第18話 10月26日③ 夕食

「さてと、何食べに行きますかねー。」


「一応幸くんも成人はしてるみたいだし、飲み屋という手も。」


「うーん…にぎやかなのはいいんですけど、あんまり酒は入れたくないっす。」


 警視庁を出て三人(実質は大里と誠人の二人)は車内で行き先を決めていた。

 相談の結果焼肉屋に行くことになり、大里はエンジンをかけ、車を発進させる。


「でもなんでいきなり食事なんかに誘ったんだ?」


「そりゃもちろん時間がないからですよ。大里さんも聞いてたでしょ、あの怪文書の話。」


「あの文書が本物なら襲撃まで二週間もないってことになるからな。あくまで本物だったらの話だが。」


「本物ですよ、まず間違いなく。そうだろ? 幸くん。」


「…僕はそうだと思います。」


「シーマさんがわざわざ俺たちに警告してきたんだもんな。ほんっとお偉いさんたちは頭が固くて困るよ。」


 やれやれ、といった様子で誠人はため息をつく。


「蛯名さんは…」


「誠人でいいよ。紛らわしいし。」


「…誠人さんはシーマさんの存在を信じてるんですか?」


「そりゃもちろん。というか僕は君を信じてるだけさ。信頼してる人間が信頼してる人だったら信頼するのが筋ってもんだろう。」


 信頼している、と言われて嫌な気持ちになる人間はほとんどいない。だが、幸にはどうにも不可解な点があった。


「えっと…誠人さんって僕と面識ありましたっけ…?」


「いや全く。」


 二人は今まで一度も会ったことがなかった。ましてや人柄など知る由もない。

 そんな人間から信頼していると打ち明けられても嬉しいよりまず疑念が湧いてくるのは当然のことだと言える。


 戸惑う幸を見て面白そうに笑いながら誠人は続ける。


「それでも、君の功績は十二分に知ってるつもりだよ。」


「功績…?」


「うーんと、一つ目の怪獣の事件は覚えてるかな。」


「はい。」


 忘れるはずもない。シーマと出会い、そしてその直後にいきなり戦わされた初陣の事件。自分の能力がわからず、炎が発現するまでは怪獣の攻撃にかなりてこずらされた。


「あの時君、一人逃げ遅れたおっさんを助けたよね?」


「…あっ!」


 周りが一目散に逃げているにもかかわらずのんきに卵焼きを頬張っていた中年男性。戦いの最中、背中に吐瀉物を浴びせようとしていたことを幸は思い出し、心底浴びせられなくてよかったと改めてほっとした。


「僕その時初動捜査に参加してたんだ。そんでもって現場に行ったら、びっくりすることにおっさんが一人、道端で寝かされててさ。最初は死んでるかと思ったんだけど、よく見たら傷一つなかった。多分ゲロ吐いて楽になってそのまま寝ちゃったんだろうね。」


「おーい、これから食事に行くんだぞ。」


 配慮に欠けた発言に大里はにやけながら注意する。


「あぁすんません。でも吐くとしたら普通道端だろ? でもそのおっさんの…その…吐瀉物は道のど真ん中にあった。ついでにその前には怪獣の足跡とブレーキ痕のようなものが発見された。最初はどういう状況かよくわからなかったんだけど、ニュースに流れた映像とおっさんの証言でやっとわかったんだ。おっさんを助けるために君が怪獣を食い止めたんだって。」


「あー…まぁ、そうですね。あの時は必死だったのでとにかく人が死なないようにっていうことだけ考えてました。」


 その言葉を聞き、少し微笑んだかと思うと誠人は真っすぐな眼差しで幸を見つめて話し続けた。


「…やっぱり僕が見込んだとおりだ。君はね、本当に偉大なことをしたんだよ。人一人の命を救うことにどれだけの価値があるのか、んなこともろくにわかってない部下どもに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいさ。ねぇ大里さん?」


「…立場上その部下とやらには俺も含まれるんだが?」


「そうですよ? だから話振ったんじゃないですか。」


「まず否定から入れよ。」


 大里をおちょくるような口調でペラペラと誠人は軽口をたたく。


 人生の中であまりストレートに褒められた経験のない幸はこのようなときどういう表情をすればいいのかわからずにいた。ただ、心の底では自分という人間そのものを肯定されているような気がしてとてもうれしかった。


「要するに、僕は君の人間性に惚れたってわけ。だからできる限り君には協力したいし、君の力になってあげたい。」


「…ありがとうございます。」


「実際誠人はかなり使えると思うよ。いろんな意味で。」


「いろんな…というのは?」


「ふっふっふ…いずれ教えてあげるさ。おっ! あの店かな?」


 そうこうしているうちに目的地の焼き肉屋へ到着した。そこはいわゆるチェーン店の焼き肉屋で、店の中は学生のコンパや打ち上げ、どこかの会社の飲み会などでにぎわっていた。三人は店員に促されるまま席へ移動した。


「ここは米とキャベツ食い放題だからいいっすよねー。」


「あんまり調子乗って食べ過ぎるなよ?」


「財布の心配ですか? 大丈夫ですよ。そんくらいの甲斐性はありますって。」


「…俺への当てつけか?」


「そういえば不思議だったんですが…お二人はどういう関係なんですか?」


 幸はずっと疑問に思っていた。確か大里は取り調べの際に刑事と自己紹介していたはずだ。だが本来上司である警部の誠人は大里に対して敬語を使っている。少し砕けた敬語ではあるが。


「同じ高校の先輩後輩だったんだ。俺が先輩で誠人が後輩。まぁこいつはキャリア組っつーか…特別枠だったからポンと階級的には抜かれちまったんだがな。」


「特別枠っつーかコネですよどーせ。明らかに出世スピードおかしいっすもん。」


「嫌味にしか聞こえないんだよ。二十代で警部ってなればそりゃあ疑うやつもいるだろうが、お前の場合は別だろ。」


 冗談交じりの会話。初対面の幸でも二人の仲がとても良いことはすぐに察することができた。


「まぁその辺の話は一旦置いといて肉頼みましょ! 俺はとりあえずカルビとかハラミいっちゃおうかなー。」


「ほんと元気だなお前。俺はとりあえず牛タンで。幸くんはどうする?」


「僕もお米大好きなのでカルビとか食べたいです!」


「おっ! 話が分かるじゃないかー。やっぱり焼き肉屋は米がメインだよな!」


「はい!」


「炭水化物信者はこれだから…。おっさんになる前にたらふく食っておくことだな。」


「当たり前ですよ! これこそが若人の特権!! つーか大里さんも俺と二個しか違わないでしょ。」


「あのな、二十代と三十代にはでっかい壁があるんだよ。お前もそのうち…いや、お前は変わらないかもな。」


「当然! 生涯全盛期を目指しているので!」


 その日の焼肉は友人がわずかしかいない幸にとっては久しぶりの会食で、店自体には幸自身何度も行ったことがあり、肉も食べなれた味であったはずだがその楽しさから一層おいしく感じた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「さてと、それじゃあそろそろ本題に入ろうかな。」


 ある程度食事が進んだところで、再び誠人が話し始める。


「今回僕が君と話したかったのは言うまでもなく、あの文書についてだ。上層部の奴らは保留するという結論に至ったけど、おそらくそのままいけば来たる十一月八日までに有効な対策を練るのは難しいだろう。出来たとしてもマイナス百をマイナス九十にするくらいの策だろうね。それはそれで無駄ではないからその辺は伯父さんたちに任せよう。」


「僕たちは何をすれば…」


「独自に作戦を練っておくのさ。僕たちでできる限りの策を十一月八日までに考えておいて、ある程度形ができてきたら伯父さんにも共有する感じでいこうかな。伯父さんもそういうつもりだったろうしね。」


「…? どういうことですか?」


 "伯父さんもそういうつもりだった"、伯父さんとは言うまでもなく蛯名仁のことだろう。だが、幸の目線からは"そういうつもりだった"ようにはどうにも見えなかった。


「文書については一旦保留でって…」


「"一旦"、"この場では"保留って言ってただろ? いや~伯父さんも気を利かせてくれたもんだね。」


「…?」


「…あー、説明が足りなかったね。簡単に言うと『船頭多くして船山に上る』現象を避けたのさ。そんで俺に作戦練っとけよって釘を刺したの。」


「……!」


 確かに保留という判断を表明した際、蛯名仁は誠人に向かって目配せをしていた。今になってその意味を幸はやっと理解した。


「でもなんで誠人さんに…?」


「まぁ…僕はこういうの専門だから。それについてはいずれ教えるよ。」


 どういう専門なのか心の中では疑問に思った幸だったが、これ以上話を止めるのも無意味だと考え先に進めた。


「作戦を練るメンバーは僕たちだけですか?」


「あー…大里さんどうします? めんどくさかったらやんなくてもいいですけど。」


「ここまで聞いたからには協力するさ。」


「よっしゃ! あとはもう一人心当たりがあるからそいつを呼んで合計で四人…いや、五人か。」


「ははっ、シーマさんを忘れちゃいけないよな。」


「そういうことです。何せ、敵の正体を知ってる唯一の証人なんですから。」


 シーマをいるものとして扱ってくれている、その事実だけでこの二人が幸を全面的に信頼していることがうかがえた。それを感じた幸は自分も二人を信頼しようと決意すると同時にこのことを孤独感を感じているであろうシーマにも早く伝えたいと思った。


 幸は一旦その気持ちを胸の奥にしまい、話の軸を作戦に戻す。


「作戦っていうのはやっぱり敵と交戦したときのための…ってことですよね。」


「もちろん。なんせ相手は自称ナイト、騎士だからね。どう考えてもゴリゴリの武闘派だろう。それに戦闘面以外のところはお偉いさんたちが進めてくれると思うからあんまり考えなくてよさそうだし。僕らはこっちに集中しよう。」


「了解です。」


「それじゃあ…明日か明後日で暇な日はある?」


「一連の騒動があって僕は休学扱いにしてもらったのでどっちも大丈夫です。」


「おっけー。大里さんはどうですか?」


「悪い。明日明後日はちょっと立て込んでてな。」


「おっけーです。じゃあ幸くん、明日この場所まで来てくれないかな?」


 そう言って誠人はスマホの画面を幸に見せた。画面には警察学校の所在地が書かれていた。


「はい、わかりました。」


「それともう一つお願いなんだけど、これを付けて走って来てほしいんだ。」


 そういうと今度は時計のようなものを取り出した。


「これって…」


「ランニングウォッチって言って、マラソン選手なんかがよく使う道具なんだけど、走行時間や走行ペースとかを表示してくれるんだ。もし出来たらここの数字が二十の状態をキープして走って来てほしい。きつかったら休み休みでいいよ。」


「なるほど。運動能力を測るんですね。」


「そ。出来る限り時間は節約したいし、何より何ができるのかを知っておかないと作戦の立てようがないからね。招いておいて無礼かもしれないけど。」


「いえ、僕も自分の限界値は知りたかったのでちょうどよかったです。」


「それはどうも。明日はもう一人のメンバーの奴もつれてくるから楽しみにしておいてね。」


「大丈夫なのか? まだその人に連絡とってないだろ。」


「心配ご無用ですよ。なんてったって呼ぶのばんですから。」


「あー…それなら問題ないか。暇だろうしな。」


「でしょでしょ。まぁこういう時くらいはフッ軽って褒めてあげましょうよ。」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 これからの方針と明日の予定を決めてその日は解散した。その後、幸はホテルまで大里の車で送ってもらった。


「今日はありがとうございました。また何かあったらいつでも連絡ください。」


「礼は僕の方が言いたいくらいだよ。誠人も言ってたけど、君には僕たちじゃ止められないほどの力がある。今回の会議に出席せず敵の襲撃を隠れてやり過ごす、なんてことも簡単にできただろう。逃げずにその選択をしてくれたことが本当にうれしいんだ。」


「…力を持っている人にはそれ相応の責任が伴いますから。」


「…ありがとう。弱い僕たちの代表として改めて礼を言っておくよ。それじゃあおやすみ。明日は頑張ってね。」


「おやすみなさい。」


 そう言って大里は車を走らせて去っていった。


 ホテルのロビーから、エレベーターを経て部屋に戻るとシーマが待っていた。


「今日はお疲れさまでした。」


「シーマさんこそ。そういえば会議の時にはいましたけどそのあとはどこに行ってたんですか?」


「食事に誘われていたみたいなので会議が終わった後はすぐここに戻って来てました。」


「あぁそうだったんですね。一緒に来てもらってもよかったのに。」


「聞かれたくない話もあるのかと思いまして…」


「特にそういうこともなかったですよ。話のほとんどはシーマさんを含めた五人のメンバーでクリムゾンナイツに対する作戦を練ろうっていう内容でしたよ。」


「えっ!? あの件は保留になったんじゃ…」


「独自に作戦を立てて同時並行で進める方針みたいです。明日まず僕の身体能力の測定をしにそのメンバーの人たちに会いに行ってきます。」


「それって…私も同席していいのでしょうか…」


「大歓迎だと思いますよ。シーマさんしか敵の情報を持っている人はいないので。」


「…そうですね。わかりました。明日は私も同席します。場所はどこですか?」


「警察学校ですね。住所はこれです。」


「ありがとうございます。」


 そんな会話をしているうちに時計は午後十一時を回ろうとしていた。会議の時の緊張もあってか時計を見た瞬間幸の体にどっと疲れが押し寄せた。


「すみません。今日は少し疲れてしまったので詳しい話はまた明日します。」


「はい! 全然大丈夫ですよ。おやすみなさい。」


「おやすみなさい。」


 歯磨きと着替えだけ済まし、幸はベッドに倒れこんでそのまま泥のように眠った。



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