「親と子の檻」
「
寧が頭を下げると、師父は樹木に水を遣りながら、「
「父親とのことかね」
見透かすように師父が言うので、寧は目をまるくした。「なぜ」
「見ていればわかる。曇天のような迷い。晴れたと思ったらまた曇る。お前の心は凪ぐことなく揺れ続けておる。
「師父はなんでも、お見通しなのですね」
寧はこれまでのことを語った。湖に父親を突き落として殺そうとしたこと。……そうしたら、湖の処女神が現れて、金か銀か、どちらかを選べと言われたこと。そして銀を選んだこと……。その優しく善き父親を、
「ほう……」
師父は腕を組んでそれを聞いていた。
「師父は、私と
「ふむ……」
師父は顎髭を撫でながら、つぶやいた。
「親と子の
「規……」
いくら無知な寧でも、その意味を分からぬほどではなかった。
「よいか寧。良くも悪くも、それは父である。そして同時に男である」
「はい」
「そしてお前も、娘である。同時に女であるのだよ」
「……はい」
「それが、『親子の檻』だ。父子であることと、男女であるということは、両立するのだ。そして、……慕いながら、憎むことも両立することがある。男たる父を憎み、父たる男を愛すこともあろう。かつて私も母を……、……。」
「……え?」
「つまり、何も、不自然なことではない」
師父は寧を見詰めた。「不自然なことではない。だから、お前は悪くない、寧」
※
寧は呆然と家へ戻った。銀父は珍しく、まだ帰っていないようだった。明かりをともし、敷布の上に腰かけて、ぼうっと空を眺める。
何も不自然なことではない。師父の言葉が、まだ頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。
「……ごめんなさい」
意味もなく空疎なつぶやきが漏れる。悪くないのに、悪くないと言われたのに。あの銀父の裏表ないやさしさを拒絶しようとする寧自身が、未だ罪悪感を持っているしるしだった。
「ごめんなさい」
敷布の上に横になる。頭がくらくらして、良くない。手を滑らして敷布の粗い目地をたどっていくと、かすかに濡れているのが分かった。
「……あれ」
手だけで、床の上を探る。水のあとは足のかたちになって、奥へと続いていき、
「……あれ?」
寧は金の斧と銀の斧を飾った場所を見上げた。
「あれ?」
ない。金も銀もない。そこには何もなかった。
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