第十三話 姉妹
五十年前 エルフの里
神樹の森の奥深く、深緑の木々に囲われた場所にエルフの里はある。
里の中心で湧き出る泉は小さな湖と川を形成していた。
天然の木々は要害になる他、エルフの住居にもなっている。中でも一際目立つ大木にヴィルジニテ家とそれに連なる者が居を構えている。
「はぁ、疲れましたわ。元老院の議会は毎回同じことを話してなにが楽しいのかしら」
元老院とはヴィルジニテ、ノブル、プレザンスの三つ家系により構成されたエルフにおける最高意思決定機関のことをいう。
最近とある問題について毎日議会が開かれるのだが、議論が煮詰まり一向に解決策が打ち出せないでいる。
ケールはヴィルジニテの代表として呼び出されているので疲労が蓄積していた。
帰宅するなり絨毯の上に倒れこむ、無作法かと思ったが今ここに住んでいるのは従者のエピナと数人の使用人のみ、多少は気を抜いても問題ないだろう。
「あ、姉様は…帰っているはずがありませんわね」
「ケールさま、今日もお疲れ様です。…そんなに議会はいやですか?」
一応、姉のフルールも同居しているのだが諸事情により不在だった。
それより2人きりだというのにエピナの態度が仰々しい。
口に出さないだけで、無作法をはたらいたことに怒っているのは明白だった。
指摘すると説教が始まりそうなので気が付かないふりをした。
「ええ、もちろんですわ。エピナも毎日同じ話を聞かされたらいやでしょ?」
「話の内容によるでしょうか?」
「大体が人間と交わったエルフと天子の愚痴ですわ。どちらも議会で話す合うにはお粗末な内容…姉様が関わってなければとっくに欠席してますの」
「ご心労お察しします。お食事ができるまで少し時間があります。先に湯浴みをしてきてはいかかでしょう?」
「そうね…そうさせてもらおうかしら」
エピナに勧められるがまま、家に備え付けられた天然の湯が湧き出る風呂に向かう。
脱衣所には丁寧に次の着替えが用意されている。
相変わらず手際がいいと思いながらも、服を脱ぎ去り風呂場に足を運んだ。
石で作られた湯船には満ち満ちとお湯が張られ、白い湯気が立ち上っている。
その光景を見ると自然とお湯に身体を預けていた。
「極楽ですわ」
お風呂に浸かることで体の疲れが回復するのが分かる。
だが、気分が晴れることはなかった。
「はぁ」とため息をつき、頭がモヤモヤする原因を思い返す。
◆◆◆
つい十年前のこと、世界史上初めて国というものが誕生した。
その名も『龍華国』
天子と名乗る謎の人物が弱小種族だった人間を取りまとめ一大勢力を築いたのだ。
絶対的な武力を持って各地を牛耳っていた勢力は平定され、逆らう者は皆殺しにされた。
このエルフの里も例外ではない。
戦乱に巻き込まれることはなかったが龍華国に帰属することを強要された。
逆らうという選択はなかった…当時の龍華の勢いはまさに破竹、最も隆盛を誇っていた亜人の勢力『百獣忌』を撃破した噂は閉鎖的なこの里にも伝わっていた。
この時、龍華国から受ける影響をもっと考えていれば未来は変わっていたかもしれない。
そのような重要な判断をするための元老院議会なのだが、当時の代表者たちは人間の寿命が短いことや歴史が浅いことを理由にろくな議論を交わさなかった。
龍華国から不利な条件を提示されなかったことも要因の一つだった。
提示された条件は一つ人間との共生に協力すること、つまり『人間と仲良くしろ』という話だ。
一方的に平定してきてどの口がとも思ったが、こちらがどうこういえる立場ではなかったので条件を呑むしかなかった。
平定から1年あまりで里にはたくさんの人間がやってくるようになった。
初めは訪れる人間に関わろうとするエルフはいなかったのだが、持ってくる物の珍しさに一部の者が興味を示した。
次第に人間と仲良くするエルフが現れ、商売や旅に来る人間が増えることになる
そこからの里の変化は早く、行商や旅で来た人間がそのまま里に居着いたと思ったら、あろうことかエルフとの間に子を成したというではないか。
その衝撃的な出来事は一瞬で里中に知れ渡り皆を驚かせた。
エルフが多種族と交わるなど有史以来初めてのことだったので無理はない。
少しずつ里の内情が乱れ始めたころに彼は訪れた。
名前はタオヘイ、上州からきた行商人だった。
彼が持ってくる『うみ』で取れるという貝殻の装飾品はとても綺麗で、特に若いエルフに人気でこぞって物々交換が行なわれていた。
その噂は私たち姉妹の耳にも入り、一目見ようと彼のもとへと向かったのだ。
「ねぇケール、お姉ちゃんはあの耳飾りが気になるのだけど」
「もう、似たような物がいくらでも家にありますわ」
姉のフルールはヴィルジニテ家の中ではめずらしく能天気な性格をしている。
ろくに森託を聞くこともできないことから、一族からは落ちこぼれなどと評されているが、その持ち前のお気楽さで相手にしていないようだ。
もともと店に近寄るつもりはなく、遠くから眺めるだけの約束でついてきたのだが、会話を聞かれたのだろう。
彼がこちらに気がつき話しかけてきた。
「なぁ、美しいお嬢さん方よかったら商品を見ていかないか?」
「まあ、美しいですって。やっぱり行ってみましょう!」
「ちょっと、姉様」
これが彼との初めての出会いだった。
精悍な顔つきに黒くよく焼けた肌に笑うと見える白い歯がよく似合う。
微かに香る独特な匂いは、タオヘイ曰くうみの香りだろうといっていた。
姉様は貝殻の耳飾りをいたく気に入ったのだが、生憎と交換できる物を持ち合わせていなかった。
諦めるようにと姉を説得しようとしたとき、なんと彼は無償で耳飾りを姉様に譲ったのだ。
後で聞いたが「笑顔が素敵だったから」それだけの理由だったそうだ。
私にも一つ譲ると渡されたが、その時は人間への先入観が邪魔をして素直に受け取ることができなかった。
その後、姉にそそのかされ何度か彼のもとに通うことになる。
気がつけば彼が里を訪れれば姉妹二人で遊びに行くようになっていた。
あるとき新しい商品を入荷したと耳にした私たちはタオヘイの店に向かっていた。
途中で忘れ物をしたことに気がついた私は一旦家に帰り姉だけ先に店に向かわせた。
忘れ物を取り急いでタオヘイの店に向かっている途中で男の怒声が聞こえた。
「おいおい、大事な商売道具が壊れちまったじゃないか」
「エルフの姉ちゃんよ。どうしてくれるんだぁ?」
「え、あの」
二人の男とエルフの女の声が道を逸れた木の裏から聞こえる。
どうやら揉めているようだ。
人間が来るようになってからこういう問題が発生するようになった。
見過ごすわけにもいかないので、割って入ろうと声を掛けようとした。
「ちょっと」
「待った待った。そいつは俺のツレなんだ。悪いがこいつで勘弁してくれないか?」
別方向から同時に声が掛かった。
声の主はタオヘイ、そしてよく見たら絡まれていたのはフルール姉様だった。
出ていく機会を逃してしまったので物陰でしばらく様子をみることにした。
どうやらタオヘイはジャラジャラと金属音のする袋を絡んできたヤカラに手渡したみたいだ。
「あれは確か…人間が物々交換の代わりに使うというお金というものですわ」
「あ?なんだお前は」
「タオヘイ!」
「兄貴、これ大金ですぜ!」
「何!?ま、まぁ今回はこれで許してやるとするか」
上手く追い払うことができたようだ。
二人はお金を握りしめ、そそくさとこの場を離れていった。
「私の出る幕はありませんでしたわ。それにしてもお金には魔法のような力があるのかしら」
「ケールさんいるんだろ?」
「あら、気がついてましたの」
「声がしたからね。フルールさんも怪我はない?」
「はい。あの人たちが突然ぶつかってきて、私怖くて」
「分かってますよ。あの魔練武器も初めから壊れてたはずです。人にぶつかった程度で刃が折れるわけありませんから」
「分かっていたのにお金を差し上げましたの?ほんとお人好しな人ですわ」
「ハハッ、いきなりだったからね、このやりかた以外思いつかなかったんだ」
この事件を機に姉がタオヘイに好意を寄せていることに薄々気がついていた。
でもヴィルジニテとして模範的な生き方を選んでくれるはず、そう信じていた。
それから暫くして姉から驚きの報告があった。
タオヘイとの子を宿したと…
いつも二人で遊びにいってたのにいつそんな関係になったというのか。
私が魔法の修練や人脈作りに奔走して家にいない間に恋仲になっていたとしか考えられない。
姉ならやりかねないそういう気持ちがどこかにあったのだろう。
呆れ果てはしたものの嫌いにはなれなかった。
子供は1年もしないうちに産まれウィルと名前がつけられた。
私はその頃にはヴィルジニテの当主となり姉とは疎遠になっていた。
前当主は姉のことで責任を問われ失脚、繰り上がるかたちで私が当主をすることになった。
エルフの価値観では純血が重んじられる傾向がある。
身内が混じりものとなったヴィルジニテの権威は失墜し三家の中では落ちぶれることになった。
◆◆◆
「はぁ、どうして」
二度目のため息が風呂場に響き渡る。
何度思い返しても姉の無責任な行動を当主として許すわけにはいかなかった。
本当にただそれだけ…
だが懲罰の内容は当分は決まらないだろう。
元老院の各家の意見が完全に割れているからだ。
ノブル家は人間と交わったエルフ両方を罰するべきだと主張している。
プレザンス家は全く反対の主張をしており、どちらも罰する必要はないとノブル家に真向から反対している。
一応、ヴィルジニテ家は人間のみを排斥するべきと主張しているが問題の一端を担っているので、大きな声で意見することは憚られている。
最悪、プレザンス家に同調すれば姉様を庇うことができるだろうが、人間の血がこれ以上一族と交わることは阻止したかった。
「一体いつまで続くのかしら…何かきっかけが必要ですわ」
「ケールさま、お食事の準備ができました」
「あら、もうそんなに時間が経ちましたの」
「長風呂は身体に悪いですよ」
風呂場の外からエピナに声をかけられる。
考え方をしていたらかなりの時間風呂に浸かっていたようだ。
「分かってますの、すぐに上がりますわ」
「お待ちしております。そういえばシュクルットが居間にいますので、ちゃんとお召し物を着用してきて下さいね」
「なんで!?」
以外な訪問に驚きの声を上げたが返事はなかった。
釘を刺された手前、部屋着を着ていくのはやめて軽く正装をすることにした。
着替え終わり居間に出向くと険しい顔をしたシュクルットが出迎えてくれた。
「お久しぶりですわ」
「ケール様もおかわりないようで安心しました」
「それで今日は何のようで?隠居している先代の護衛はいいのかしら」
「その先代からの指示でここに来ました。端的に言うと今日から私の護衛対象はケール様あなたです」
「はぁ?突然なにを」
「ある有力筋からの情報提供で明日この里に天子が訪れることが分かりました。物騒な噂もありますし念のため私がつかわされました」
物騒な噂とは、近々ノブル家が強権を行使して議会を掌握するつもりだということだろう。
武闘派のノブル家ならありそうな話だが毎日議会で顔を合わせてる分にはそうは見えなかった。
そもそも私には護衛なんて必要ないと思っている。
なぜなら…
「理屈はわかりましたわ。でも心配ご無用。すでに魔法の腕前もあなたを凌駕してますし、私には森託がありますわ」
「確かに私に師匠として教えられることはもうありませんし、森託もケール様以上に聞こえる者も存在しないでしょう。ですが万が一のことがあるかもしれません。その時は命にかえて護衛させていただきます」
そういってまっすぐな視線を向けてくる。
暗に…いや、かなり分かりやすく自分の身は自分で守れると伝えたつもりだったがテコでも考えをかえるつもりはないようだ。
「はぁ、何をいっても無駄のようですわ」
「二人とも食事ができました。積もる話は食べながらにしましょう」
話が一区切りところでエピナが食事を持ってきた。
夕食のメインディシュは好物のミカシュのパイだ。
見ただけでヨダレが垂れてくる。
久しぶりに3人で食べる食事は美味しかった。
他愛のない話に皆笑顔を浮かべていた。
願わくはここに姉様がいてほしかった…
夕食後は明日に備えて早めに就寝することにした。
この時は天子が来る。
その意味をまだ分かっていなかった。
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