第24話 10月28日① 修行開始
道場の中に入ると柔らかい木の香りがほのかにした。
幸は高校のときの剣道大会で何度か学校の道場に足を運んだことはあったが、その時は男子高校生たちのむさくるしい汗と申し訳程度の消臭剤のにおいが驚異的なハーモニーを奏でており、思い出すだけで虫唾が走るような臭いが充満していた。
対照的な優しい香りに幸は少し拍子抜けしてしまった。
「どうかしたの?」
「いえ! 何でもないです。」
「そう。それじゃああっちの部屋で着替えてきて。私その間に準備しておくから。」
「分かりました。」
幸は番が指した部屋に入り、運動着へ着替える。
そこは20ほどのロッカーとベンチがおいてある典型的な更衣室だった。
(準備って何の準備だろうな…? 誠人さんは『楽しみにしといて』としか言わなかったし…)
そんなことを考えているうちに着替え終わった幸は、荷物をロッカーにしまって足早に部屋を出た。扉を開けるとそこには道場の真ん中で防具と短い木の棒のようなものを用意している番がいた。
「あら、早かったのね。いいわ、始めましょうか。」
そう言って番はまず二つの木の棒を持って幸に手渡す。多くの人は見たことがないものかもしれないが、警察もののアクション映画にも精通している幸には(実際に使用した経験は皆無だが)とても馴染みのあるものだった。
「これって…」
「そう、トンファーよ。聞いたことくらいはある?」
「映画の中でだけですが…」
「十分よ。何となくどんな動きをするものかはわかるでしょ。」
「い、一応は…」
確かに映画の中でいくつか戦闘シーンを見たことはある。主演の俳優も相当な武道家で極めてリアルな格闘を繰り広げる映画も何本かあった。だが、その記憶も少し曖昧になっており、加えてその格闘技術を自分のものにするとなると一気に幸の中の自信が薄れていった。
「まぁどちらにせよ、基礎から教えていくけどね。もし合わなかったら普通に空手を教えるつもりだから気楽にね。」
気楽に、と番はフォローしたが時間がない現状で一日を無駄にするということは甚大な損害になりうるため、出来るだけ早く覚えようと幸は気合を入れた。
だがここで一つの疑問が幸の中に沸く。
「あの…そういえば…」
「…? どうかしたの?」
「なんでトンファーをやることになったんですか?」
「…発案は誠人で、詳しくは私も伝えられていないけど…いろいろ理由は考えられるわ。まだ教えないけど。」
「えっ」
そこまで言って番はいたずらっぽく笑った。時間がないこの状況下でそのような遠回りをする意味が分からず、怒りの感情が幸の中に湧いてきてしまう。
「もうそんなに時間はないんですよ!? 教えてくれてもいいじゃないですか!」
「焦らないで。別に意地悪してるわけじゃないの。自分で学んでいくうちに強みを理解していくのも結構大事なのよ。」
「でも…」
「大丈夫。これはきれいごとで言っているわけじゃないわ。体で覚えたものはそう簡単には忘れられない。実戦で使うためにはそうやって知識を刷り込んでいく必要があるのよ。なんせ言われたことを思い出しながらフルスペックで戦うなんて一流の格闘家でも不可能なんだから。」
「それは…そうですけど…」
「四の五の言わずにやってみましょう。君くらいの戦闘センスがあれば多分そう遅くないうちに理解できると思うわ。」
「……………」
幸の中では100%納得がいったわけではなかったが、番の言うことにも一理あると思い、ひとまず番の言葉に従うことにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あまり有名な武具ではないため、一応ここでトンファーの説明をする。
トンファー(旋棍)とはもともとは沖縄の琉球古武術において使用されていた打突武器兼防具で、現代の欧米では警棒としても採用されている。
見た目はおよそ45センチメートルの長さの棒の片方の端近くに、握りになるよう垂直に短い棒が付けられている形状をしていて、二つ一組で両手に持って使うことが基本とされている。
攻防一体の武具で、強く握って構えれば堅固な盾となり、そのまま打突をすれば強力な矛ともなる。また、持ち手を少し緩めに握ることで棒全身を回転させて攻撃する、などの多彩な攻撃が可能であることも特徴として挙げられる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「トンファーの攻撃方法はいろいろあるんだけど…一番基本的なのは打突ね。」
「握ったまま突く感じですか?」
「そうそう、でもこれは簡単だから一旦飛ばして、最初は棒を回す感覚を覚えてもらうわ。片方貸して。」
促されるまま、幸は左手に握っていた片方のトンファーを番へ手渡した。
「重要なのは握る力の調節。ちょっとこっち来て。」
番は道場の隅にあるサンドバッグへと幸を誘導する。
「よく見ててね。」
そう言って番は手慣れた雰囲気でトンファーを回しながら腰を落として構えた。
静寂の中、トンファーが空を切る音だけがあたりに響く。
数秒ほどそんな時間が流れた後、番が踏み込みながらトンファーを回転させて棒の長い方の部分をサンドバッグに打ち付けた。するとドンッという鈍い音とともにサンドバッグが大きく揺られた。
「すっご…」
「ふふっ、ありがと。」
思わず声が出ていたことに気づき、幸は少し恥ずかしそうに照れ笑いをした。
「今みたいな回す攻撃で覚えとかなくちゃいけない点は『流れない』ということよ。」
「『流れない』…?」
「普通の感覚だと思いっきり流れに任せて回し抜いた方が強そうに見えるでしょ?」
「まぁ…そうですね。」
「うーん、例えが難しいんだけど、タオルとかも叩くときに振り抜くよりも叩く瞬間にちょっと引いた方が威力が高い…みたいな感じ分からない?」
「あぁ! なるほど! それなら結構ふざけて同級生とかとやってました!」
「それと原理としては似てるわね。基本的に回している間はずっと緩く握っておいて、相手に当てる瞬間だけ強く握るの。」
「間合いとタイミングが大事ですね。」
「そうそう。それじゃまずは180度きっちり回す練習から始めましょう。この感覚がつかめれば短い方を前に出す状態と長い方を前に出す状態を瞬時に入れ替えられるようになるわ。打ち出すときの止めるタイミングの参考にもなるからちゃんと体に覚えさせてね。」
「はい!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
午後4時、夕日が沈みかけてきたころに誠人は道場へ到着した。
「おっつー!! 元気してますかー?」
「誠人さん!」
「ずいぶん遅かったわね。」
「まぁまぁそう言わず。いろいろ収穫はあったからさ。」
「…聞かせてもらいましょうか。幸くん、続けてていいわよ。」
「はい!」
幸がサンドバッグへトンファーを一心不乱に打ち付けている間、誠人と番は道場の入り口で今日の進捗を報告しあった。
「…それで収穫って言うのは?」
「昨日の話を伯父さんに共有してやっとこさ各方面の協力が仰げることになったんだ。あとは今日明日にでも避難勧告を出すらしい。」
「まぁ妥当ね。怪獣の一件があるし、普通の人間なら避難してくれるでしょう。」
「それと伯父さんの口添えのおかげで俺も作戦会議に参加させてもらえることになった。」
「それは…どうでもいいけど。」
「ちょっとくらい喜んでおくれよ。あそうそう、通常兵器をどんな感じに運用していくかは防衛省のお偉いさんたちと相談して決めていく感じになったよ。」
「その単位で動くなら…」
「戦車出動ってことも全然あるだろうね。」
「あとは空からの支援が欲しいわね。」
「その辺も問題ないよ。逐一被害状況とか敵の人数とかを報告できるように東京全土にヘリを向かわせるって話にまとまった。」
「そんなことされたらマスコミも商売あがったりでしょうね。」
「いやいや、これはマスコミ側からの提案だよ。」
「…きちんとリスクの話はしたの?」
「当然。それでも状況説明とか伝達能力に関しては自分たちの方が長けてるからって言って引き受けてくれたんだ。」
「案外根性あるやつもいるのね。」
「会議にも参加してくれてた人たちだからね。普段はくっだらないゴシップとか取り上げてても根っこの部分には正義があったりするもんさ。」
「性善説はあまり信じないたちなんだけど。」
「ま、幸くんの働きも大きいかもね。自分の子供と同じくらいの子が皆のために戦っているんだもん。まともな神経なら逃げられないよ。そんなの見せられちゃ。」
「…そこについては否定しないわ。」
「それはそうとして…幸くんはどんな感じなの? 結構ぶんぶん振り回せてるし合ってるんじゃない?」
「あまりこの言葉を使うのは好きじゃないんだけど…端的に言うなら天才よ。」
「…マジかい。」
「トンファーの回転具合って最初の方は回しすぎちゃってうまくいかないってことが多いんだけど、ちょっとやったらタイミングはすぐつかめてたわ。」
「俺とどっちが才能あるぅ?」
「僅差だけど…ギリギリ幸くんじゃないかしら。」
「…真面目に返されるとむしろへこむんだけど。」
「今の感じなら明日あたりから対人の訓練を始めてもいいかもね。あなたも来る?」
「うん、明日以降は参加できる日が多いかな。幸くんの経過観察を任されちゃってね。」
「よかったわ。多人数戦闘も教えたかったから。」
「なるほど。そんじゃ大里さんも呼ぼうか。」
「……大里って誰だったかしら?」
「俺の先輩で今は一応部下なんだけど…面識なかったっけ?」
「うーん…ごめんなさい、たぶん無かったと思うわ。」
「あれま。大里さんは覚えてたんだけどな。番は冷たいね~」
「……私あんまり特徴のない人だと結構忘れちゃうのよね。大里さんには申し訳ないけど。」
「あー確かに…それは一理あるな~」
「顔見たら思い出すかも。とりあえず明日呼んでみて。」
「りょうかーい。連絡しときまーす。」
明日の予定をある程度決めて二人は会話を切り上げる。
「幸くん、いったん休憩にしましょう。」
「いえ…まだ全然いけます!」
「休憩も訓練よ。とりあえず10分休みなさい。」
「……はい。」
少し不安そうな顔をしていたため、誠人は柔らかい口調で幸を落ち着かせる。
「体力が上がってても確実に疲労は溜まってくからね。1日目でそこまで打ててれば焦る必要はないよ。」
「…ありがとうございます。」
「今日は午前中からやってるし、基礎はほとんど出来てるからもう上がってもいいと思うけど…」
「いえ、やらせてください。」
「…おし! いいこと考えた。」
誠人は何かひらめいた様子だった。
「番、もう一対くらいトンファーってある?」
「…そういうことね。明日にするつもりだったけど、まぁいいでしょう。」
「あんがと! そんじゃ幸くん俺といっちょ手合わせといこうじゃないか。」
「えぇ!?」
いきなりの発言に幸はひどく驚いた。確かにランニングの時から誠人の身体能力の高さは感じていたが、まさかトンファーまで使いこなせるとは思っていなかった。
番は道場の倉庫らしき場所から少し埃のかぶった一対のトンファーを持ってきた。
「俺は番の一番弟子だからね。当然心得はあるさ!」
「弟子にしたつもりはないんだけど?」
「じゃあ勝手に師匠にさせてもらいますぜ!」
「…幸くん、全力でやって構わないわよ。思いっきりこめかみに打ち付けなさい。」
「えぇ…」
「悪いけど幸くんの強さは知ってるからね。俺もあんまり手加減はしないよ?」
「手加減が下手なだけでしょ。」
「する機会がなかったもんでね!」
軽口を叩きつつ、誠人はトンファーをクルクルとまわして使用感を確かめていた。
(本当に誠人さんと戦うのか…俺…)
幸は少したじろいでいたものの、自分の訓練の成果を出したいという気持ちも少なからずあったため、すぐさまトンファーを握って組手の準備をした。
番は二人の間に入って注意事項を説明する。
「大けがになったら元も子もないから局部への攻撃は禁止よ。」
「了解。」
「わかりました。」
「あと…燃えたらまずいから幸くんは発火能力なしでお願い。」
「はい、大丈夫です。」
「…そろそろいけそう?」
「うん、だいぶ勘が戻ってきた。」
「それじゃあ早速始めましょうか。二人とも二歩下がって。」
指示通りに二人は後ろへ下がる。
「オッケー、その辺でいいわ。」
「あ、そういや勝ち負けみたいなのってどう決める?」
「ライトな感じにしたいから足の裏以外が床に付いたら負けってことにしましょう。」
「なる。相撲みたいな感じね。」
「幸くんは何か質問ある?」
「いえ、特には。」
「誠人ももうない?」
「オールオッケーよ。」
「そう。じゃあ始めるわよ。」
そこまで言った後、番は合図のために右手を高く上げた。
「いざ尋常に……」
少しの静寂。やがて幸と誠人の集中が研ぎ澄まされていることを確認した番は右手を素早く振り下ろす。
「始め!」
番の声が道場中にびりびりと鳴り響いた。
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