第36話 11月6日② 贖罪と狼煙

「で……どこに向かっているんですか?」


 つかつかと速足で前を歩いているシーマに幸は行き先を尋ねる。


「……近くの河川敷に行こうと思っています。」


 足を止めることなくシーマは答えた。幸がその理由について尋ねようとしたところ、シーマはなおも速歩きのまま話し続ける。


「前に言ったことを覚えていますか。」


「……えーっと、」


「病院でお会いした時です。」


「……あぁ! 何かお願いしたいことがあるって言ってましたね。」


 ロウに敗北した10月27日の夜、別れる前に確かにシーマはそう言い残していた。しばらく幸の心に引っ掛かっていたが、度重なる訓練の日々で頭の片隅へとその約束が追いやられてしまっていた。


「そうです。もう青い炎は出せると言ってましたよね?」


「はい。短時間ではありますけど……」


「十分です。あとでその炎を私に撃ってもらいますので。」


「へぇ~…………えっ?」


 幸は耳を疑った。シーマは確かに『私に撃ってもらう』と言った。その意図もその行為の意味も皆目見当がつかない。


「う、撃つって、シーマさんを攻撃しろっていうんですか!?」


「……端的に言えばそうですね。」


「なんでそんなこと……」


「大丈夫ですよ。確かめたいだけですから。なのかどうか……」


「本物……?」


「気にしないでください。幸さんには……いずれ話せると思います。」


 それ以上シーマは何も語らなかった。気にするな、と言われた手前幸もそれ以上尋ねることが出来なかった。


 幸は今日のシーマの態度にどこか違和感を覚えていた。先刻の発言に限った話ではなく、どこかいつもと違うようなピリピリとした雰囲気をまとっているように思った。


 加えてもう一つ、明確にわかるおかしな点があった。


(なんでシーマさんは『瞬間移動』を使わないんだ……?)


 思えば幸はシーマの歩く姿をあまり見たことはなかった。当然、移動には魔法を使っていたからだ。そのためこの点にいち早く幸は気が付いた。だが、魔法を使わない理由として考えられるのは『魔力の節約』くらいしかないことから、決戦の日に向けて体調管理をしているのだろうと幸は勝手に結論付けた。





 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「……ホントにやるんですね?」


「ここなら延焼の心配はありません。全力でお願いします。」


 二人は河川敷のサッカー場の中央で確認し合っていた。


「もし出来なかったら……」


「そこまで心配する必要はありません。こう見えても私、結構武闘派なんですよ!」


 シーマは自慢げにそう話したが、幸の心配はそう簡単に拭えなかった。


 シーマは『蒼炎装セレストにどれほどの効果があるのか』を確認したいと幸に話した。その実証としてシーマは聞くだけでも危険だとわかるような狂気じみた方法を提案した。


 それは、蒼炎装セレスト状態で幸が火炎放射をシーマへ撃ち、シーマは手にその炎を受けて、ダメージの状態を確認した後に炎を上空へ転移させる、というもの。


 当然ながらタイミングを間違えればシーマは大けがをする可能性もある。そこまでして確かめる必要があるのかと幸は何度もシーマに言ったが、頑なにシーマは『私自身の体で確かめたい』と作戦を変えようとしなかった。


「こんな危ない方法でやらなくったって……」


「敵に攻撃が通じるかどうかは、実際に同じ種族である私のようなサンプルを用いなければわかりません。」


「それは、そうかもしれないですけど……」


「死ぬことはありません。私、本当に強いんですよ?」


 そう言いながら外套と上着を脱ぐと、その下からは深緑色の戦装束に身を包んだシーマが現れた。あまり露出の多い装束ではなかったが、くっきりと引き締まった体の輪郭が見て取れ、ところどころから覗く乳白色の柔肌が薄い月明かりに照らされて妖艶な光を放っていた。


「………………」


 シーマに対して勝手に一国の姫のようなイメージを持っていた幸はその姿がかなり意外で、驚きのあまり凝視したまましばらく口が半開きになっていた。


「そんなに見られると……すこし、恥ずかしいです。」


 幸の視線に戸惑ったシーマは顔を紅潮させる。その一言で正気に戻った幸はすぐに視線をそらした。


 シーマは話を戻す。


「これ自体が証明になるとは思いませんが、一応私も武術の心得はあります。それに危なくなったら私自身が転移することで回避できますので、遠慮なく撃ってください。」


「………………はい。」


 半ば強引に説き伏せられて幸は渋々了承した。


(要は青い炎の威力が分かればいいんだよな。それなら……)


 シーマ自身は遠慮なく、と言っていたがさすがに全力の火炎放射を浴びせることには抵抗があったため、幸は出力を調節して炎を撃つことに決めた。


「……それじゃあ、私が手を上げたらお願いします。あっ、でも出来れば『飛閃』は止めてもらえますか?」


「やりませんよ!」


「そ、そうですよね、すみません。それでは……」


 そう告げてシーマは走り始め、幸から15メートルほど離れた場所で止まった。

 その後ピンと天に向かって右手を上げ、大声で「お願いします!」と合図を出した。


「ふぅー……」


 出来る限り火力を出さないよう、精神を落ち着かせてゆっくりと体温を上げていく。

 やがて幸の体は赤い炎に包まれ、時間が経つにつれてだんだんと炎が白く染まっていく。


「…………ッ!!」


 その状態から一気に出力と体温を上げることで体中の炎は空色の淡い青へと姿を変える。


「なんて美しい……」


 その様子を見てシーマの口から思わず感嘆の声が漏れてしまう。車どおりや街頭の少ない暗夜の背景がより一層その蒼を際立たせていた。


「……行きますよ。」


 燃え盛る蒼炎の中、幸の瞳はシーマを真っすぐにとらえ、その腕は既に攻撃態勢に入っていた。生唾を呑みつつも、シーマも右腕を突き出して炎を受ける体制に入る。


「いつでもどうぞ……!」


 こわばった表情で精一杯笑顔を作りつつ、シーマは幸に攻撃を促す。


「…………はっ!!」


 気合の声と共に幸の右手から蒼い爆炎が放たれた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「シーマさん! シーマさん!!」


「だ、大丈夫ですよ。ちゃんと飛ばしました……から……」


「でも……手が……!」


「はい、凄まじいですね。もう少し遅れていたら……危なかったでしょう。」


 結果から言うと、作戦は成功した。

 幸の炎を受けたシーマは服や他の部分に燃え移る前に炎を転移させることに成功し、そのダメージは最小限に抑えることが出来た。だが、一瞬とはいえ幸の青い炎に触れたシーマの右手は酷い火傷になってしまい、さらに炎の転移に魔力を使い過ぎたのか、転移の直後にシーマは力なく倒れてしまった。


「やっぱりこんな方法、無茶だったんですよ……」


「……いえ、私は大成功だと思います。この傷も含めて……」


「そんなことより、早く冷やさないと……!」


「いいんです。これで……」


 シーマは倒れた自分を川に連れて行こうとしていた幸を制止した。


「いやでも、すぐに処置しないと!」


「……すみません。幸さんには少しだけ、黙っていることがありました。」


「……?」


「私の目的は一つじゃなかったんです。」


「目的って……」


、それ自体が一つの目的だったんです。」


「な、なんでそんなこと……」


「罰、ですよ。私たちへの。」


 続けてシーマは幸へ語り続ける。


「私たちがあの日、もしも……もしも出会ってなかったなら、幸さんの両親は今も……」


 そこまで話したところでシーマの瞳から大粒の涙がこぼれ始めた。


「私は、私たちは既に、一人の命を奪って、一人の命を危険にさらし、一人の人生を犠牲にしました。明後日から先は何人の命が失われるかもわかりません。」


「………………」


「そんな中でどうしてのうのうと生きられるでしょうか。出来ることならあなたの炎で焼かれてしまいたい。でも、私にはまだ役目があります。それを全うするまで死ぬわけにはいきません。この傷と痛みはせめてもの罰なのです。だから治さないでください。そして、。」


 ずっと、ストラの襲撃時からシーマの心には罪悪感が重くのしかかっていた。その気持ちは幸と会うたびに膨れ上がっていき、今この瞬間涙と共に一気に流れ出てしまった。


「………………」


 幸は無言で泣きじゃくるシーマと火傷を負った右手を見つめる。

 そしておもむろにシーマを抱え上げ、川へと一直線に駆け出した。


「……!?」


 体が浮き上がる感覚、シーマは一瞬何が起こったのか理解できなかった。やがて自分が抱きかかえられていることに気づく。


「幸さん!? いいんです! 放してください!」


「嫌です!!」


「えぇ!?」


 きっぱりと言い放った幸に対し、シーマは戸惑いが隠せなかった。

 川へ到着すると幸は即座にシーマを下ろし、その右手を流水で冷やし始める。半分冬のような秋の川は非常に冷たく、瞬く間にシーマの右手から熱を奪っていった。

 そのままの様子で幸は話し始めた。


「僕は何度も言いました。シーマさんのことは恨んでないって。」


「でも……」


「でももだってもないです。シーマさんは悪くありません。それは僕が一番よく知ってます。」


「………………」


「許す許さないの問題じゃないんです。元々シーマさんが悪いと思ったこともない。むしろシーマさんが傷つく方が僕は嫌です。」


「幸さん……」


「もう二度と、こんな無茶はしないでください。」


「すみま……」


「謝罪も要りません。その代わり、感謝は有り難くもらいます。」


 そう言って幸はにこっと笑ってシーマに振り返る。

 その笑顔を見てシーマは再び涙があふれだした。


「はい……ありがとうございます。」





 かつてのチベットの宗教指導者、サキャ・パンディタはこんな言葉を残している。


『貴人はたとえ不幸に見舞われようとも、行いはことのほか高潔である。火はいくら下に向けても、炎は上に燃え上がる。』





 右手の痛みはすでに感じなくなっていた。



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