第22話 10月27日④ 蒼い静寂

(やはり…まだ素人の域は出ないか…)


 一直線に突っ込んでくる幸を見ながら、ロウはそんなことを考えていた。

 確かにただ一直線に突っ込む、という攻撃方法は極めて単純であるため見てからでも対応しやすく、反応速度を大幅に超えるスピードがなければまず有効打にはなり得ないだろう。

 だがそれはの話である。


「なめすぎだ…!」


 余裕そうにつっ立っているロウを見て幸は自分の作戦が感づかれていないことを確信した。すぐさま両手に熱を集め、勢いよく発火させる。

 ボッ、と炎が噴出された次の瞬間、幸の体は前方へと飛び出した。


「……!」


 炎による加速後の速度もロウが反応できないようなものではなかった。

 しかし、途中で速度が変わった場合、加速前の速度に合わせた反撃をしようと体が備えてしまうため、とっさに変わった速度に体がついていかず、結果として反応は幾分か遅れることとなる。


「食らえ!!」


 ロウの油断もあり、幸は完全に意表を突いていた。

 加速によって飛び上がったそのままの勢いで全力の殴打をロウの胴体へ叩き込む。


「ぐっ…!」


 と小さく呻き声を発した後、ロウは後方へとすっ飛んでいった。


(よし…手ごたえありだ!)


 殴り飛ばされて倒れたロウを見て幸は攻撃が成功したことを確認した。

 だが、ロウが分厚い鎧で身を包んでいたこともあり、この一発だけで死んだということはさすがにないだろうと思ったため、依然として幸は距離を詰めずに臨戦態勢を維持していた。


「ふぅ~…」


 低血圧そうなため息をしながら、ゆっくりとロウは起き上がる。


「さすがに驚いたな。ストラとの戦いから一週間もたっていないだろうに。」


(…クソッ!)


 そう簡単にはいかないと覚悟はしていたが、あまりダメージを受けていなさそうなロウを見て少しばかり幸は落胆した。


「あんな技をどこで身に付けたのだ? 鍛錬の時間などあまりなかっただろう。」


「…今初めてやったよ。なんとなく出来ると思ったからな。」


「…!!」


 その言葉を聞いた瞬間、ロウの顔色が変わる。


「…やはり、というべきか。腐っても…いや、見くびるべきではないな。」


「…?」


 ロウの言葉の意味が分からず、幸は困惑する。

 ロウの顔からはまるで何か恐ろしいものを見るかのような畏怖の感情が読み取れた。


「まぁ今はいい。なかなかに良い一撃だったぞ。」


「チッ…!」


 ロウは大きくへこんだ自らの鎧を見ながら幸の殴打を称賛した。その余裕が幸の怒りを煽る。


「すまないな、少し見くびっていた。戦いに関してはもっと素人だと思っていたが…さすがは『炎の継承者』だ。」


「『炎の継承者』…?」


「ん? あぁ、気にするな。貴殿には関係のない話だ。それよりも…」


 再びひどい有様となった己の鎧を見てロウはつぶやく。


「ふむ…貴殿の攻撃に対しての強度は期待できなさそうだな。良い情報が得られた。感謝する。」


 そう言いながらロウは鎧を脱ぎ始める。

 当然、『鎧を脱ぐ』という行為は敵を前にするようなものではない。


(俺と戦ってる最中だろうが…!)


 おごりともとれるその行動が引き金となった。

 ロウがへこんだ胴体部分を脱ごうと手をかけた時、再び幸は全速力で突っ込んでいった。

 鎧を着脱している間は鎧を脱ぎ終わったときよりも攻撃への対応が難しくなる。着脱途中の鎧がつかず離れずといった距離感で体にまとわりつき、普段通りの動きができなくなってしまうためだ。幸もその瞬間を狙って攻撃を仕掛けた。

 それにもかかわらず、突っ込んでくる幸を目の前にしてもロウは構えようともしない。まるで戦いが終わった後かのように平然と鎧を脱いでいる。

 幸は先刻使った炎による加速をあえて使わなかった。加速を見せている今の状況ならばブラフとして使うほうが効果的だと考えたからだ。

 しかしそんな工夫もむなしく、ロウが何の対応もしなかったことで幸は簡単に間合いの中へ入ることができた。


「馬鹿にすんな!!」


 そう叫びながら幸はロウの顔面に向かって炎をまとった全力のパンチを繰り出す。

 手にぶつかる肌の感触。完全に拳が入ったと幸は思った。

 だが、実際はロウの右手によってすんでのところで拳が止められていた。


「なっ…」


「着脱中を狙うのはいい判断だ。容赦がなくて非常にいい。」


 幸は酷くショックを受けていた。思い返せば今までの戦いで炎をまとった幸の攻撃がノーダメージで受け止められたことなど一度もなかった。己の最大の武器を片手で易々と止められたという事実は幸の精神に重々しく響いた。


「ふぅ~…やはり炎ともなると少し熱いな。」


「クソッ…離せ…!!」


 ロウは幸の燃える拳を握ったまま話し続ける。


「離したらまた攻撃するだろう。せめて脱ぎ終わるまでは待ってくれないか。」


「知るかよそんなの!!」


 すぐさま幸は空いている左手でロウの顔面を殴ろうとした。

 そのとき、幸の中にある違和感が芽生える。


「な…なんだ…これ…」


 違和感。なぜか、何かがおかしくなっているような気がする。

 だが、その感覚を幸は知っている。ただなのだ。

 その正体に気づくまで、そう長い時間はかからなかった。


「……つめたい……?」


 体中に熱がほとばしる幸でさえも感じるような強い冷気。それは幸の右手、正確に言えば幸の右手を握るロウの手から発せられていた。


「う……あ……」


 おそるおそる幸が己の右手を見てみると、そこには大きな蒼い氷塊があった。

 そしてその中には冷気によって変色している幸の右手が彫刻のように収められていた。


「ぐああああああっ!!!」


「幸くん!」


 強烈な冷気によって麻痺していた痛みが一気に幸に襲い掛かる。その一部始終を見ていた誠人が痛みに苦しむ幸に駆け寄ろうとする。

 だが、それをさせまいとロウはいくつか氷柱つららのような細い氷塊を空中に生み出し、誠人の前方の床に向かって横一線に並べながら突き刺した。


「少しばかりおとなしくしておいてくれ。」


「ぐっ…お、お前…」


「無駄口をたたいている暇があると思うなよ。私の氷はこの世界の氷とは一味違うぞ。」


 そのことは食らっている幸が一番よくわかっていた。

 摂氏零度で出来る水を固めただけの氷ならば発火している幸の体にまとわせることも、一瞬で変色させるほどのダメージを負わせることもできないだろう。

 ロウの氷はそれよりも異常に冷たく、硬かった。


「くっそ…!」


「こんなものでお前の右手を奪うつもりはない。氷の内部から炎を起こしてみろ。」


「な、内部から…?」


 敵の言葉ではあったが他にすがるものもそれを探す余裕もなかったため、ロウに言われた通り右手から火を起こしてみる。

 すると氷の中の右手がだんだんと色づいて生気を取り戻していき、手の周りの氷から段々と解けていった。


「はぁ…はぁ…」


「まぁ『灸をすえる』というやつだ。今回はずいぶんな灸だったが。」


 右手の氷をやっとの思いで解いた幸はロウのそんな冗談を聞く余裕など全くなかった。


(あんなのを戦闘中に使われたら…)


「さて、手合わせ再開といこうか。」


 鎧をすべて脱ぎ終わったロウは肩を回し、首を鳴らし、すぐさま臨戦態勢に入る。


「くっ…」


 痛みによってへたり込んでいた幸も立ち上がり、構えに入る。


「…弱い者いじめはあまり好きではないのだがな。」


「……………」


 ロウの反撃によって圧倒的な実力差を感じた幸はその挑発に言い返すことができなかった。


(単純な実力差はしょうがない。持ってる手札で勝ち筋を探すんだ…!)


 半ば無理やり自分を奮い立たせ、幸はゆっくりと近づいてくるロウに反撃するため、再び拳に炎を灯した。






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