恋と冒険はぐちゃぐちゃを踏み越えて
(KAC20233 お題は「ぐちゃぐちゃ」)
(前回までのあらすじ)
本屋で一目ぼれした美少女にふらふらついていったぼくは、洋書コーナーでとつぜん現れた化け物に襲われた。瀕死のぼくは、なんだかよくわからないまま、ぬいぐるみのクマと契約することに。
一方、美少女は化け物をやっつけて、一応危機は去った……のかな?
* * *
「あたしの名前はねえ、ベアトリーチェっていうの」
訊いてもいないことを、ぬいぐるみは勝手にぺらぺら教えてくれる。
はいはい、って適当にぼくは聞き流して、戦いを終えたばかりの美少女を見つめてる。シルクみたいな手の甲が額をさっと拭うと、汗が
うっとり見惚れちゃう。なのに、せっかく天上の美に浸っていたのに、横からの声でぼくは地上へ引きずり戻された。ぬいぐるみの奴は言うのだ。
「……きみの名は秀一郎っていうのね」
な、
「なんでぼくの名前知ってんだよ?」
一度も名乗ったおぼえはないのに。
「じゃあねえ、シュウくんって呼んじゃおっかな」
「……質問に答えろよ、クマ」
「ク……クマ?」
ぬいぐるみが、一瞬かたまった。
「ひどい。あたしベアトリーチェだって言ったのにい」
しまった、傷つけちゃったかな。でも見た目はファンシーなクマだからね。ハッピーなピンク色の。涙だってどこまで本気かわかりやしない。
とはいえ、お人好しにかけちゃけっして人後に落ちないと言われたぼくだ(これって褒められてるんだろうか)。書棚に顔を埋めるぬいぐるみの肩に、そっと手を置いて、
「わかったよ、ベア。これでいいかい?」
なんてとっておきの男前声を出してみせる。
ぬいぐるみは振り返った。ピンクっぷりも2割増しぐらいになって、つぶらな黒目はうるうるしてる――たぶん。
「うれしいっ、わかってくれたのね、シュウくうん」
ま、どっちにしろクマだけどね。英語にしただけだもーん。
「茶番は済んだ? あたし、帰っていいかしら?」
うしろから聞こえてきたのは、ぼくたちふたりの頭にまとめて冷水ぶっかけるぐらいの冷めた声。ベアとそろって振り返ると、美少女がブリザードを背負ったみたいな表情で見おろしていた。そこらじゅう血とあざだらけで、よく見たらセーラー服の脇腹のあたりにも血がにじんでる。
「だ、だいじょうぶ? よかったらこれ使って」
せめて血を拭わなきゃってハンカチを渡そうとしたんだけど、その伸ばした手を、彼女はさっとかばんで払いのけた。
「触んないでよ。だれのせいでこうなったと思ってるの?」
目がつめたい。もう味噌汁だって一瞬で凍っちゃいそうなほどつめたい。
「……ぼくのせい?」
こそっとベアに訊く。だって美少女の方を向いたらきっと凍って砕け散ってしまうもん。
「もしかしてシュウくん、”魔書”に触った?」
「魔書? 本のこと? ……触った。かも」
あちゃあ、ってベアが天を仰ぐ。美少女の冷気はますます育って吹き荒れる。
「かもじゃないわよ。ぜ・ん・ぶ、なにからなにまであんたのせいよ。勝手についてきて、警告無視して本を触って、そんで出てきた悪魔の退治はあたし任せで。それで、だいじょうぶ、って? この姿見て、だいじょうぶだってあんた思うわけ? なにのんきなこと言ってんのよっ」
たしかに彼女は血と青あざも痛々しい姿で、ぼくは一言も言い返せない。おもわずぬいぐるみのうしろに隠れた。
「そんな責めちゃ、かあいそうよお、シュウくんだって悪気があってやったわけじゃないんだしぃ」
ベアの、いつも笑っている口が、いまはこの上なく頼もしいよ。
「悪気があったらいまごろ殺してるわ」
美少女は吐き捨てるように言って、うしろで動かなくなってる化け物の残骸を蹴っとばした。
「こいつみたいに」
死んでるからってご無体な美少女だ。その足の動きにつられて、ぼくは痛恨のミスを犯す。彼女の足もとの、残骸が目に入った。見てしまった。
うゎ、ぐちゃぐちゃ。
自主規制モノの光景。これはキツい。胃がのたうちまくって、酸っぱいのが喉まで上がってくる。
「吐いたりしないでよね。床が汚れちゃうから」
美少女はとことんつめたい。
ベアはベアで、まるきり平和な声してる。
「派手にやったわねえ。あらあら、床も壁も血だらけだわ。これ掃除するのってたいへんそうねえ」
ぼくがアレから必死で目をそむけて全力で忘れようとしているのに、思い出させないでおくれよ。
ぐちゃぐちゃになってるアレの破壊力は抜群だ。
どんだけぐちゃぐちゃかって、そりゃもう映像化不可能ってほどのぐちゃぐちゃぶりで、もし映像化できたとしたって放送絶対禁止のお蔵入り確実、ぼくなんかコンマ1秒で目をそむけたのに目に焼きついちゃって毎晩悪夢にうなされそうだ。
「ふん」
そのぐちゃぐちゃを、美少女は足で踏んづけた。ぼくは視界に入れないよう上向いてるけど、ぐにゃっ、て音が聞こえてくるうぅ。
「こいつの掃除だなんて、あたしイヤよ。あとはあんたたちに任せるわ。じゃあね」
そう言うと、彼女はくるりと背を向け、さっさと帰っていった。
残されたぼくとベアは目を見合わせる。
するとベアが、ぽん、と手を拍った。もふもふの手のひらで。
「……考えてみれば、あの子の言うことも一理あるわね。シュウくんが魔書に触れなきゃ、悪魔は出てこなかったんだしぃ。そしたらこいつもこんなぐちゃぐちゃになって死ななかったわけだし? うんうん。ここはシュウくんが責任とって片づけるってことで、いいんじゃないかな。それがいいよ、うん。じゃ、よろしくねー」
言いおわったらなんと、ベアの奴めはどろんと消えてしまった。みごとに影も形もない。
ぼくだけひとり、ここにとり残されたわけだ。
ここは本屋の洋書コーナー。……だったはずなんだけど、さっきからだれもやってこない。足もとには悪魔らしきモノのぐちゃぐちゃになった残骸。そいつと、本棚と、あとはぼく。悪夢だ。
ほんとにぼくが、こいつを始末するの? そういや契約って、どうなったんだっけ。ぼくはあの美少女の名前さえ知らない。どうでもいいクマのベアトリーチェって名前以外、なにもかも謎のまんまだ。
ぼくの恋と冒険は、はじまるんだろうか……?
(おわり ・・・ 続きません、と毎回思ってるんですけどね……)
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