第2話
「いいね。こういう方があなたには合ってる」
食卓の水彩画を見るなり、先生は元々大きかった目をさらに大きく見開いた。
「前回のとかは、デッサンはうまいんだけど、うまいだけで面白くなかったの。でもこっちは風を感じる。温度も、音も、時間も。見違えた」
珍しい先生のほめ言葉に、私の胸はふわふわと浮き上がりそうになる。
色を入れたあとも、私のイメージした通りにできあがった。重ね塗りはなるべくせず、柔らかい線と透明感のある色でまとめた。朝の光や湯気の揺らぎがうまく出せたと思う。これまでのタッチとはまったく違うけど、これまでで一番の自信作だ。
実際に色を塗りながら気づいたことだが、私はこれまで、影やものの輪郭をはっきりさせることで立体感をつけようとしていた。けど今回は紙の白を残すことで光を表現した。影を足すんじゃなく、光を差し引いて色を置いていく。やり直しがきかないから緊張感があるけど、おかげで集中して作業できた。
「ねえ、これ知ってる?」
さっきから机の上をガサガサとひっくり返していた先生が、一枚の紙を私に差し出した。
「学生水彩画コンテスト?」
学生限定、水彩の平面作品限定のコンテストらしい。そういえば、去年出品したゼミ生がいたような気がする。
「絶対出品するべきだよ」
私は内心、驚いていた。「コンクールとは、
私はすぐに出品の申し込みをした。もしかしたら偶然の産物かもしれないけど、少なくとも現時点で、これは私が描ける最高傑作だ。
あの家の前を通ると、今日はごま油を炒める香ばしいにおいと音がした。
あれから、時間がある時はこの家の前を通るようになっていた。いつも少しだけ窓が開いているが、中にいる人の姿はまだ見たことがない。
どんな人なんだろう。
窓から少しだけ見える内装からして、あまり若くはなさそうだ。毎晩同じような時間に食事の支度ができるということは、専業主婦だろうか。
私の頭の中では勝手に、背中の曲がった小柄なおばあちゃんを想像していた。エプロンではなく
即席味噌汁はあっという間に食べ尽くしてしまったので、新しいものを買ってきた。前回は迷わず一番安いものを選んだが、今回はちょっとだけ贅沢をして、味噌と具が別になっているタイプを購入した。香りも、具材の存在感も、まったく別物だ。
あれから毎日、夕食には味噌汁を飲んでいる。もちろんそれだけというわけにはいかないので、ご飯と、コンビニで買ってきたお惣菜やサラダを一緒に食べる。今日は、あの家の香りに触発されて、きんぴらごぼうにした。ここ数日はきちんとした食事を摂っているからだろうか、体の調子がいい気がする。なんだか健康な気分だ。今日はどの具の味噌汁にしようかと考えるだけで、退屈な授業やバイトも頑張る気力が湧いてくる。たかが味噌汁で、と我ながらちょっと呆れるけど、スイーツやお酒を一日のご褒美にしている友人に比べればずっと健康的だし、何より安上がりだ。
眠る前の制作の時間も、はかどっている。
練習で、思い浮かんだ情景をなんでもスケッチブックに描くようにしていたら、あっという間に一冊使い切ってしまった。鉛筆だけの時もあれば、軽く色を入れることもある。
あの食卓の絵以来、色はすべて水彩でつけていた。頭に浮かぶ情景は、みんな淡くにじんだような色をしているのだ。
今日浮かんできたのは、シーツに透けた太陽の光だった。よく晴れた空の下で、真っ白な洗濯物が風に揺れている。干したシーツの後ろに、それを干す人のシルエットがうっすらと見える。
下書きを始めてから、一時間ほどで描き上がってしまった。サイズは小さいし、アクリル絵の具に比べて色塗りにかかる時間が少ないとはいえ、こんなにさらさら描けるのは、私にすれば快挙だ。
思えば、幼い頃はいつもこうだった。買ってきてもらったお絵かき帳を三日で使い切って母に驚かれたこともあったくらいだ。絵のクォリティーも手間も比べられるようなものではないが、当時は今と同じくらい、絵を描いていて楽しかった。
けれど小学校に入る頃には、お絵かき帳はとり上げられて、代わりに算数の問題集やら、漢字の練習帳やらを押しつけられた。サボってノートに落書きしようものなら、兄か姉がすぐに告げ口をした。自分達が通ってきた道を末っ子だけまぬがれるのは、我慢できなかったらしい。
そうした状況であっても絵をやめなかったのは、ひとえにおばあちゃんがいたからだ。こっそりと私に画材道具を買い与えてくれて、私が描いた絵を見せると、おばあちゃんはあらゆる言葉を駆使してほめてくれた。それから嬉しそうに、その落書きを自分の部屋に持ち帰るのだ。おばあちゃんの喜ぶ顔が見たくて、私は絵を描き続けた。
絵を描きたいから、親に文句を言われない程度の成績を必死に維持した。
だけど、高校に入って一年しないうちに、おばあちゃんが亡くなった。
おばあちゃんの部屋で荷物を片付けていたら、私の絵が詰まった引き出しを見つけた。ただの落書きも、恥ずかしくて見られない
その途端、決壊したダムのように絵に対する情熱があふれ出てきた。長年抑えこまれていた想いはとどまることを知らず、不安や親の反対をすべて押し流し、美大へ進んだ。
この絵をおばあちゃんに見せたら、なんて言うかな。
いつだってほめてくれたけど、今の私の絵なら、きっとお世辞なんか必要ないくらい喜んでくれたはずだ。
ハロウィンが終わるなり、街はクリスマスの装飾に切り替わる。
どこを見ても、落ち着いた赤と緑に、銀や金のキラキラしたオーナメントやモールがかかっている。
その日、あの家の窓は閉まっていた。台所の明かりもついていない。外に食べに行ったのだろうか。留守は初めてだ。
学校やバイトの帰りにここを通るのがすっかり日課となっていたので、少し残念だった。あいかわらず、ここに住んでいる人が、どんな人なのかは知らない。けれど、窓に明かりがついているのを見ると、おかえりを言われたような不思議な感覚になるのだ。
家に帰り、夕食のしたくを始める。
二ヶ月も味噌汁生活を続けていたら、だんだんインスタントではなく自分で作りたいと思うようになってきた。
自分で初めて作った味噌汁は、こってり系の味噌ラーメン並に味が濃くなってしまって、とても飲めたものではなかった。今ではそこそこ食べられるものになっている。今日は豆腐とニンジンとダイコンの味噌汁だ。
新しい汁椀に、できたての味噌汁をよそう。スープカップで味噌汁を飲むのもいまひとつ雰囲気が出ないので、味噌汁用の汁椀を買ってきた。百均のプラスチック製のやつだけど、内側が赤くてつるりとしたお椀に変わるだけで、味噌汁がぐっと鮮やかに見える。
だけど味に関しては、何度作っても満足できたことがなかった。頭でいくら比べる必要はないと思っても、口をつけた瞬間、舌が勝手にジャッジしてしまう。
おそらく、おばあちゃんの味噌汁と比べているのだろう。料理じょうずで、いつも大皿に盛ったおかずをいくつもテーブルに並べてくれた。両親が共働きだったので、家事全般をおばあちゃんが担っていたのだ。だから私の体の基礎は、おばあちゃんが作ってくれた食事でできている。おばあちゃんが亡くなってからは母が食事のしたくをするようになり、買ってきたお惣菜とか、温めるだけのハンバーグとか、できあいのものが多くなった。でもやらないだけで、母も料理の腕はいいのだ。おばあちゃんの味をほぼ完璧に再現できる。
私も教わっておけばよかったな。
改めて味噌汁をひと口飲んでみる。
真っ白な豆腐。赤い器と橙の汁の中でも鮮やかに存在感を放つニンジン。薄めに切ったダイコンは透き通っている。見た目はこんなにおいしそうなのに。やっぱり、何かが足りない。
ひとつ思い浮かぶのは、ダシだ。
私は横着してダシ入り味噌を使っている。一方、おばあちゃんの味噌汁には、いつも煮干しが入っていた。あれでダシをとっていたのだろう。
インターネットで煮干しダシのとり方を調べてみる。
煮干しの頭とワタをとり除き、水と一緒に鍋に入れて三十分くらい置いてから火にかけ、アクをとって……無理。面倒くさすぎるし、そこまで時間はかけられない。ダシ入り味噌が私の身の丈には合っている。お湯にとくだけでちゃんと味噌汁の味にしてくれるダシ入り味噌、素晴らしいじゃないか。
私はもう自立したのだ。味噌汁の味だって、もう実家に捉われる必要はない。
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