第3話

 それからしばらく経ったが、職場での私の扱いは大きく変わらなかった。


「エレン様、少しよろしいですか?」


 むしろ悪くなっている気がする。


「敬称は不要ですよ。私の方が新参者で仕事を教えてもらっている立場ですから」


「そんな! 畏れ多いです」


 こんな感じで私の肩書きに恐れる人もいれば目の敵にする人もいる。

 私が働きすぎるからか、「私たちがサボってるみたいじゃない」や「貴族令嬢らしく私たちを下に見ている」などと陰口を言われるようにもなっていた。


 そんなある日のこと、シスターに全職員が呼び出された。

 私以外の職員は顔を伏せて、関わりたくないといった様子だった。


「前々から話しているラビエラ公爵家の御令息の件ですが、誰か一人専属のスタッフをつけようと思います」


 公爵家の子をこの保育所に預ける意味が分からない。

 伯爵家の娘である私だって専属の侍女と家庭教師に囲まれて育てられたのだから、公爵家が金銭的に困っているはずがない。

 なにか別の理由があるのだろうか。


「エレンさんでいいじゃないですか。あなた、年長児と仲良しでしょ」


「そうよ。それに同じ貴族なんだから上手くやれるでしょ」


 なにかと私を目の敵にしている連中からの口撃だ。

 力を尽くしているつもりだが、まだ信頼を得るには程遠いらしい。


「分かりました。僭越ながら私が大役をお受けいたします。ただ――」


 ジロリと見渡し、最後にシスターの瞳を見つめ返す。


「特別扱いには反対です。公爵家の御子息も他の子と同じように接します。よろしいですか?」


 批判の声が上がる中、シスターだけは何も言わずに頷いてくれた。


「エレンさんに一任します。最終的には私が責任を取りますが、あなたも覚悟を持って業務にあたってくださいね」


「もちろんです」


 そして、ついにその日が訪れた。

 朝から緊張感のある保育所に子供たちが預けられてくる。

 門の前でお出迎えしていた私たちの前に豪華な馬車が止まり、そこから降りてきたのは煌めく金髪を持つ王子様のようなイケメンだった。

 見た目だけなら20代前半だ。ただ落ち着いた雰囲気を持っているから年齢は不詳のように感じた。

 彼に続き、小さな王子様が転けないように慎重にステップから飛び降りる。


「ラビエラ公爵家のジルと申す。本日からこのムタ・ラビエラが世話になる。よろしく頼む」


「お待ちしておりました。エレン・リヴィエールと申します。よろしくお願いいたします」


 深々と下げた頭を上げると小さな王子様と目が合った。情熱を内包するルビーのような瞳が綺麗で思わず見惚れてしまった。


「……よろしくお願いしますね」


 不信がられたか?

 ムタ坊ちゃんからの返事はなかったが、ラビエラ公爵とはすんなりと離れてくれた。

 初めての場所へ来たとは思えないほどのスムーズさに驚きつつ、馬車を見送ってから手を引いて保育所の中へと一緒に入った。


 改めて自己紹介すると彼は小さく「ムタです」と名前を教えてくれた。

 私は書類を読んでいるからもちろん名前も誕生日も書かれた情報は頭に入っているが、挨拶は大切だ。


 一通り保育所内を案内してから同年代の子と顔合わせをしたがムタ坊ちゃんの表情は固い、というよりも無だった。

 彼が壁を作っているとお友達も壁を作ってしまう。ある種の貴族としての矜持のようなものを感じるが、今の彼らにそんなものが必要なのだろうか。

 最初は本を読んだりしていた。文字が読めることを褒めると少し誇らしくしていたからまんざらでもないらしい。

 しかし、お友達と一緒にな遊ぶ素振りは見せなかった。


「お外に行きましょうか」


「……お庭?」


 これまで反応を示さなかったムタ坊ちゃんがルビー色の目を見開いたのを私は見逃さない。


「ここのお庭は小さいので少しお散歩しましょう。はぐれないように手を繋ぎながら」


 私はもう一人の引率してくれる職員を連れて、7人の子供たちを外に連れ出した。

 彼らにとって庭以外の場所で遊ぶという体験は初めてだったようで、ただのお散歩でも周囲の景色を興味津々の眼差しで見ていた。


「楽しい?」


「うん。普段からお外には出ないから」


「どうして?」


「侍女たちが危険だから出ちゃダメって」


 私の中にあるエレンの記憶が鮮明に蘇る。

 言われてみれば私も家の中で育てられ、庭で遊ぶことすらもなかったはずだ。

 育ち盛り、食べ盛りの時期に室内に閉じ込められればストレスも溜まるだろう。

 私は前世で大人たちにしてもらったことを可能な限りこの子たちにしてあげたいと思った。


 お散歩から帰る頃にはムタ坊ちゃんも少しは同年代の子たちと馴染んだのか、ポツポツと会話が生まれるようになっている。

 最後まで約束を守って手を繋いでいてくれたし、きっと根は良い子なのだろう。

 むしろ良い子すぎる、という印象を持った。

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