第19話 10月27日① (警察)学校へ行こう!

「よし、行くか。」


 焼肉屋での作戦会議の翌日、午前十時。幸は警察学校へ走って行くためジャージに着替えてホテルのロビーまで降りてきていた。体調は特別良くも悪くもなく普通といった感じだった。昨日言われた通りにランニングウォッチを左手に着け、幸は走り始めた。細かい息を繰り返しながら時計の数字が二十になるよう速度を調節していく。


「これくらいだと…十五キロか。もう少し上げないと。」


 実のところ、幸は今回の能力測定に多少の不安があった。というのも幸は中高通して吹奏楽部だった生粋の文化系男子であり、このような体力測定を体育の授業以外ではろくにしてこなかった。もし力を授かったにもかかわらず一般の運動部男子と同じような身体能力だったとしたら誠人たちは失望するだろうか、という卑屈な思いも頭をよぎった。だが一方自分の限界を知りたいという純粋な好奇心もあったため、依然として高いモチベーションを保つことはできていた。


「十八…十九…二十…。このペースを維持すればいいんだな。」


 幸は時速二十キロがどれくらいの速さなのかいまいち基準がわからず、昔長距離走をやった時よりは速くなってるな、くらいにしか思っていなかった。炎の温度にも耐えられる幸にとってはその速度を維持することはそこまで難しくなく、地図を見ながら無心に走っていると三十分ほどで警察学校までたどり着くことができた。


「ふぅ…えっと、逮捕術道場…に行けばいいんだよな。」


 学校の上面図を見て道場の場所を確かめる。


「うっわ…やっぱり結構大きいな…。えー…あっ! あったあった。」


 幸はすぐさま逮捕術道場へ向かおうとするが、そこで背後から自分の名を呼ぶ声が聞こえることに気づいた。


「幸くーん! おはよー!!」


「えっ…? 誠人さん!?」


「いやー…やっぱり僕もなまったね。さすがにきついや。」


 ランニングウェアで幸の後から校門に入ってきた誠人は元気そうな幸とは対照的に滝のような汗をかいており、ひどく息が切れていた。


「ふぅー…やっぱり力は本物みたいだね。疑ってたわけじゃないけどやっぱすげーわ。」


「あの…大丈夫ですか?」


「大丈夫大丈夫。ちょっと疲れただけ。そんじゃ道場に行こうか。」


「はい…」


 フラフラな足運びで押したら倒れてしまいそうなほどに疲弊している誠人を見て幸は心配になりながらも言われた通り道場へ向かった。


 道場に到着すると一人の女性が不貞腐れた様子で待っていた。

 道場に入ってきた二人を見て女性が話し始める。


「遅い。集合時間過ぎてるじゃない。」


「いやーごめんごめん。ちょっと体がなまっててさ。過信してたよ。」


「馬鹿ね。時速二十キロを三十分も維持するなんて…慣れてない状態でやればあんたでも体壊すわよ。」


「実際マジ危なかったわ。最後の三分くらいはグロッキー状態だったし。」


「ほんと馬鹿…」


 明らかに無茶をしている誠人を見て女性はほとほと呆れているといった様子だった。


「まぁ発見もあったから許してよ。」


「あの…この方が…?」


「あぁ、初対面だもんね。ほら、自己紹介してあげて。」


「なんであんたが指示すんのよ…。まあいいわ。ばん 京香きょうかよ。よろしくね。」


「立花 幸です。よろしくお願いします。」


「君のことはこの馬鹿から昨日のうちに色々聞いたわ。メンバーの話もね。欲を言えばもっと早くに言ってもらいたかったけれど。」


「今回に関しては緊急だったからね。実戦を経験している人はそう多くはいないし、番に頼まざるを得なかったんだ。」


「でしょうね。それを断るほど野暮じゃないわよ。ちょうど暇だったし。」


「ちょうど? いっつも暇だr…」


 誠人がそこまで言いかけた次の瞬間、「ドンッ!!」と床を踏み鳴らすような音が聞こえたかと思うと、誠人の股間のすぐそばに番の固く握られた拳が"現れた"。おかしな表現かもしれないが、少なくとも幸の目にはその空間にいきなり拳が現れたようにしか見えなかった。


 血走った目で番は誠人を睨みつける。


「もしまたそんな笑えない冗談を言ったら…その穢れた玉を吹っ飛ばす…!」


「そんなに気にしてたなんて知らなかったんだよ!!」


「安心しなさい…介錯はしてあげるわ。」


「…………はい。そんときはお願いします…」


 会話の内容は他愛のないものだったかもしれないが、その一瞬の身のこなしで番がただものではないことを幸は確信していた。


 誠人の本気でおびえた顔をまじまじと見た後、番は拳を収めた。


「…それで、さっき言ってた発見っていうのは?」


「あぁそうそう。俺、幸くんの後ろをついていく感じで走ってたんだけどさ、幸くん全くペースが落ちなかったんだ。しかも今見てわかる通り全然息も切れてない。」


「!?」


 それを聞いて番はひどく驚いた様子だった。


「ちょっと待って…この子も時速二十キロで三十分走ってたっていうの?」


「そうだよ? 昨日言ったじゃん。」


「アンタ『時速二十キロでどのくらい走れるか、明日参考がてら計測してみるわ』としか言ってなかったじゃない!」


「え? ちゃんと言ってるじゃんか。」


「アンタの記録を参考にして"今から"走らせるのかと思ってたのよ!」


「あー…」


「それが同時計測しててしかも息も切れてないですって…? ありえないわ…」


 誠人の言ったことには嘘がなく、特別誤解を生みやすい言い方だったわけではない。だが、汗だくになった誠人と平然としている幸が道場へ入ってきたところを見れば、番のように推察するのは極めて自然だと言える。


「あの…僕あんまりよくわかってないんですけど…普通の人だったら時速二十キロでどのくらいの時間走れるものなんですか?」


 話についていけなくなってきた幸が問いかける。


「…正直時間ではあまりわからないけれど、一般の市民ランナーなら五キロの距離を時速二十キロで走る事が出来ればほとんどのレースではまず負けないレベルになれるわ。時間で換算すると15分ってところね。オリンピックに出るようなアスリートならその速度でフルマラソンを走りきることも可能よ。フルマラソンの距離で時間換算すればおよそ二時間だけれど、最初の三十分で汗もかかず息も切れてないあなたならおそらくこれもそこまで難しくないと思うわ。ちなみに君って部活動は何をやってたの?」


「中高どっちも吹奏楽部でした。長距離走は体育以外では全然…」


「ならあなたの能力の異常さがよりわかるでしょう。特に訓練もしてこなかったにもかかわらず、君は一流アスリートと同等かそれ以上の心肺機能を手に入れてしまったのよ。」


「えぇ…」


 身体能力の向上度合いが想像以上だったため、幸は全く実感がわかなかった。


「まさか、ここまでだったとはね…。さすがに驚かされたわ。まぁ喜ぶべきことなんでしょうけど。」


「な! 心肺機能一つとってもこれだぜ!? 他の身体能力もぶっ飛んだ数値になるだろうよ!」


「えぇ、でもこんな人間がいると知れたら世界中が大変な騒ぎになるわよ。」


「…今回ばかりはしょうがない。被害を受けてしまった人もすでにいるわけだから。隠しておく方がむしろ危ないだろう。」


「…大変になりそうね。いろいろと。」


「今に始まったことじゃないけどね。ま、幸くんはすっごい強いから拉致られる心配とかはしなくてもいいと思うよ!」


「そういうのだったらまだいいんだけど。」


「あとは人の善性を信じよう。まだまだ捨てたもんじゃないかもよ?」


「……私たちもただの人間だものね。悩んでても進まないし、今は置いておきましょうか。」


 幸は二人の会話を聞いて自分が軍事利用される可能性に対して不安と恐怖を覚えていたが、番の言葉通り今それで悩んだとしても事態が改善することはないため、喉元まで出かかっていた弱音を飲み込んだ。


「さて! 湿っぽい話になっちゃったな。とりま、測定に入ろう!」


「…あんたみたいに能天気なのもどうかと思うけどね。まぁ一理あるからよしとしましょう。」


 そう言いながら番は幸の方に向き直る。


「それじゃあ幸くん、次は敏捷性の計測に入りましょう。」


「び…敏捷性、ですか。」


「普通に反復横跳びをしてもらうだけよ。ここからは昔ながらの身体測定フルコースだから最後まで集中して頑張ってね。」


「はい…」


 小学校のころから何度も行ってきた身体測定。正直、幸にとっていい思い出ではなかった。ほとんどの記録が平均を下回ってしまう文化部男子の宿命にあらがえず、高校まではいわゆる運動があまりできないひ弱な男子として体育の時間を過ごしていたからだ。

 それらの苦い思い出を払拭したいという気持ちで幸は身体測定へと入った。


 …ドーピング以上の強化をしている現状で幸がそこまで晴れやかな気持ちになれるかは定かではない。




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