第三十話 築城
胤ノ介達が空をかけていた頃、ウェアキャットとワーウルフの混成陣営では、シヨとテンが野戦築城について意見を述べ合っていた。
「あなたはこの陣営をどう思います?」
シヨの簡潔でそれ故に難解な問いに対して、テンは言葉を選んでいた。迂闊なことをいい、馬鹿なされたくなかった。 とはいえ、テンは今回のような戦いの経験がない。恥を覚悟で、素直に教えを仰ぐことにする。
「すいません。無知なもので…ただ、あの騎馬隊の突破力は強力でした。ここの馬房柵では、とても食い止めることは出来ないでしょう」
「…亜人にしては殊勝な考えね。その通り、チョウシ直属の騎馬隊は魔力で人馬共で強化されてるの、生半可な防御できません」
自分の得意分野を語るのが楽しいのだろう。シヨの舌は捕まってから一番よく回っている。話す内容はどれも悲観的なものばかりだったが、シヨの様子から何か対策があるのだとテンは感じ取っていた。
「弱点はないのでしょうか?」
「古今東西、騎馬隊の弱点は変わらない。あなたなら、察しがついているのでは」
「…足場ですね」
「及第点ね。あなた達には死に物狂いで土を耕してもらいます。この周り全てを!」
テンはシヨの意図を全て理解することはできなかったのだが、それ以上の説明はしてくれらわけでもなかったので、いわれるがまま馬房柵の更に外側の土を耕した。大きい石は砕き木の根を引っこ抜く、ただひたすらに耕すその様子は、側から見れば奇怪に映ることだろう。
ワーウルフ達はそして半日もしないうちに、周囲の地面をあらかた掘りつくしていた。驚異的な身体能力だったが、ウェアキャットの力もあれば、その半分の時間で済んだだろう。
最後までエリンは仲間に手出しさせなかったのは、シヨのことを信用していないからに他ならない。
「これであの騎馬隊の突撃を防げますかね?」
「大丈夫、これで終わりじゃないから。天ノ雫…」
「おい!」
突然エリンから怒号が聞こえる。
エリンが今まで日和見を続けていられたのは、危険がないと判断していたからだ。土遊びぐらいなら見逃していたが、シヨが魔法を唱えるとなると話が違う。
「なんですか?」
「魔法は許可してないよ」
その一言でシヨは全てを察した。エリンと自分の脅威に対する認識がズレていることに。百歩…いや、千歩ぐらい譲って野戦築城に手を貸さないはまだいい。だが、この期に及んで裏切りを疑われるのは、シヨに取って遺憾の極みだった。
シヨは不機嫌な様子を隠そうともせずに、づかづかと音を立ててエリンに詰め寄ると、大手を振りかぶって殴りかかる。ろくに鍛えていないシヨの拳など、エリンにとってはハエが止まって見えていた。
避けることなど容易かったが。あえてその拳に当たってやる。ペチっと皮膚を弾く音が周囲の森にこだました。拳は綺麗に鳩尾へと突き刺さっていたが、エリンに痛みを与えた様子は見受けられない。
「それが、あんたの気持ちかい」
「そうよ!こうでもしないと、貴方みたいな人には通じないでしょ」
様子を見守っていたものは、周り時間が止まったと錯覚を覚えた。エリンが、あんな見え見えの拳に当たるとは思っていなかったのからだ。目に見えない緊張の糸が、今にもはち切れそうにピンと張り詰めていた。
一触即発、そんな様相とは裏腹にエリンは笑い声が上げる。対するシヨも同じく笑い、二人にしか理解できない異様な空間が出来上がっていた。
「あんたの心意気は分かった。好きなようにやればいい」
「感謝するわ」
踵を返したシヨにテンが駆け寄って来る。彼も皆と同じく呆気に取られていたのだが、良くも悪くも空気の読めない性なのだ。知的好奇心により、今のやりとりの意味を知りたがる。
「拳で気持ちが伝わる魔法ですか?」
「そ、そんな魔法ないわよ!ああいう手合いは、こうでもしないと伝わらないから」
「ふーん、叔父貴と兄貴みたいな感じかな…僕には分かんないや」
「私には命を賭けてここを守る理由がある。それだけよ」
こうして、魔法を使うことができるようになったシヨは、改めて詠唱に取り掛かる。天才のエルフと違い体内を巡る魔力が少ない人間では、魔法陣のみで必要十分な魔法を使うことはできない。凡才は詠唱の言霊で威力を底上げしてやらねばならないのだ。
「天ノ雫、空神、雷豪ヨ来タレ」
詠唱を終えると魔法陣で変換された魔力が、光子となって天に昇る。魔法による大きな変化は見られなかったが、晴天だった空に薄らと雲が出来始めていた。土を掘り返した程度では、騎馬は止まらない。空神の力を借りて大地に水を張り、意図的に泥場を作るのがシヨの作戦だった。
「天気を予測して戦略を立てる軍師は二流、操ってこそ一流とはよくいったものね」
「この魔法で何がおこるんです?」
「雨が降るの、私たちには神風となるわ」
後は待つだけで雨が降り掘り返された土は水を含む。そうなれば騎馬隊は足を奪われ機能不全に陥いる。シヨは自分の作戦が上手くいくことを信じて疑わなかった。
だが、戦場に当たり前などありえない。一人のウェアキャットが顔面を蒼白にして、凶報と共に帰還した。
「て、敵だ!想定よりずっと早い」
息も絶え絶えになりながら絞り出された言葉により、絶望的に早い敵の到着を告げられた。シヨの魔法は効力が発揮されるまで時間がかかる。この状態で戦が始まれば、拙い防衛線などは簡単に突破され、間違いなく敗北を期すことになるだろう。
───な、何とか時間稼ぎの方法を考えないと
シヨは思考を巡らすが、具体的な策は何一つ思い浮かばない。焦りが冷や汗となり首筋を濡らす。直感が敗北を予感させる。その余計な考えがさらに思考を妨げるのだった。
「シ、シヨさん!」
「時間足りない…魔法が効力を発揮するまで時間を稼がないと」
「どれくらい必要なんです?」
「半刻はいるわ」
半刻というのが、どれほど無理難題を突きつけているかをシヨは理解していた。それができるなら、土を掘り返したり馬房柵を用意する必要はない。無理だということは、この場にいた全員が理解していた。
「半刻でよろしいのですわね」
「あ、あなたは」
誰もが悲壮感に押しつぶされそうになっていた中で、凛とした力強い声が聞こえた。その正体は別邸の主であるケールだった。
力強い声とは裏腹に、歩く姿は弱々しく今にも倒れてしまいそうだ。それでも、もう彼女しか縋るものがない。この場の全員がそれを理解していた。
森託により大まかな状況を理解していたケールは、陣営の外に繰り出すと、大規模な魔法の準備を始めた。さっきまで床に伏せていた者とは思えない手際で、複数の魔法陣を展開する。
ケールはかなりの無理をしていた。枯渇した魔力はまだ半分も戻っていないというのに、大規模な魔法を行使しようとしているのだから。一歩間違えば魔力が底をつき、生命に関わる。
───流石に辛いですわ…なんで、私はこんなことを
長年付き従ってくれた従者達に先立たれ、その復讐も終えた。生きている理由なんて考えるほど、厭世観にも似た感情がケールの心を支配しているのに、何故だか体は動いてしまう。こんなことは長い年月、それこそ千年以上生きて初めてのことだった。
───いっそのこと全てを投げ捨て、自害でもすれば楽になれるのかしら
物思いに耽ていると、背後から声援が聞こえることに気がついた。振り向くと、神樹の森に住まう弱き者達が、希望に満ちた眼差しを自分に向けている。
ケールはそんな彼らの姿に憐憫の情を催したのは、エルフの矜持によるものだろう。枯れかけた心に再び火が灯るのだった。
───ふふ、何をクヨクヨ考えてたのかしら。私が意外に誰がこの者達を守れるというの!
気を取り直して魔法陣を完成させると、すでに目視できる距離まで下州最強の騎馬隊が迫ってきていた。怒号と地鳴りが迫る。ケールと接触するまで後少しといったところで、一列に並んだ魔法陣から、風昇壁(ふうしょうへき)の魔法がいっせいに発動した。
人間さえも軽く浮かび上がる、強力な上昇気流に騎馬の足が阻まれる。対魔法の装備を騎馬に装備させていたが、ケールの魔法はすでに人類が対応できる規模を逸脱していた。
まさに鉄壁の守りといったところだろう。風昇壁を境に互いの軍勢は睨み合いを始めることになる。
「ふぅ、間に合いましたわ。では皆さん、半刻ほどお付き合い願いますわよ」
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