第三十一話 衝突

「す、すごい」


 ケールの魔法を目の当たりにしたシヨは、無意識のうちに称賛の声が漏れ出ていた。エルフと人間では魔力への親和性が異なり、圧倒的に人間が劣ってしまう。それが魔法を扱う上で決定的な差ができる。

 だがそれを差し引いたとしても、目の前の魔法は技術や規模、どれを取っても今まで見た中で最高峰のものだった。


「もしかしたら師匠のものより遥かに…」

「何をぼんやりしていますの!私の魔法でも、いつまでこの状況を保てるかわかりませんわ。あなたはあなたの仕事をしなさい!」


 そうだ、惚けている場合ではない。

 とはいえ自分の魔法は、直ちに効力を発揮しないことはわかっている。こうなったら、口惜しいが虎の子の魔札を使うしかない。


「水陣、瀑布の札!」


 シヨは懐より魔札を取り出し魔力を流し込んだ。札は炎に焼かれたように塵となると、そこから魔法陣が浮かび上がった。

 込められた魔力は液体のように波打ち、次第に水流へと変質を遂げる。魔法陣から膨大な量の水が滝のように溢れて出ると、掘り返された土と混ざり合い、あっという間に陣地と敵の間が泥場となった。


「こ、これで時間は稼げるはずよ!」

「上出来だわ」


 ケールはシヨの使った泥場を確認すると、風上壁の魔法を解いた。これぞ好機とばかりに、敵の騎馬部隊が数名泥場に突っ込んだが、想像以上に深いぬかるみに馬の足を取られ、身動きが取れなくなる。仲間の惨状を目の当たりにした騎馬部隊は、それ以上前進することはしなかった。

 切り札を使うことになったが、シヨの策は概ね成功を収めた。それでも予断を許さない状況に変わりはない。この膠着状態をどれだけ維持できるか、それがこの戦の勝敗を決めるといっても過言ではないのだ。


──────


 下州騎馬隊の指揮官を務めていたジンヘイは、煮湯を飲まされた気分だった。敵に策を練る時間を与えないため、少数精鋭による奇襲を計ったというのに、それが功をなさなかったのだ。ジンヘイは敵が一枚上手だったと素直に認められるほど、器量のある人間ではなかった。


「だが、所詮は烏合の衆よ。付け入る隙は必ず…」

「ジンヘイ様!前方の泥場ですが、左右にまだ浸水されてない箇所が見受けられます」

 

 吉報を聞いたジンヘイは口角が釣り上がる。直ちに部隊を二手に分け、正面突破から左右同時攻撃による挟撃に作戦を変更した。

 定石では奇襲が失敗したのであれば、戦力が整うまで待つべきである。そのような思考に至らなかったのは、ジンヘイが指揮官の器ではないことに踏まえて、心のどこかで敵を軽んじていたからに他ならない。

 

 挟撃を敵に悟らせぬように、囮に部隊を少数だけ残しつつも、本隊は樹木に紛れて行動を開始した。静かでそして迅速に、ジンヘイは信用できる部下に右翼を攻撃する部隊の指揮を任せ、自分は左翼の指揮をするべく同行する。

 この時点で、ジンヘイの頭の中では攻撃が成功すると確信をしていた。部隊を少数にする危険性など、思考のどこにも存在しない。


 一通り本隊の移動が完了した頃、一人のウェアキャットが囮の部隊に飛び込んでくる。泥場を一足飛びに飛び越える姿は、しなやかでありながら大型の肉食獣を思わせる荒々しさと、滑らかな曲線美が同居していた。

 悠然と囮の部隊の前に着地したのは、赤い頭髪を逆立て殺気を放つエリンだ。明確な殺意を感じ取った兵達も、怖気つくことなく迎撃の構えを取る。


 次の瞬間、囮の兵士およそ三十名全員が、ヌルっとした生温かい空気の唸りを感じていた。誰もそれが仲間の血潮だとは思いもしない。


「あかい…しし」


 そのことに気がついたのは、傾き始めた世界で赤い獅子の姿を幻視した時だった。

───あぁ、こいつに命を狩られたのだと

 認識を終える前に、兵士達の意識は潰えて消える。


「やっぱり、私にはこの殺し方が合ってるんだろうね」


 そう言ってエリンは自分が落とした、無数の椿花を眺める。赤に染まる地面をみていると、少しは弟の仇を取ることが出来たと思え、溜飲が下がる思いがした。

 エリンは爪と牙を用いた戦いを嫌悪している。暴の限りを尽くした、亡き父を思い出すからだ。


 あんなふうにはならない。なってやらない。


 そんな半ば意地のようなもので、己が得意な狩を今まで封印していた。

 だが、こんなくだらないものはさっさと捨てるべきだったと今では思う。自分が狩猟道具を扱うことに固執しなければ、村人に辛い選択をさせることもなかっただろう。


「ふん、危うく親父と同じ呼び名にされるとこだったよ。毛の色は母様譲りで助かった…さて、確か左の奴らを叩けって話だったね」


 鬼神と化したエリンの猛攻は止まらない。


──────


 ジンヘイ率いる部隊は別邸の左方に展開し、強襲する機会を伺っていた。水量が足りなかったのか、報告のとおり地面は泥場となっていない。


「所詮は亜人共の浅知恵よ」

「ジンヘイ様、手筈が整いました」

「よし…では行くか。これで奴らの息の根を止めてやろうぞ」


 部下の報告を聞いたジンヘイは、展開していた騎馬隊に突撃の号令を出した。敵陣の亜人共が慌てふためいているがもう遅い。騎馬隊の突撃が敵の防御もろとも蹴散らす。


 そのはずだった。


「今だ!」


 敵の合図と共に馬房柵手前の地面が迫り上がった。おそらく掘った地面の上に蓋を被せ、土を盛っていたのだろう。突然視界を塞がれた騎馬は驚きのあまり、乗り手を振り落としてその場に急停止する。

 蓋の後ろから、ワーウルフとかいう亜人が飛び出してきた。確か昨日村で蹴散らしてやった奴らだ。勢いのまま落馬した兵に襲いかかってきたが、こちらは精鋭を集めている。落馬した兵士はすぐさま立ち上がり、そのままワーウルフ達と交戦を始めた。


「亜人共め…シヨを討ち損じたのが、このような形で影響してくるとは」


 ジンヘイは先の奇襲で、シヨを討てなかったことを悔やんでいた。討ててさえいれば、騎馬の弱点をこうも巧みに突かれることはなかっただろう。今の自分の表情を見ることは叶わないが、おそらく苦虫を潰したような顔をしていると、容易に想像できる。

 早期に決着をつけることが、我が軍の勝利できる唯一の条件だったというのに、敵の策により騎馬隊の優位性を活かせない。こうなっては、こちらの兵力では決め手に欠けている。


「なにか打開策はないものか」

「ジンヘイ様、後方より敵が」

「なん…だと」


 部下の報告に耳を疑う。

 挟撃を仕掛けた方が挟撃を受けることになるとは、今のいままで思ってもいなかった。故に対応が遅れる。

 後方の敵はもちろん、エリンのことであった。敵を狩る姿は、まさに疾風迅雷と形容して差し支えない。普通の人間の視界には残像すら映すことはないだろう。

 奇襲を受けた兵士はなすすべもなく生き絶え、あったいまにジンヘイの喉元に牙が迫った。直前で異変に気がついていなければ、ジンヘイはこの場で死んでいたことだろう。寸前のところで何とか牙を回避するものの、落馬は避けられなかった。


「ち、仕留め損なったか」

「貴様は何者だ!?」


 ジンヘイの目の前に、全身が赤に染まった化け物が現れる、初めは血糊の色かと思ったが違う。元々の体色が赤いのだ。この目立つ色がなければ、牙を避けることは叶わなかったかもしれない。


「これから死ぬ輩に名乗る気はないよ」

「ぬ!?よく見ればその姿…確かあの時」


 あまりに様子が違ったので気がつかなかったが、こいつはシヨの暗殺未遂の時にいた亜人だ。記憶が正しければ、亜人の村の長を務めているのも、この亜人のはずだった。

 この状況で後方から奇襲を受けたのは驚いたが、これは絶好の好機に違いない。首を晒せば、敵の指揮はガタ落ちになるはずだ。


「クックック、お前を殺せばチョウシ殿もお喜びになる」


 そういって、ジンヘイは自慢の魔練武器を取り出したのだった。

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