれる若者が増えると、私も嬉しいです」


 ちょっとだけ心が傷んだ。僕は本に興味を持っているわけじゃない。そのお店にいるあなたに興味がある。そんな下心だけで本屋に来ている。


 そんなこんなが、僕と彼女のはじめての会話だった。



 ☆



 彼女にオススメしてもらった本を読んで、新しい本をオススメしてもらいに行く。そしていつの間にか、僕は読んだ本の感想を話すようになっていた。


 彼女は僕の感想を必ず受け入れてくれた。「よくわからなかった」という感想すらも受け入れてくれた、だから僕も安心して話すことができた。


 そんな生活をはじめて、早くも2年が経過した。僕は中学生になって、彼女は大学生の年齢になった。彼女はさらに大人びたようだった。自分だけが成長してないような気がした。


「魔法使いさん」僕はいつからか、彼女のことをそう呼んでいた。最初に呼んだときはかなり戸惑われたが、呼んでいるうちに受け入れてくれた。「僕にはどうしても……この人の気持ちが理解できない。なんで……なんで好きなのに……諦めちゃうの?」


 登場人物の1人は……明らかに想いを寄せている人物がいる。しかし、最後には他の男に彼女を譲ってしまった。その理由が理解できない。素直に好きだと伝えればよかったのに、と思ってしまう。


「そうですね……」僕のどんな質問にも、彼女はしっかりと考えてくれる。「立場的な問題も、あるのでしょうね」

「それはわかるけれど……」登場人物は……反社会的と呼ばれる組織に属している人だ。「でも……その組織を辞めたりさ……追われても守ったりとか……いろいろできると思っちゃって……」

「そうですね……追われながら守り続ける……そんなことも可能かもしれません。ですが……彼は怖かったのではないでしょうか?」

「怖い?」

「はい。自分のせいで最愛の人が傷つく……その可能性が1%でも存在する……その状態が、怖かったのだと思います。あくまでも私の感想ですが」

「……怖かった……」もしも僕のせいで、魔法使いさんが傷ついたら……そう思えば……「……たしかに、怖いかな……」

「そうですね。しかし……無理に登場人物に共感する必要はありません。彼は彼、あなたはあなたなのですから」


 そうかもしれない。共感できなくても物語は楽しむことができる。登場人物を受け入れることができたなら、物語は楽しい。そしてそれは、現実世界にも言えることだった。


 とにかく、


「今回の本も面白かった」純粋に読書を楽しめるようになってきた。「次は何? 次のオススメを教えて」

「そうですね……そろそろあなたは、自分で自分の好みがわかってきたかと思いますが……」

「それでも教えて。魔法使いさんの、オススメが読みたい」

「なら……今度は……」そこで魔法使いさんは数回、せきをした。「失礼……」

「大丈夫だよ」せきくらい、まったく気にしない。「風邪?」

「いえ……ちょっとむせただけです」


 たまに魔法使いさんはこうしてせきをする。インドア派で体力が少ないのは見ればわかるので、そこまで気にしていなかった。


「では次のオススメですね。こちらはどうでしょう」


 そして今日も、彼女に本をオススメしてもらう。最初は早く彼女に会いたい一心で読んでいたけれど、今は違う。本の内容も、純粋に気になっていた。この2年で、すでに僕の趣味は読書になっていた。


 

 ☆



 それから、さらに3ヶ月が経過。新しい中学校に居場所はないし友達もいないけれど、特に気にしていない。だって僕には魔法使いさんがいるのだから。


 そう思って、いつものように彼女の古本屋に向かう。今回の本はとても僕のツボで、感想を話すのが今から楽しみだった。


 そして扉を開けて古本屋に入ると、


「……あれ……?」


 彼女はいなかった。それはとても珍しいことである。大抵は魔法使いさんはカウンターの中にいるのだが……なにかしら他の作業中なのか、トイレにでも行っているのだろうか。


 そこまで気にせず、僕は店内に入る。扉の鍵は開いているから、まぁどこかに行っているだけだろう。待っていればいつか現れる。


 そう思って静かな店内で本を探そうかと思っていると、


「……?」


 小さな音が聞こえた。呼吸の音、だろうか。小さくて今にも消えそうな、そんな呼吸音。このお店が静かだからようやく聞こえたような音。


「……魔法使いさん?」


 名前を呼びながら、僕は店内を見回した。


 しかし誰も見当たらない。だが呼吸音は聞こえる。


 嫌な予感がして、僕はカウンターの裏に回った。


 そこで、


「……っ!」思わず息を呑んだ。「え……?」


 そこに魔法使いさんが倒れていた。汗を大量に流して、苦しそうな表情で倒れていた。


 そこからのことは、あまり覚えていない。魔法使いさんを何度も呼んで、それでも返事がなくて、大慌てで救急車を呼んだ。そして魔法使いさんと一緒に救急車に乗って病院まで行った。救急車の中で「弟さん?」と聞かれたので、素直に違うと答えた。


 病院についたら、フロントで待つように言われた。魔法使いさんは大慌てでどこかに連れて行かれた。


 せわしなく揺れる心臓を押さえつける。イスになんて座ってられなくて、うろうろと所在なくさまよってしまった。


 魔法使いさんは、どうしてしまったのだろう。なにか病気だったのだろうか。思えばせきをしていた気もする。なにか重大な……子供の僕では想像もできないようなことが起こっているのだろうか。


 そしてしばらくして、看護師さんに呼ばれた。とある部屋に連れて行かれて、そして、


「……魔法使いさん……」病室のベッドに、彼女が寝転んでいた。「その……ど、どうなの?」

「……」魔法使いさんはいつも通りに……いや、少し悲しそうに見えた。「前々から体調は良くなかったんですが……ちょっと、本格的に入院が必要みたいです」

「にゅ、入院って……手術するってこと?」

「手術とはちょっと違うみたいです。ただ……長い旅になるみたいですね」

「長いって……治る……治るんだよね? 元気になるんだよね……?」

「さぁ……それは私にもわかりません。確率が低いとは言われていますが……」


 確率が低い……? それはつまり、助かる確率が低いということだ。死んでしまう可能性が、高いということだ。


「な、なんで……魔法使いさん……」

「なんと説明すればいいのか……血液の病気らしいです」


 血液の病気……どんな病気なのだろう。バカな僕にはまったく想像できない。でも、おそらく重大な病気であることは理解できた。


「そろそろ潮時ってことですね」魔法使いさんは窓から空を見上げて、「最初からわかってたんです。病気があるのは知ってましたし……今まで気づかないふりをしてましたが……まぁ、長くは生きられないってことです。どうせ治療したって可能性が薄いのなら……苦しむくらいなら……」

「え……?」苦しむくらいなら……なんなのだろう。「苦しむくらいなら……治療をせずに、そのままいるってこと?」

「その選択肢も考えていますよ」

「い……」嫌だ、と言いかけて、「……」


 何も言えなくなってしまった。苦しんででも生きてほしい、と言いたかったのだが……そんな権利は僕にはない。その苦しみを想像することもできない。だから、何も言えないのだ。


 そんな僕に、彼女は言う。


「あなたは優しんですね。人の痛みが想像できるから、そうして言葉を選ぶことができる」そんなあなたにお願いです、と彼女は続ける。「中学生の少年にお願いすることじゃないんですが……私のお店、継いでもらえませんか?」

「……お店……古本屋?」

「はい。あなたみたいに、本が好きな優しい人に継いでもらいたいんです。とはいえ、もちろん無理にとは言いません。気が向いたら店を開けるとか……そんなのでもいいんです」


 魔法使いさんのお店を継ぐ。それは……僕が次の魔法使いになるということ。奇跡を売る仕事……そんな仕事に就くということ。


 ……そんなの、答えは決まっている。


「やるよ」


 お姉さんからもらった魔法を、受け継いで見せる。


「ありがとうございます」魔法使いさんは優しく笑って、「これで心残りは――」

「ただし……!」言葉の続きが聞きたくなくて、僕は無理やり話す。「だけど……僕は、不器用で……バカで取り柄なんてないし……だから、うまくできないと思う。やり方なんて、わかんないから……」

「……」

「ちゃんと……教えてよ。お店のやり方……本のオススメを教えてくれたみたいに、僕に教えて。それまで、待ってるから」

「……」魔法使いさんはポカンとした表情を一瞬浮かべたが、すぐに、「……なるほど。少し言葉を間違えました」

「え……?」

「私が戻るまで、お店を守っていてくれますか? 戻ったら……しっかりとお店の経営を教えてあげます」

「……うん……!」


 そんな約束。魔法使いさんは治療を頑張る。その間、お店を離れるだけ。その留守の間を僕が守る。


 魔法使いさんが戻ってくるまで、お店をしっかり守ってみせる。彼女が帰ってくる場所を、奪わせたりはしない。


 きっと彼女は戻ってくる。助かる可能性は低いと言われているが……そんなのは関係ない。きっと奇跡を起こして、あのお店に帰ってくる。


 その時に伝えよう。僕の気持ちを。かっこ悪くフラレてもいいから、あなたが好きだと伝えよう。



 ☆



 それから3ヶ月が経過した。事情を両親に説明して、いろいろ協力してもらった。僕は所詮子供で、あんまり役には建てなかったけれど……もちろん全力を尽くした。魔法使いさんが帰ってきたときに笑われないように。告白して受け入れてもらえるような、カッコイイ男になるために。


 そうして毎日を忙しく暮らしていたときだった。


 僕は知ったのだ。


 奇跡を売っていた魔法使いさんのもとに、奇跡は訪れなかったと。



 ☆



 苦しんで亡くなったと聞いている。最後には衰弱して呼吸をするのも辛くて、苦しんで苦しんで、それからあの世に旅立ったと聞いている。


「彼に会いたい」


 魔法使いさんは、最後までそう言っていたという。彼というのが誰なのかはわからない。もしかしたら彼氏がいたのかもしれない。それとも僕のことだったのかもしれない。答えなんてわからない。


 結局僕は、彼女を苦しめただけだったのだろうか。僕に奇跡を売ってくれた彼女に、僕は何もできなかった。ただ延命を望んで、彼女を苦しめただけだったのだろうか。


 後悔はする。いつもしている。ずっとしている。思い出すたびに、魔法使いさんとの日々を後悔する。もっと話すことがあったとか、もっと本を読めばよかったとか、もっと早く告白してればよかったとか……後悔ばかりだ。


 でも、思い出に残る彼女が笑顔でいてくれることだけが、唯一の救いだ。


 そんなこんなで僕は……俺は大人になった。20歳も過ぎて、いよいよ本格的に古本屋を経営していくことになった。今まで両親にお世話になってばかりだったが、これからは俺1人で経営をしていく。


 師匠になるはずの人は、戻ってこなかった。魔法使いの弟子になりたかったのに、その夢は叶わなかった。


 魔法使いさんのお墓の前で、俺は手を合わせる。


「あなたの弟子になりたかったんですけどね……教えてくれるって約束したのに……嘘つきですね」古本屋経営のノウハウは、結局いろいろ調べて勉強してしまった。あなたに教えて貰う予定だったのに。「そういえば……お店の名前って決まってなかったんですね。名前ないと不便なんで……勝手にあなたの名前をつけました。もしも天国というものが存在して、あなたが地上を見たとき……そのほうが見つけやすいでしょうから」


 自分の名前がついた古本屋だ。きっと驚くだろう。


「あなたが売ってくれた奇跡……ちゃんと僕の中に残ってます。これからも……忘れることはないと思います」


 魔法使いさんにオススメしてもらった本を読んで、俺の世界は広くなった。知らないことを知ることができた。奇跡の物語は、しっかりと俺の心に刻まれた。


「じゃあ……そろそろ行きます」俺は立ち上がって、「ありがとうございました。俺はきっと……あなたのお店を守り抜きます。あなたから奇跡をもらったお店を守ってみせます。そういう意味で言えば……僕も魔法使いになりますかね」


 誰かに奇跡を売る魔法使いに、俺もなれるだろうか。彼女のような存在に、なれるだろうか。


 魔法使いになれるかはわからない。だけれど、少しは成長できたと思う。一番欲しかった魔法使いさんは手に入れられなかったけれど……まぁしょうがない。彼女は高嶺の花だった。俺なんかに手が出せる存在じゃなかったのだ。


 これは、魔法使いの弟子になりたかった少年のお話。結局弟子にはなれなかったけれど、今日も魔法使いを目指して、努力をしています。

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