常世と幽世の狭間

もやしいため

第1話

 ――ガンッ!


 小さな扉を荒々しく開けたかと思えば、ドカドカと数人の男たちが忙しなく駆け込んでくる。

 こんな場所で何を急いでいるのか。

 身近な書架に身体を寄せ、好奇心を胸に聞き耳を立てる。

 するとテーブルを打ち鳴らす音が響き、思わず肩が竦める。


「――いつになったら払ってくれるんだ?」


 高く凛とした女性の声が場を満たす。

 自分とは距離があるというのに、イヤホンで聞いているかのように耳に届く。

 謎の威圧感に震えが来る前に、様々な声が上塗りされた。


「も、もう少し、待って欲しいっ!」


「そっちはまだいいだろう! 先に譲ってくれ!」


「お前らこそあとにしてくれ!」


 ここは小さな本屋だ。

 天井にまで伸びる大きな書架。棚に差し込まれた色とりどりの背表紙。

 紙やインクの臭や、あえて照明にランタンを吊るしていた。

 この神秘的で静謐とした雰囲気が好きで通っている。

 それが取り立て屋が押し寄せては台無しだ。


 残念な気持ちと相反するように、疼く好奇心が覗き見を提案してくる。

 言い争う声に悲壮感まで漂って来るが、関わって破滅したくはない。

 改めて息を潜めた。


「うるさい。黙れ」


 例の声がぴしゃりと話を叩き切ると、空気がぴんと張り詰めた。

 どれほどの重圧が掛かっているだろうか。

 書架の向こうで繰り広げられているであろう、無言の攻防に思いを馳せる。


「いいだろう、言い分は分かった」


 その一言に露骨に空気が弛緩するのがわかる。

 これでようやく緊迫した店内から抜け出せる……そう考えたのは浅はかだった。


「私が役割を振ってやる。それぞれ今から言う物を取ってこい」


 そう、絶望はここからなのだ。


御手洗ミタライが仏の御石の鉢」


「えっ!」


仲宗根ナカソネは蓬萊の玉の枝」


「まっt――」


後白河ゴシラカワは火鼠の皮衣、六路木ロクロギは龍の首の珠、篠塚シノヅカは燕の産んだ子安貝」


 あの凛とした声が問答無用で読み上げる。

 そして指示された者たちは、それぞれ何事かを口にしかけ、続きを言うことなく静かになった。

 書架の向こう側で一体何が起きたのか。

 見えないことで膨らむ想像が、心臓を早鐘のように打ち鳴らす。

 静かな店内に響かないか非常に心配――



 ――パタン



 染み渡るように本が閉じられる音がした。

 緊張の糸が切れた自分は思わず座り込んでしまう。

 すっと影に覆われて見上げると――


「おや、こんなところに。可愛いお客さん・・・・が居たもんだ」


 柔和な表情に鋭利な雰囲気を纏う不思議な人物が自分を覗き込んでいた。

 驚きの余り「は、はひっ!」と息なのか、返事なのかわからない声を上げてしまう。

 すると「ははっ、驚かせちまったかい」と屈託なく笑った。


「よくもまぁ、こんな店を見つけたもんだ。嬢ちゃんは余程の本好きビブリオマニアらしい」


「そ、それほどでも……」


「けれどあまり深入りするもんじゃないよ。本に食われちまう・・・・・・・・からね」


「それはどういう――」


 そこで自分ははたと気付く。

 さっきまで声が聞こえていたはずの男たちが、文字通りの音沙汰がない・・・・・・

 そろり、と張り付いていた書架の向こう側を覗けば――確かに誰も居ない。

 居た形跡すら、ない。


「さっきの人たちは……?」


 きっと、聞いてはいけない。

 けれど聞かずにはいられない。

 強烈な好奇心に突き動かされた問い。

 それは店主のにんまりと吊り上がる口角によって返された。


「さっきの人たち? 誰だねそれは。

 この店には私と君しか居ないじゃないか」


「声が――い、いえっ、失礼します!」


「そうか。まぁ、誰しも『勘違い』はあるさね。

 ともあれ嬢ちゃんが帰るのはとても残念なことだ・・・・・・


 焦る背に向け、彼女は言葉を投げかけた。

 その手の中にあるのはかの有名な古典文学書。

 果たして彼らは本当に借金取りだったのだろうか――。

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常世と幽世の狭間 もやしいため @okmoyashi

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