第9話 悪魔の交渉
「!!」
光に包まれたかと思うと、次の瞬間すでに2人の体はすでに幸の実家のリビングへと転移していた。玄関からは先程の電話口でも聞こえたような幸の母の不安と恐怖が入り交じった金切り声が響いていた。すぐさま2人は玄関へ向かう。するとそこでは幸の両親と黒コートに身を包んだ長身の男が向かい合って立っていた。
「……来たか。」
男がそうつぶやくと幸の両親は背後の2人に気がついた。
「幸!? なんでここに?」
「東京にいたんじゃなかったのか?」
両親は酷く動揺していた。ついさっきまで都内にいたはずの息子がいつの間にか自分たちの家の中から現れたため無理もない。だが簡潔に話す技量も余裕も今の幸には無かったため、
「ごめん、諸々後で説明するから。」
とだけ言ってひとまず両親を後退させ、男と正面から向かい合った。
「お前は誰だ。」
「想像に任せる。少なくとも味方ではないとだけ言っておく。」
両者の間にピリついた雰囲気が漂う。
「……何しに来た。」
「偵察と交渉、後者が主目的だな。」
(……偵察はまだ分かるけど、交渉って?)
疑問が増え、幸は困惑する。
「心配するな。そこまで複雑な交渉では無い。」
幸の困惑を感じ取ったのか、男はそう付け足す。
「交渉の内容は?」
「お前の管理権を我々に渡してもらう。ただそれだけだ。」
「管理権?」
「そう、お前の力はとても強大なものでな。今のうちに首輪をつけておこうということだ。」
「………………」
(確かにシーマさんも俺の力には見覚えがある感じだった。かなり有名な能力なのかな……)
限られている情報を繋ぎ合わせて何とか状況を整理する。落ち着いて考えるとまだ明かされていない部分があることに幸は気づいた。
「そうなると、俺には何の利益があるんだ?」
「利益は無いが……損害が無くなる。」
「損害?」
「あぁ、お前の両親の命は保証する。」
その言葉が発された次の瞬間、一瞬場の空気が凍りついた。
「……今、なんて言った?」
「聞こえなかったか、それとも理解が出来なかったのか。もう一度分かりやすく言ってやろう。もしも我々の犬にならないのならお前の両親を殺す、と言ったのだ。」
「………………」
言葉の意味は理解していたが、幸は全く現実感が掴めなかった。
「……殺す?」
「そうだ。そのくらいしなければこんな怪しい条件を飲まないだろう?」
確かに、いきなり管理する、犬になれと言われて了承する方が異常である。
「ふざけんなよ……!」
「至って真面目だが。そこのシーマも理解出来ていると思うぞ? お前の能力はそれほどに貴重で強大なものなのだから。」
幸が振り向くと、シーマは黙って俯いていた。言葉はなかったがその沈黙が肯定を表すことは明らかだった。
「先に言っておくが。その女に助けを求めても無駄だ。そいつは我々に逆らうことは出来ない。」
「なっ……」
「理由については聞いてくれるな。私も口を無理矢理閉ざされるのは少々抵抗がある。」
「またそれかよ……!」
幸の人生を狂わせた、というより現在進行形で狂わせているシーマの上位存在。核心に迫ろうとするたびにその者に邪魔されるため幸はうんざりしていた。考えても仕方が無いと思い、交渉の話へ戻した。
「一応聞いておくけど、管理っていうのは具体的にはどういうことなんだ?」
「我々の命令は全て聞く。死ねと言われれば死ぬ。お前の場合は能力の解析もされるだろう。そうなると実験動物になる……という言い方が一番近いかもしれない。」
「……ホントクソだな。」
「なんとでも言うがいい。要はお前の人生とお前の両親の人生のどちらを取るか、という話だ。」
自分たちの人生を何の気なしにぶち壊そうとする目の前の男に改めて腹が立った。
「あんたやシーマさんが言うにはさ、俺の力は強大なんだろ……?」
「まぁ、そうだな。」
「なら……」
そう言いつつ幸は拳を固く握る。
「こういう選択は……」
「……!」
幸の意図を察して男は身構える。
「考えなかったのかな!!」
拳に火を灯した直後、幸は全力のパンチを男のみぞおちへ叩き込んだ。
「ぐ……ッ!」
呻き声をあげて男は扉の開いた玄関から門の外の路地へ吹っ飛んで行った。
「幸さん!」
「シーマさん、うちの親を頼みます。」
「……ごめんなさい。」
「?」
「私にはあの男を妨害することは出来ません。あの男がこの2人を襲った場合私には止めることが出来ないんです。」
悲哀と悔恨に満ちた表情で絞り出すようにシーマは告白した。
「……分かりました。」
(シーマさんが悪いんじゃない。ただ、縛られているだけなんだ。みんな、俺たちも……)
本当の悪は目の前の男であり、そして裏から自分たちの運命を縛り付けている黒幕であることを幸は再認識する。苦しんでいるシーマの姿を見ていてもたってもいられず、幸が男に追撃しようと玄関から飛び出そうとしたとき、
「幸!」
と幸の父が呼びかけた。
「父さん……」
振り返ると幸の両親はひどく心配そうな面持ちで幸を見つめていた。考えてみれば何一つ両親には説明ができていなかったことに幸は気づく。謎の男性、先刻の瞬間移動、発火する拳、現実離れした出来事が立て続けに起こっている現状を瞬時に理解することは当然不可能である。それは怪獣に襲われた幸が一番よくわかっていた。だが、
「事情はよく分からん。聞きたいことも山ほどある。でもこれだけはわかる。お前は俺たちを守るために戦うんだろう?」
幸の緊迫感と逡巡を汲み取った父は理解することをあきらめ、息子を信じることを選んだ。
「……うん。」
「本当に辛くなったら言いなさい。親より早く死ぬなんて許さないからね!」
母も父の意図を汲み取り、無駄な詮索はしなかった。
「……縁起じゃないこと言わないでよ。」
ほんの少しだけ幸は涙が出そうになる。二十歳になるまで無事に育ててくれた親の愛情、そして何物にも代えがたい家族の絆。会う回数は減ってもその深さは昔と全く変わっていないことを実感する。だが幸に泣いてる暇は無い。男はその隙に既に起き上がろうとしていた。
「それじゃあ、行ってくる。」
「……行ってらっしゃい。」
両親の言葉に押されて幸は玄関から飛び出す。
(大丈夫、俺は負けない……!!)
3人の人生を賭けた、絶対に負けられない戦い。
強い意志と決意を胸に幸は男に向かって駆けて行った。
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