書店ユートピア

異端者

『書店ユートピア』本文

 おや、ここに来られたとは何かお悩みですか?

 私? 私はこの書店の店主です。

 ここは『ユートピア』……どこにでもあるし、どこにもない書店です。

 あなたが必要とする時、そこにある書店……それが、ユートピアです。

 ここには、お悩みの解決法を探している方が訪れます。

 例えば、仕事でお悩みの方にはビジネス書や転職の本を。

 例えば、結婚でお悩みの方には婚活の本を。

 お悩みの方に最適な本を薦めることが当店の存在意義です。

 さて、あなたは何をお探しですか?

 ……分からない? それなら、少しお話ししましょうか?


 その日は土砂降りの雨で、窓の外は既に暗かったですね。

 こんな雨の日に誰が来るのだという日でした。

 しかし、ここは求める方があればそこにある書店。それがこうして存在しているというのは、誰かが必要としているということです。

 当然、お客様はやって来ました。

 中学生ぐらいの少年でしょうか。傘もささず、制服はずぶ濡れでした。

「いらっしゃいませ、書店ユートピアへ」

 私は型通りの挨拶をしました。

「ユート……? あれ、こんな所に本屋なんてあったかな?」

「お客様が必要とする時に現れる書店、それがこのユートピアです」

「は? 何も本なんて必要としてないよ!」

 彼は少し顔をしかめました。

「この土砂降りの雨の中、傘もささずに……ささ、タオルをどうぞ」

「傘なんてとっくの昔に壊されたよ……ありがとう」

 彼はぶっきらぼうに言うとタオルを受け取って、頭をわしゃわしゃと拭きました。

 私は彼が一通り拭き終わったのを確認すると、タオルを受け取りました。

 私がタオルを奥に置いて戻ってくると、彼は物珍し気に周囲を見渡していました。

「おかしい……この店の本、表紙にも背表紙にもタイトルが書いてない……」

「それは、お客様が必要としている本はおのずと分かるからです」

「は? それで、どうやって探すの?」

「だから、ご自身が欲しいものを思い浮かべて手に取れば分かります」

「…………じゃあ、人を殺す方法を書いた本はある?」

 私は少し驚きました。この穏やかそうな少年が人殺しを望むのか、と。

 ですが、顔には出しませんでした。容姿と求めるものは必ずしも一致しないと、長年の経験から知っていたからです。

「はい、ありますとも。それを望むのであれば」

 私は平静を装って答えました。

 彼は本棚を一通り眺めると、1冊の本を手に取りました。

 他の本同様にタイトルが一切書かれていない、黒い本でした。

「『人を呪い殺す方法』……」

「え?」

「人を呪い殺す方法――それが、その本のタイトルです」

 彼は私の方を見ると、驚きを隠せないというような表情をしました。

「失礼……少々驚かせてしまったようで。当店にある本は全て把握していますので」

「え……全部覚えてるってこと? そんな……すごい!」

「いえいえ、滅多にお客様が来られないので、棚の整理がもっぱらの仕事ですから」

 彼は本を開くと、パラパラとめくりました。

「これで、殺したい人を、殺せる?」

「はい、効果は保証します。昔は呪詛返しなんていうのもありましたが、現代においては呪術について知っている方は少数ですので」

 ――コレデ、殺セルンダ。コレデ……。

 彼は機械のようにそう呟きました。

「この本、買います! ……お金は少ししかないけど、お願いします!」

 彼はそう言って私に財布を渡そうとしました。

 私はそれを手で制しました。

「いえいえ、お代は結構。お金なんてあっても、ここでは役に立ちませんから。ただし――」

「ただし?」

 彼は少し不安そうな目で私を見ました。

「お客様が亡くなられた時に、その『代償』を頂戴致します」

「死んだら……ってこと?」

「はい」

「代償って、何?」

「さあ? それはお話しできません。もっとも、生きている間には決して頂きませんので、ご安心ください」

 彼は少し迷うような目つきをしました――が、それも一瞬のことでした。

「この本をください! 代償は払いますから!」

「毎度ありがとうございます。このままだと濡れてしまうので、袋に入れましょうか」

 私は雨に濡れないように、その本をビニール袋に入れて縛ってから彼に手渡しました。

 それっきり、彼はユートピアには現れませんでした。


 これで、このお話は終わりです。

 え? 彼がその後、どうなったか?

 いえいえ、当店ではそんな無粋な詮索は致しません。お客様がお買い上げになられた本をどう使おうがご自由ですので、ご安心ください。

 代償とは? ……それは、お答えできません。どうしてもお知りになられたいのであれば、お買い上げいただければ……無理にとは言いませんが。


 当店、ユートピアはお悩みのある方をお待ちしています。

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