第2話

 馬車に揺られて辿り着いた一つの建物。教会や修道院のようにも見えるその建物はいわゆる保育所だ。

 主に男爵家や子爵家の子供を預かっている場で家庭教師や専属メイドを雇うよりも安い値段で子供を預かっている。


「今日からお世話になります、エレン・リヴィエールです。よろしくお願いします」


 出勤初日。第一印象が大切だ。

 ただでさえ学園での評判が最悪なのだから、ここでつまずくと今後の業務に差し支える。

 そう意気込んで挨拶したものの諸先輩方の反応は思わしくなかった。


「はい。じゃあ、エレンさんには仕事内容を教えるからこっちに来てちょうだいね」


 場の空気を締めるように、ぱんっと手を叩いた年配のシスターの後を追う。

 彼女がこの保育所の責任者であり、本当のシスターだ。

 元々は別の土地で孤児院を営んでいたが、王都の近くに移り住んだことにきっかけにこの保育所を始めたらしい。


「ごめんなさいね。みんな緊張しているのよ。なにせ、あなたは伯爵家の御令嬢なんだもの」


 ここで働いている人は庶民出身の女性ばかりだ。年齢は様々だが、私よりも身分が高い人はいない。

 こうなることは入職前から予感していたとはいえ、あからさま過ぎて面を食らってしまった。


 シスターに続いて一つの広い部屋に入ると元気いっぱいに走り回る子供たちがいた。

 年齢は0歳から5歳程度だろうか。とにかく騒がしい。

 子供たちの人数が50人程度に対して、職員は私を含めて8人。


「ここが子供たちの遊び場になっています。お昼寝の部屋は廊下を挟んで反対側」


「多いですね。みんな、貴族の子ですか?」


「いいえ、少ないですが庶民の子もいますよ。本当は身分に関係なくお預かりしたいのだけど。……色々と、ねぇ」


 全部言わなくても分かるでしょ――という言葉が隠されていることは明らかだった。

 それ以上は詮索せずに先輩方の仕事ぶりを見学する。


 なんというか、忙しそうだ。

 もっと効率的にできないものかしら、と思ってしまった。

 ただ、相手が貴族の子供となればより気を使うのだろう、とも思った。


「子供に身分は関係ないけどね」


 つい口からこぼれ落ちた言葉がしゃくに障ったのだろう。

 泣いている赤ちゃんを抱いてあやしていた女性職員が私の前まで歩いてくる。


「じゃあ、あなたがやってみなさいよ。偉そうなことを言ってないでさ! 貴族のお嬢様か知らないけど、口先だけで使えないなら出て行きなさいよ」


 鬼の形相で怒鳴るものだから抱かれている赤ちゃんが泣き叫んでしまった。

 この責任は私にある。

 丁寧に赤ちゃんを抱き寄せて優しく揺らす。軽く微笑みながら、少しでも安心できるように。


「……うそ、でしょ」


 目を丸くする女性職員にベビーベッドへ案内するように目配せして、赤ちゃんを優しく寝かしつけた。


「シスター、仕事内容はやりながら覚えます。私に仕事を振ってください」


 後にこの発言を後悔することになる、なんてことはなかった。

 何を隠そう私の前職は保育士だ。

 交通事故に遭って死ぬまでは現役バリバリで働いていたのだから、どうということはない。


 ただこの世界と私が過ごした世界とでは考え方や子供との接し方が大きく異なっている。

 やはり目立つのは子供の差別だ。

 職員たちは意図的に行っているつもりはないのだろうが、子供たちに対する遠慮や彼らの背後にチラつく両親の影への畏れは見えてしまう。

 初出勤の私が感じているのだから敏感な子供たちが気づいていないはずがない。

 実際に年上の子たちは接する職員を選んでいるように見えた。


「よし。やってみますか」


 腕まくりをして現代でいうところの年長さんに相当する背丈の集団に近づいた。

 明らかに高級な服を着て、走り回る子供たちを一歩引いた目で見ている。

 椅子を並べて静かに話している姿を見ていると、会議中か! とつっこみたくなってしまう。


「こんにちは。私はエレン・リヴィエールです。一緒に遊んでもいいかな?」


 しゃがみ込んで目線を合わせて話しかける。

 男の子は目を伏せがちに友達の方へ視線を彷徨さまよわせ、女の子は高飛車に答えた。


「いいけど。楽しませてくれるんでしょうね」


 難しい課題だが自信はある。

 この世界で触れ合ったことのないものを教えてあげればいいのだ、と直感的に体が動いていた。


「もちろん。ルールを説明するから聞いてね」


 子供用の椅子に座っている6人の男の子と女の子を見合わしながら説明を始める。

 提案したゲームは日本では馴染みのあるフルーツバスケット。

 要するに椅子取りゲームだ。


「もも!」


 それぞれに割り振られたフルーツを呼んでは椅子を取り合い、呼んでは椅子を取り合い。繰り返すこと、なんと15回。

 高飛車だった女の子が一番はしゃいでいた。


 普段は大人しい子たちがはしゃいでいたのが気になったのか、ぞろぞろと他の子供たちも集まってきて、大所帯でフルーツバスケットをすることになった。

 人数は多い方が面白いのは当たり前だ。


「鬼を二人にしようか」


年齢、身分を問わず、ごちゃ混ぜになって遊び倒すこの姿こそがシスターの理想とする姿なのではないかと思ってしまった。


「ねぇ! 次は!?」


 飽きたらしい。

 さっきよりも子供らしい笑顔を見せるようになった彼らに次の遊びを提供しようとしていると、遠くから叫び声にも似た声が聞こえた。


「誰かこっちに来てー!」


 助けを求めているが声色から怪我などの緊急性はなさそうだ。しかし、呼ばれたからには行かないと。


「ちょっと待っててね」


「ちょっとってどれくらい?」


 気の弱そうな男の子からの質問。

 曖昧な言葉ではなく、明確に伝えないと彼らは困ってしまう。

 浮き足立って、配慮が欠けていたことを反省しながら訂正する。


「鬼があと3回変わる頃に戻ってくるよ」


 子供たちの納得顔を見届けて女性職員の元に向かうと4歳ほどの男の子が廊下で粗相をしていた。

 さほど慌てる場面ではないが、対応している女性職員の背中では赤ちゃんが今にも泣き出しそうだ。


「私が代わります。着替えの服と消毒液をお願いします」


 さっと男の子の着替えを済ませて廊下の消毒を終えた私は、申し訳なさそうに服の裾を握りしめている男の子に向き直った。


「大丈夫だよ。でも、我慢しすぎるとお腹が痛くなっちゃうから早めにお手洗いに行こうね」


「……うん!」


 このくらいの年になると言えば分かってくれる子もいる。

 あんなに大声を出されれば萎縮してしまうのも無理はないだろう。


 それからも頼まれた仕事をこなしながら子供たちと遊んでいるとあっという間にお昼ご飯の時間になり、すぐにお昼寝の時間になった。


「あなた、すごいわねぇ。本当にこの仕事初めて?」


 最初に案内してくれたシスターが声をかけてくれた。

 前職なんですよ! とは言えずに乾いた笑みを返す。


 赤ちゃんの泣き声に困り果てていた女性職員たちからの評価も少しは変わっただろうか、と横目で見る。

 しかし、彼女たちの顔には「貴族の娘のくせに」といった感情が見え隠れしているようだった。


「あの子たち普段は好き嫌いも多いし、お昼寝もほとんどしないのよ。それが今日はコテンだもの。すごいわ!」


 それは多分、体力が有り余っているからだ。

 貴族の子とはいえ子供に変わりはない。しっかりと遊んで、食べれば、自然と寝てくれる。

 私にとっては当たり前のことだけど、彼女たちにとってはそうでもないらしい。

 やはり身分の差があると業務にも差し支えてしまうようだ。

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