第58話 瘴煙

「けほっけほっ……あー煙たい。」


 瓦礫の上でムルカはつぶやいた。


(まだ諦めてはいないか。別にいいけど。)


 ムルカにとって幸以外の人間との戦闘は退屈なものでしかなかった。


 確かに先刻までは緻密に練られていたであろう誠人の策に苦しめられていたものの、それも打ち破ってしまったことでわずかに抱いていた好奇心や興味すらも尽きかけてしまっていた。


 これから始まるのは今際の際の単なる悪あがき。


 それ以上でもそれ以下でもないとムルカは認識していた。


「魔力抜きって考えればよくやった方だよね。」


 口ぶりは穏やかであったが二つの弾痕によって傷つけられたプライドがムルカを静かに駆り立てており、その目には怒りと苛立ちに後押しされた純粋なる殺意が宿っていた。


(少なくとも俺を撃ったあの男……あいつだけは確実に殺そう。他はどうでもいいや。邪魔するようなら殺すって感じでいこう。)


 思考しながらムルカは自分が落ちてきた穴を眺める。


(もう逃げてるだろうなぁ……魔力がないから感知も出来ないし。さてどうしたものか……)


「ねぇ。」


「……ん?」


 誰もいないはずの真夜中のオフィス。暗がりの伽藍堂から聞こえてきたのはくぐもった番の声だった。


 当然ガスマスクを初めて見るムルカは目を丸くしてまじまじと近づいてくる番の姿を観察した。


「へぇ~、君みたいな人間もいるんだね。」


「……顔のことを言っているのならおそらく勘違いしてるわよ。」


「……あぁ、仮面ってやつか。生憎こっちにはそういう文化がなくてね。髪が見えてるから普通にそういう顔なのかと思ったよ。で、何しに来たのかな。君に構ってる時間はあんまり無いんだけど。」


「……そう。それなら一つだけ質問に答えてくれる?」


「……悪いが殺したい奴がいるんだ。逃げられると面倒だからそういう時間かかりそうなものは遠慮させてもらうよ。」


「その殺したい奴っていうのはもしかしてあなたを撃った男のこと?」


「そうだけど。」


「なら安心しなさい。そいつが逃げることはまずないから。」


「……なんで君にそんなことが言えるのかな。」


「簡単よ。そいつはまだ諦めていないから。」


「……犠牲を減らすために一時退却、みたいな作戦はあり得ると思うけど。」


「それならなぜ、?」


「………………」


 番の言葉を聞き、ムルカは落ち着いて状況を分析する。


(こいつは何のためにここにいる……時間稼ぎか? いや、人間一人を残して稼げる時間なんてたかが知れてる。それなら全員で逃げる方がまだマシだよな。まさか……)


 ムルカはある一つの答えに行き着くと同時に、再び強い殺意と怒りをその瞳に宿した。


「気づいた様ね。」


「……ふざけてるのかな。」


「大真面目よ。私はここにいるんだもの。」


「……いいね。先に君を殺すことにしたよ。」


 徹底抗戦。


 それがムルカに提示した答えであった。


「舐められたものだね。勝てると思ってるんだ。」


「あなたこそ、もう勝ったと思ってるのかしら。」


「さっきの作戦以上のものがない限りは────」


 そこまで話したところでムルカは周囲の異変に気付く。


(なんだ? この音……)


 部屋の奥の方から『シュウゥゥ……』と何かが噴き出しているような音が聞こえる。だが、まだムルカの目は闇に慣れておらず、依然として部屋の奥はほとんど見えない状況だった。


「既に何か仕掛けてるってことか。」


「そうね。いくつかは。」


「それなら……!」


 先手必勝とばかりにムルカは一直線に番へ掴みかかろうとする。だが、それを読んでいたかのように番はバックステップで回避した。


(動き出しが早い……反応には自信ありってところか。だが、単純なスピードなら敵うわけがない。もう二、三歩踏み込んでやれば…………!?)


 突如、番の姿がムルカの視界から消える。番につられて前方へ進んだことでムルカは先刻の音の正体を知ることとなった。


(これは……煙?)


 ようやく暗がりに目が慣れ、ムルカはあたりに煙が漂っていることに気づく。


(目くらまし……厄介だな。ただでさえ暗いってのに……いっそあたり一面吹き飛ばすか……)




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 ──番も見たからわかると思うけど、ムルカは結構大雑把、というか適当な性格っぽい。だから、


(初撃は雑、想定通りね。)


 ──初撃を外した場合、二撃目は大規模な攻撃を撃ってくる可能性が高い。


(その前に一発……無茶言ってくれるわ。実戦なんてもう何年もやってこなかったってのに。)


 番は少なからずムルカに対して恐怖していた。


 一挙手一投足を間違えただけで死に直結するほどの脅威。戦場を幾度も経験してきた番でさえも生物としての根源的な生存本能を抑えきることは出来なかった。


(……情けないわね。啖呵切った癖にビビっちゃって。幸くんはずっとこんな奴らを相手にしてきたのよ、死ぬことすら許されない状況で……!)


 竦む足に力を込めて番はムルカに向かって一歩、また一歩と歩を進める。


(私は。私は幸くんほど特別な人材じゃない。探せば代わりはいくらでもいる。)


 そうして一歩ずつ進むうちについに番はムルカを射程範囲に捉えた。


(背後を取った……狙うのは!!)


 全身全霊を込めた番の一撃がムルカへ放たれる。




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