第69話 ふたりだけの世界②

 ぶつかり合うふたりの熱によって上空には雨雲が次々に発生し、ふたりの戦闘は嵐のように東京の街を駆け抜けていく。


 誰も追いつけない。


 誰も届かない。


 そこにはふたりだけの世界があった。


「期待以上だ! 立花幸!!」


「ちっ!!」


 幸は今や雷でさえも燃やせるようになり、その一撃一撃が確実にヴォルキアの体力を削っていた。しかし、幸は焦っていた。


 常に概念干渉ヴェレンシアを発動させていることによる膨大な魔力消費、加えてつい先刻陥ってしまった崩道ヴェスティアと呼ばれる謎の現象。一つ一つの懸念材料が勝敗に直結し、かつそれらがいつどんな原因で影響を及ぼすかもわからない状態だった。


 それは一寸先も見通せない深い闇の中で岩山の細い稜線を延々と走り続けるようなもの。もしかすれば道が曲がっているかもしれない。すぐ先は崖になっているかもしれない。だが、そんなことを気にしている暇などなかった。


 幸は走り続けるしかなかった。そうでなければ瞬きの間にヴォルキアに屠られていただろう。


(こいつ……くそっ!!)


 ここにきて幸は再びヴォルキアという男の恐ろしさを思い知らされる。


 ヴォルキアの最も恐れるべき点は亜光速に届きうる速度である。それは今までと変わりがない。しかし、長期戦にもつれこむことで初めてヴォルキアの真の強みは顕在化する。


 それは純粋な基礎戦闘能力の高さである。ヴォルキアは単純な魔力量や魔力を用いた身体の強化術などの基礎的な能力が他の師団長たちよりも頭一つ抜きんでている。幸の攻撃は確かにヴォルキアを削っているものの、ヴォルキアの元来の防御力の高さや膨大な魔力量によって魔力の消費量を鑑みると幸の方が削られているような状況だった。


 定量的にどの程度魔力が消費されているか把握していたわけではなかったが、幸は感覚でそれを理解していた。


(このままじゃ……勝てない。どこかでヴォルキアに致命的なダメージを与えないと、良くてジリ貧、最悪また概念干渉ヴェレンシアが使えなくなって即終了。とにかく隙を作るしか……!)


 だがその思考は当然ヴォルキアにも読まれている。


概念干渉ヴェレンシアを使用しているものの、先刻までの勢いは感じない。崩道ヴェスティアを恐れているのか? やはり復活したのは偶然だったようだな。とすればこれ以上手札は増やせまい。大技にさえ気を配れば地力の差で俺が勝つ……!)


 幸が狙っているのは致命的となるような高威力の一撃。しかし、これほどの高速戦闘においてそんな大技を撃つ余裕はない上に、当たる保証などどこにもない。


(何か……何かないのか! ヴォルキアの読みを越えられるような────)


 そう考えていると、幸は戦闘中であったもののふと地上にある大型のスーパーマーケットに目を留めた。


(……!! そうだ!!)


 次の瞬間、幸はすぐさまそのスーパーへ急降下し始めた。


(……!? 何のつもりだ、今更地上へ降りるなど……飛行による魔力の消費を危惧したのか?)


 突然の不可解な行動にヴォルキアはほんの数秒逡巡した。その間に先に降りた幸は入口のガラス製の扉を割って中に入っていた。


(……いや、推し量るだけ無駄だな。どうせ考えなしに動いたわけではないのだろう。)


「見せてもらうぞ、立花幸。」


 そう言うと続いてヴォルキアもスーパーへ降りていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



(さて、降りてはみたものの……ここは何の施設だ? 周囲の建物よりずいぶん大きいが……)


 そのスーパーは家具や電化製品なども扱っているような大型の施設で、中には5メートル以上の大きな商品棚もあった。


(なんだ? 何か音がする。)


 すぐにヴォルキアの耳は異変を察知する。異音はスーパーの中から響いているようだった。幸が音の原因となっていることは容易に想像がつく。


「好きなだけ足搔くと良い。お前が満足するまでな。」


 ヴォルキアは幸とは対照的にゆっくりと歩いて幸が開けた穴からスーパーへと入っていった。


「……! これは……」


 スーパーの中はひどく荒らされていた。ところどころ棚がひっくり返っており、商品はあたりに散らばっている。その衝撃によってスーパーの中には埃が舞っていた。


「攪乱のつもりか? 魔力を感知すればお前の位置など手に取るようにわかるぞ。」


 ヴォルキアはすぐさまスーパー内の探知を始めた。数秒も経たないうちにヴォルキアは幸の位置を捕捉した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




(さすがにガスを充満させるのはきついよな。やっぱりあれしか……くそっ、この辺のはずなのに! なんでこんなデカいんだよココ! 早く探さないと──)


 次の瞬間、崩れた商品棚を突っ切って幸の目の前にヴォルキアが現れた。


「うおっ!!」


「さて、何をする気だ? 立花幸。」


「さあねっ!!」


 幸は近くにあった米の袋をヴォルキアへ投げつけ、逃げるように商品棚の間を走り抜けていった。


「……ふざけているのか?」


 しかし、ヴォルキアにとっては止まっているのと同じぐらいに遅い一撃。当然のようにヴォルキアは回避する。


(おかしい……今、奴は概念干渉ヴェレンシアを解いている。崩道ヴェスティアか? だが、魔力の流れに違和感はない。意図的に解いているというのか……だがそれならッ!)


 ヴォルキアは最高速度で幸に突っ込み、背中に飛び蹴りを食らわせる。


「ぐっ……!!」


 呻き声を上げながら幸は壁に面した棚に吹っ飛ばされた。


「魔力を節約しているのか? ずいぶんと舐めてくれるじゃないか。そんな心持で俺に勝とうなどと……ふざけるのも大概にしろ!!」


 遠くから怒りに満ちたヴォルキアの声が聞こえた。激突した衝撃で激しい耳鳴りが起きていた。


「あー痛って……けほっ…………!!」


 そこで幸はついに探していたものを見つけた。


(あった……ここにあった! やるしかない! これでヴォルキアを仕留めるッ!!)


 そして幸は起き上がるやいなや、そこにあった棚を商品ごと持ち上げ、そのままヴォルキアに向かって勢いよく放り投げた。


(……なんだ、何をしようとしている!?)


 先ほどまで抱いていた憤怒の感情よりも先に、疑念とわずかばかりの恐怖がヴォルキアを包んだ。


(避けられると理解したうえでの攻撃のはず……! 読めない……この攻撃によって何が起こるというのだ!!)


 だが、それらの感情も次の瞬間には溢れんばかりの愉悦へと飲み込まれた。


「面白い……面白いぞ、立花幸!!」


 ヴォルキアはいともたやすく棚を避ける。床に激突したことで商品の袋が破け、周囲に飛び散っていく。


(白い粉……毒物の類か? だが、人体に有害なものならばあのような紙袋に包むのはおかしい。物を投げることに意味があるのか?)


 そう考えているのもお構いなしに幸は次々とヴォルキアへ付近の棚を投げ込んでいく。だが、そのいずれもヴォルキアには命中しなかった。ただただ白い粉があたりに散乱し、ヴォルキアを包んでいく。


「こんなもので────」


 そこでヴォルキアは棚を投げてきた幸の姿がいつの間にか消えていることに気づいた。


(落ち着け。魔力を探知すればすぐにわかることだ。やはり棚を目隠しにしてどこかへ隠れたか。その程度の策なら)


「お前には通じない。」


「……!!」


 幸の声が後ろから聞こえた瞬間、突如ヴォルキアの視界は白く濁った。幸は業務用の小麦粉の袋をヴォルキアに勢いよく打ちつけたのだ。


「ッ……何を!」


「でも、一瞬なら稼げる。もっとも、こっからは賭けだけどな。」


 幸は小さく指を鳴らした。


(……これは!?)


 幸の指から放たれた火花はたちまちのうちに爆炎となって二人を囲んでいく。ヴォルキアは目の前で何が起こっているかが把握できていない様子だった。そのうちに幸はヴォルキアの両腕を掴み、足を踏みつけることでその場に自分ごと固定した。


 これまで、幸はヴォルキアとの接触は攻撃以外の目的では可能な限り避けてきた。理由はもちろん、感電によるダメージを危惧したからである。


(自爆……いや、立花幸の肉体は炎に耐性があるはず。爆発の原因は分からんが、雷さえも焼く炎で俺を包み、無力化を図っていると考えるのが妥当……!)


 単純な膂力で言えば幸とヴォルキアはほぼ並んでいる。振りほどくことに躍起になればそのうちに炎に焼き尽くされてしまうかもしれない。


(……来るッ!!)


 その状況でヴォルキアが取る選択肢はただ一つ。


 最大出力の放電である。


 亜光速の世界に辿り着いたヴォルキアにとっては爆炎などほとんど止まっていると錯覚するほどに遅い代物。本来であれば焼かれる前に容易に脱出できる。


 しかし、同じ世界にいる幸だけはヴォルキアを止められる。どれだけ速く動こうとも幸だけは対応することが出来る。


 ゆえにヴォルキアは感電による気絶や筋収縮を狙うしかなかった。


 ここまでが立花幸の筋書きである。ここから、幸は爆炎がヴォルキアに到達するまでの永遠とも思える時間の中、ヴォルキアの放電を耐えなければならない。


(賭け……か。なるほどな、確信した。正真正銘、これが立花幸の最後の策!! 電撃に耐えきれば奴の勝利、爆炎から逃れれば俺の勝利……か。皮肉なものだ。世界最速のふたりの最後の勝負が……静止状態の耐久戦とはッ!!)


(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! 早く……早く!! うかうかしてたら意識が持ってかれる!! くそっ、いっそ概念干渉ヴェレンシアを……いや、ダメだ。ヴォルキアはその隙を絶対に見逃さない。それだけは、それだけは確信できる。力を抜くな! 睨みつけろ!! こんなもんかよって精一杯の瘦せ我慢をぶちかませ!!)


 常人であれば、その表情は苦痛や恐怖に歪んでいただろう。


 異様な光景だった。


 ヴォルキアは収まらない愉悦によって、幸は悟らせないための虚勢によって、ふたりの顔には狂気じみた笑顔が貼りついていた。




 そして、このわずか3秒後。決着の時は訪れた。





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